(2025.9.28 Vatican News Devin Watkins)
教皇レオ14世は年間第26主日の28日、聖ペトロ広場で、「カテキスタ(教理教師)の聖年」を記念するミサを捧げられ、他者の信仰の伴走者となる者たちを称え、「全てのキリスト教徒が互いに助け合い、信じることを学び、希望を持ち、そして愛することを学ぶように」と呼びかけられた。
ミサ中の説教で教皇は、この日の福音朗読(ルカ16章19-31節「ファリサイ派の金持ちと貧乏人のラザロのたとえ話」)について考察された。
教皇は、2016年の慈悲しみの聖年の際にも、カテキスタ聖年の記念ミサで同じ福音書の箇所が読まれた、と指摘されたうえで、「このたとえ話で、イエスは、神が世界をどう見ているかを示しています… 一人の男が死に瀕し、犬に傷を舐められている一方で、別の男は優雅な服を着て、扉のすぐ向こうで腹いっぱい食べている」と語られた。
そして、「今日の世界の豊かさの”敷居”には、戦争と搾取によって荒廃した諸民族の悲惨さが立っています。何世紀を経ても、何も変わっていないようです… 多くのラザロが死にゆく一方で、金持ちたちは目の前の現実を無視している」とされた。
そのうえで教皇は、「福音書は神が双方に正義をもたらし、貧しい者の苦しみを終わらせ、金持ちの宴に終止符を打つことを約束しています」と語られ、「金持ちが死んだ後、彼はアブラハムの傍らにいるラザロを見て、自分の運命を兄弟に警告するよう神に懇願する。しかし、アブラハムは『その必要はない。生きている者たちには、モーセと預言者たちが警告する』と答えます… 『モーセと預言者たちの言葉に耳を傾ける』とは、神の戒めと約束を知ること。神の摂理は決して、誰も見捨てません」と強調。
「福音は告げています。『キリストが死からよみがえられたゆえに、すべての人々の人生は変えられるのだ』と… イエスの復活こそ、私たちを救う真理であり、教会はカテキスタたちを通じて、それを宣べ伝えねばなりません」、また「この真理を愛することを学ぶことで、私たちの心は変容し、神と隣人へと開かれる。そうして初めて福音を理解できるのです」と語られた。
続いて教皇は「カテキスタ」という言葉の意味について考察された。「この言葉はギリシャ語に由来し、『声高らかに教える、響き渡らせる』という意味を持ちます… カテキスタとは、親であれ教会の司祭であれ、自らの生涯をもって宣教する『言葉の人』です」と説かれた。
そして、「私たちは皆、先に立つ信仰者たちの証しを通して信仰を教えられてきました… 幼少期、思春期、青年期、成人期、そして老年期に至るまで、カテキスタは信仰の旅路を共に歩み、この生涯にわたる歩みを分かち合う… カテキスタや自らの模範によって他者を教える全ての人々は、人間の良心に宿る正義と真実への渇望に耳を傾け奉仕することで、教会の牧会活動に協力しているのです」と述べられた。
説教の最後に教皇は、「聖アウグスティヌスが助祭デオグラティアスに語ったように、聞く者が、聞くことによって信じ、信じることによって望み、望むことによって愛するように助けなさい」と励まされた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)