☩「聖ニューマン教会博士は新たな世代のための光」-教皇、諸聖人の祝日ミサで

(2025.11.1  Vatican News   Alessandro Di Bussolo)

 「教育界の聖年」の頂点となる1日の聖ペトロ広場での諸聖人の祝日ミサで、教皇レオ14世は聖ジョン・ヘンリー・ニューマンを教会の博士として宣言され、「彼の遺産とは、人々を『星のようにその尊厳を輝かせる者』として育てること」と強調された。

 ミサ中の説教で教皇は、聖ニューマンを「教育の理論と実践の師」と位置づけ、その有名な賛歌にあるように、神の摂理への信仰という「慈愛の光」を捧げるよう信者たちを招くと同時に、「諦観と無力感という偽りの理屈を無力化し」、この「不正と不確実性に覆われた今の時代」に「光と導き」を伝えるよう促された。

 

 

*教育の中心に生きた人間を置くこと

 

 そして、ミサのために聖ペトロ広場に集まった数千の信者たち、特に学生と教育者に向けて、「学校、大学、あらゆる教育の場、学校以外の場や路上での教育が常に、生きた人間を中心に置き、対話と平和の文明への入り口となる」ことを希望された。

 ミサには、スティーブン・コットレル・ヨーク大主教ら英国国教会の公式代表団も同席する中で、教皇は 、新たに教会の博士(第38人目)に列聖された聖ニューマンが、特に「『瞑想と祈り』において、あらゆる人間の尊厳の神秘、そして神によって与えられた多様な賜物について見事な考察を残したこと」を思い起こされ、「彼がそうであったように、自らが召命―使命―を持つこと、そして、人生は自分自身よりも偉大な何かに奉仕することを発見したとき、人生は輝きを放ちます」と指摘。 「一人ひとりの貢献は唯一無二の価値を持ち、教育共同体の任務は、その貢献を励まし、慈しむことにあります」と語られた。

 さらに教皇は「 教育の旅路の中心に立つのは抽象的な個人ではなく、現実の人々であることを忘れてはなりません。特に、社会から排除され、あるいは命を奪われるような、経済の基準では劣ったように見える人々こそ、忘れてはならない。私たちは人々を育てるよう召されています。星のように輝き、その尊厳を全うするためにです」と強調された。

 

 

*聖ニューマンが新たな世代にインスピレーションを与える

 

 説教の冒頭で、教皇は聖トマス・アクィナスと共に聖ジョン・ヘンリー・ニューマンが教会の教育使命の共同守護聖人に任命されたことも発表され、「聖ニューマンの卓越した精神的・文化的偉業は、無限を渇望する心を持つ新たな世代にとって、確かな霊感となるでしょう。彼らは研究と知識を通じて、古代人が『困難を経て星へ(per aspera ad astra)』と表現した旅路を歩む覚悟を持つのです」と説かれた。

*真理の探求と奉仕としての教育、大学は預言の実験室

 

 また教皇は、聖パウロのフィリピの信徒への手紙と「世の中で星のように輝く」という使徒的使命に思いを巡らせ、教皇は教育者たちにご自分が公布された使徒的勧告『Delexi-te』の言葉を繰り返され、「今日、世の中で星のように輝け。 真理の共同探求への誠実な献身と、寛大さと誠実さをもってそれを分かち合うことを通して。実際、あなたがたは若者、特に貧しい者たちへの奉仕と、キリスト教の愛は預言的。それは奇跡を起こす」という日々の証しを通して、まさにそれを実践しているのです」と教育者たちに向けて語られた。

 さらに、「希望の巡礼」として理解される現在の聖年において、教育が希望の「不可欠な種」であることを再確認され、「学校や大学について考えるとき、私はそれらを預言の実験室と捉えます。そこでは希望が生き、絶えず議論され、励まされるのです」と語られた。

*福音を聴き、生きる場所としての学校

 マタイ福音書で読まれた八福について、教皇はこれを「教師イエスの道でありメッセージ」とされ、「世の論理に反し、貧しい者、正義を渇望する者、迫害される者、平和を築く者を祝福すると宣言するイエスこそが、聖人たちが我々の間に現す神の国のしるしです」と述べられた。

 「 私たちは彼の弟子であり、彼の『学校』に属しています。私たちは彼の生涯、すなわち彼が歩んだ道筋の中に、あらゆる知識に光を投げかける意味の地平を見出すことを学びます。私たちの学校や大学が、常に福音を聴き、実践する場でありますように! 」。

 

 

*ニヒリズムの闇から人類を解放する、「慈愛の光」に導かれて

 

 教皇は、こうした課題が「私たちの力を超えているように思えるかもしれない」ことを認めつつ、一年前の教皇フランシスコの言葉を引用して忍耐を促された—「私たちは協力して、人類を包み込むニヒリズムの暗闇から解放しなければなりません。それは現代文化の最も危険な病いであり、希望を消し去る脅威だからです 」。

 そして、この闇は、「聖ニューマンが英国国教会の牧師時代に作曲し、奉献の祈りの際に歌われた賛美歌『慈愛の光よ、導きたまえ』を想起させます。それは、自らの足元が不安定で地平線を見極められないと気づいた時に、私たちを導く光です。教育の使命とは、まさに『悲観と恐怖の影』に囚われた人たちに、この慈愛の光を差し伸べることにあるのです」と強調。

 「この美しい祈りの中で、私たちは故郷から遠く離れ、足元がふらつき、前方の道を明確に読み取れないことに気づきます。しかし、これらは私たちを妨げません。なぜなら私たちは導き手を見つけたからですー 導け、慈愛の光よ、暗闇に囲まれても、私を導き給え、導け、慈愛の光よ、夜は暗く、私は家から遠く離れている、私を導き給え」と祈られた。

*カトリック教育と聖性の発見

 

 教皇は説教の結びで「キリスト教の視点から、教育はすべての人を聖人へと導くもの。それ以外の目的はありえません」と強調。そして、2010年に英国におけるニューマン列福式でベネディクト16世が若者たちに語った言葉を引用され、「神が皆さん一人ひとりに最も望まれるのは、聖なる者となることです。神はあなたがたが想像しうる以上に深く愛しておられます」と語られ、「この言葉は、普遍的聖性への招き。第二バチカン公会議の核心的メッセージである、八福によって示された個人的かつ共同体の歩みです」と述べられた。

 そして、「カトリック教育が、一人ひとりが自らの聖性への召命を見出す助けとなるよう祈ります。聖ジョン・ヘンリー・ニューマンが深く敬愛した聖アウグスティヌスは語りました。『私たちは、一人の教師のもとで学ぶ同窓生である。その学校は地上にあり、その教壇は天にある』と」と結ばれた。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2025年11月1日