☩「”金ぴかの飾り物”はいらない。誠実と謙遜な愛を」教皇の第32主日正午の祈り

(2021.11.7  Vatican News staff writer)

   教皇フランシスコは7日、年間第32主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマルコ福音書の「律法学者を非難する」「やもめの献金」(12章38-44節)の箇所を取り上げ、「彼ら(この箇所で非難されている律法学者)のように”二重”の信仰生活を送ることのないように気を付ける一方で、この場面に登場する、神への謙遜な愛の模範となる未亡人の誠実さに注目する必要があります」と語られた。

イエスはエルサレムの神殿の境内で人々に教えられている時、こう言われた。「律法学者に気を付けなさい。彼らは、正装して歩くことや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望んでいる。また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」(マルコ福音書12章38‐40節)。そして、「イエスは献金箱の向かいに座り、群衆後それに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。そこえ一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわり1クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。

*「律法学者」と「やもめ」の対照

 教皇は、この「律法学者」と「やもめ」の対照に注意を向けられ、「イエスが教えておられたエルサレムの神殿の境内には、『やもめの家を食い物にし、会堂で長い祈りを唱える時に上席に迎えられ、敬意を受ける律法学者たち』がいます。そこに、『権力に搾取される貧しい未亡人』がやって来て、献金箱に銅貨二枚を入れました。彼女が持っている物、生活費を全部です」とされ、「この対比は、今の私たちに、警告を与えるもの」と指摘。

 そして、「私たちは、ここに登場する律法学者たちのように偽善の信仰生活を送らないように気を付けねばなりません。同時に、神への誠実さ、謙遜さ、愛において、私たちが見倣うべき模範である未亡人に注目する必要があります」と説かれた。

*律法学者の偽善は私たちへの警告

 この福音の教訓を日々の生活の中で実践するために、教皇は「日常生活で『偽善』に気をつけ、外見に気を取られ、自己に重きを置くことに執着しないように注意する必要があります」とされ、「『偽善』は、『危険な心の病』になり得ます。さらに悪いことに、私たち自身の利益に役立つように信仰を操作しかねません」と、信徒たちに警告された。

 さらに、当時の律法学者たちの多くが、自身の利益のために”神の名”において、ユダヤ教を使い、権威を乱用し、貧しい人々を搾取していたことを思い起こされ、 「このような行為は、いつも、すべての人に対する警告です。教会においても、一般社会においても、権威は乱用されてはならず、金もうけのために貧しい人々から搾取し、他の人々を抑圧してはなりません」と強調。

 そのうえで、「自分がどのように神に、隣人に、とくに助けを必要としている人々に本当に奉仕しているのかを自問するよりも、自分自身―自分の外見や言動ーにどれほど執着しているのかを自問する必要が、私たちにはあります」と注意された。

*貧しい未亡人の誠実さと謙虚な愛に倣おう

 また教皇は、このマルコ福音書の箇所で、イエスは、私たちに貧しい未亡人に注目するように勧めておられる、とし、「彼女が神殿の献金箱に持っている物すべてを入れましたが、自分は神においてすべてのものを持っている、と確信している。彼女は、捧げる人の喜びを倍増させる『神の豊かさ』を信頼している。私たち誰にとっても模範です。心から惜しみなく自由に捧げた行為ゆえに、イエスは信仰の教師として彼女を指し示されたのです」。

 そして、「彼女が、わずかな銅貨を献金箱に入れた時、金持ちが沢山の献金をした時よりも、はるかに美しい音を立てました。なぜなら、彼女の心を尽くして神に捧げる誠実な生き様を表す音だったからです」と語られた。

 説教の最後に教皇は、「今日の福音書に登場した貧しい未亡人から、”金ぴかの飾り物”を付けない、内面の誠実さと、神と兄弟姉妹への謙虚な愛によって特徴づけられる信仰をはぐくむように」と信徒たちを促された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年11月7日