☩「私たちは、神にとって、かけがえのない存在。日々、『荒野』に退いて主と出会おう」-教皇、年間第二主日の正午の祈り

 (2026.1.18 Vatican New    Deborah Castellano Lubov)

 教皇レオ14世は年間第二主日の18日の正午の祈りに先立つ説教で、信者たちに、「警戒を怠らず、本質に集中し、私たちが神の目にどれほど、かけがえのない存在であるかを、決して忘れてはなりません… 毎日、祈りと黙想の時間を持ち、私たちを愛する主と出会いましょう」と呼びかけられた。

 説教で教皇はまず、この日のミサで読まれたヨハネ福音書の箇所に注意を向けられた。この箇所で、洗礼者ヨハネは、イエスを神の小羊、メシア、救い主であることを認め、イスラエルの民にその神性と使命を宣言した。そして自らの使命を終えると、一歩退き、「私の後から一人の人が来られる。その方は私にまさっている。私よりも先におられたからである」(1章30節)と証言している。

 教皇は、「洗礼者ヨハネが民衆から深く愛され、エルサレムの権力者たちさえ恐れるほどの名声を持っていたこと」を想起され、「彼はこの名声を利用することも容易にできました。しかし、成功や人気という誘惑に屈せず、イエスの前に自らの小ささを認め、イエスの偉大さのために道を譲った… ヨハネは主の道を整えるために遣わされたことを知っていました。主が現れた時、喜びと謙遜をもって神の臨在を認め、自らスポットライトから退いたのです」と説かれた。

  教皇は「この証しが、現代の私たちにとって、どれほど重要でしょう!」とされ、さらに、「人々が承認や合意、注目といった幸福をもたらすと考える要素に、どれほど頻繁に頼っているでしょう。それらは、しばしば、苦しみや分裂をもたらし、脆く、失望させ、束縛する生活様式や人間関係を招くにもかかわらず、です」と指摘。

 「真実を言うなら、私たちにはこうした『幸福の代用品』など必要ありません… 私たちの喜びと偉大さは、成功や名声という儚い幻想に立脚するのではなく、『天の父に愛され、望まれている』ことを自覚することにあります」、さらに、「イエスが語る愛とは、今日もなお私たちの間に来られる神の愛であり、それは壮大な見せ物で私たちを眩惑するためではなく、私たちの苦闘を分かち合い、私たちの重荷を自ら背負うためなのです」と訴えられた。

 そして、 「そうすることで、神は私たち自身の本質と、神の御目にどれほど尊い存在であるかを、明らかにされるのです」と説かれた。

 説教の最後に教皇は、「主が私たちの間におられる、という事実から目をそらしてはなりません。”見せかけ”を追いかけて時間とエネルギーを無駄にしてはなりません」と信者たちに注意をされ、「洗礼者ヨハネから学びましょう。警戒を怠らず、簡素を愛し、言葉に誠実であり、質素に生き、心と精神の深みを育むことを。本質的なものに満足し、可能であれば毎日、特別な時間を設けて沈黙の中で立ち止まり、祈り、省察し、耳を傾けること、言い換えれば『荒野に退く』ことによって主と出会い、主と共にいるのです」と強く勧められた。

 そして、簡素さと知恵と謙遜の模範である聖母マリアに、この決意を助けてくださるよう懇願することで、説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2026年1月18日