(2024.12.1 Vatican News)
12月1日、待降節の最初の主日に行われる正午の祈りに先立つ説教で、教皇フランシスコは、「天に目を向け、私たちの重荷を担い、旅を支えてくださる主に対して、心を開くように」と呼びかけられた。
説教で教皇は、この日のミサで読まれたルカ福音書21章で天地の激変と人類が直面する不安や恐怖に始まり、人の子の到来について語るイエスの言葉について考察された。この箇所で、イエスは、弟子たちに、救いの日が間近に迫っているとして、立ち上がり、天を仰ぐようにと告げておられる。
教皇は、「この世の心配事で、弟子たちの心が『眠ってしまわないか』と主は心配され、人の子の到来を、警戒しながら待つように、と願っておられます… 迫害、戦争、自然災害は、イエスの同時代人の多くにとって、悲惨な出来事。未来への不安と世界の終末が蔓延していましたが、主は、彼らの心が恐怖で重荷を負っていることをご存じです」とされた。
そして、「歴史の最も劇的な出来事の中でも、弟子たちに神の救済計画を思い起こし、目を覚ましている方法を示すことで、世俗的な不安や偽りの安心感から解放されるよう助けてくださいます。天に目を向けることで、主のもとへ向かう旅路において、人生の困難をより適切に理解することができるのです」と語られた。
教皇は続けて、「『眼を覚ましているように』というイエスの弟子たちへの呼びかけは、私たちすべての人間にも向けられています」とされたうえで、「私たちは、自分の人生や世界の状況に対する不安や心配に打ちのめされ、落胆しているでしょうか。それとも、助けであり救いである主に向かって、信仰と勇気を持って顔を上げているでしょうか」と信者たちに問いかけられた。 そして、「もし心配事が、私たちの心を重くし、自分自身に閉じこもるように仕向けるとすれば、イエスは逆に、私たちの頭を上げて、私たちを救いたいと望まれ、私たちの存在のあらゆる状況において、私たちに近づこうとする神の愛を信頼するように、と私たちを招いておられます。イエスは、私たちが再び希望を見出すために、自分自身の中にイエスのための場所を空けるように、と求めておられるのです」と強調された。
最後に、教皇は、この待降節が「私たちの心を明るく照らし、私たちの歩みを支えてくださる神に目を向ける貴重な機会となるように」と祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)