(2023.11.5 Vatican News)
教皇フランシスコは年間第31主日、5日の正午の祈りに先立つ説教で、福音の信頼できる証人になるために自分が説いていることを実践するとともに、誠実な心のために内面の生活を育てねばならない、と説かれた。
説教でこの日の福音(マタイ23章1-12節)を取り上げられた教皇は、イエスが宗教指導者たちに警告された「説教はするが、実践しない」「行いはすべて、他人に見てもらうために行う」という”二枚舌的行為”に焦点を当てられた、イエスが異議を唱えられた、この宗教指導者の日々の生活におけるこのような振る舞いは、私たちにとっても、「証言の信憑性と、人として、そしてキリスト教徒としての信頼を危険にさらす心の二面性」として注意すべきこと、と指摘。
そして、「 私たち自身の弱さを考えると、自分が他者に説いていることを実践するのは必ずしも容易ではないこと」を認めたうえで、「これは、私たちが人生で、社会、教会で責任ある役割を担っているときに特に当てはまります」と警告。「二枚舌は『ノー』です!。このルールは、司祭、牧師、政治家、教師、または親にとって常に有効です。自分の言うこと、他人に説教することは、まず自分自身がそれを実践することに専念してください」 と信者たち求められた。そさらに、「尊敬される教師になるためには、聖パウロ六世が私たちに求められたように、自分自身が信頼できる証人になることです」と強調された。
また教皇は、二枚舌的な振る舞いの結果、内面よりも外面が優先されるようになることを指摘され、 「二枚舌の中に生きていた当時の律法学者とファリサイ派の人々は、外面的な評判を守るために、自分たちの(言うこととすることの)矛盾を隠することを気にかけていました。人々が彼ら本心を知っていたら、恥をかき、すべての信頼を失ったでしょうから。だから、彼らは、多くの人に正義の人と見られるように努め、内面の汚れを隠すために、美しい外見を示すことで面目を保とうとしたのです」と指摘。
ひるがえって、現代の人々、特に、私たちキリスト教徒にとっても「外見を内面よりも優先する、というのは酷いことです」とされ、「教会の中でも、信頼できるキリスト教徒であるために内面に気を配るべきなのに、外見の面目を保とうとする誘惑に駆られることがあることは、否定できません」と注意された。
最後に、教皇は、信者たちに、自分自身の振る舞いについていくつかの質問を自問するよう勧められた-「私たちは、自分が説いていることを実践しようとしていますか? それとも、二枚舌で生きていますか? 私たちは、自分がどれほど非の打ち所がないかを外見で示すことだけに関心をもっていますか。それとも、心の誠実さで内面の生活も培っていますか?」
そして、私たちが福音の信頼できる証人となるよう聖母マリアに助けを求めて説教を締めくくられた。 「聖母に目を向けましょう。 神の御心に忠実かつ謙虚な心を持って生きた彼女が、私たちが、福音の信頼できる証人となるよう助けてくださいますように」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)