(2026.2.1 VaticanNews Deborah Castellano Lubov)
教皇レオ14世は年間第四主日の1日の正午の祈りに先立つ説教で、「神は、世が”絶望的”と見なす人々にも希望をお与えになる」と語られた。
説教で教皇はまず、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「山上の説教」の「幸いなる人」の箇所で、「イエスは、全人類に福音を告げ知らせました」とされ、「これらはまさに、主が歴史の闇の中に灯される光であり、聖霊の力によって御子を通して父が成し遂げられる救いの計画を明らかにするものです」と述べられた。
山上の説教で、キリストは弟子たちに、「石板」ではなく「心」に刻まれる新しい掟を与えられた。教皇は「たとえ世界が私たちを見捨て、悲惨に満ちているように思えても、この掟は、私たちの命を新たにし、善きものとします」と指摘された。
そして、「貧しい者や苦しむ者を真に祝福できるのは神のみです。なぜなら神は無限の愛をもって、すべての人に自らを捧げる至高の善だからです」とされ、「平和と正義を求める者を満たすことができるのは神のみです。なぜなら神は世界の公正な審判者であり、永遠の平和の創始者だからです」と強調。
教皇はさらに続けて、「神のみが、柔和な者、憐れみ深い者、心の清い者に喜びをもたらします。なぜなら神は彼らの期待の成就だからです。迫害の中では贖いを見出し、偽りの中で『真理の錨』を見出すのです」と語られ、「それゆえ、イエスは宣言されるのです。『喜びなさい、楽しみなさい』と」説かれた。
また、「『権力をもつ者が常に地を支配する』と期待する人々にとって、この幸いの教えは逆説的に映るかもしれません。『幸福は富める者のものだ』と考える習慣のある人々は、イエスが錯覚に陥っていると考えるかもしれません。しかし、その錯覚こそが、まさに『キリストへの信仰の欠如』にあるのです」と指摘。
教皇は、「それでもなお、キリストこそが、すべての人と命を分かち合う貧しい方、苦しみに耐え忍ぶ柔和な方、十字架上で死に至るまで迫害された平和の使徒なのです… そうして、イエスは歴史の意味を照らし出されます。それはもはや征服者によって書かれるのではなく、抑圧された者を救うことによって成し遂げられる神によって書かれます。特に、この世が『絶望的だ』と見捨てた人たちに希望を与えられるのです」と強調された。
さらに教皇は、「山上の説教」の八つの幸いは、「私たちにとって幸福の尺度となります… そして、私たちが『幸福』を購入すべき成果と捉えるか、分かち合うべき賜物と捉えるか、消耗する物の中に置くか、私たちと共に歩む関係の中に置くかを、私たちに自問させるのです」と語られた。
そして、「キリストのおかげで、試練の苦しみは、贖われた者の喜びへと変容します。イエスは遠い慰めについて語られるのではなく、特に苦難の時において、常に私たちを支えてくださる絶え間ない恵みについて語られるのです」と説かれ、 「『八つの幸い』は、謙遜な者を高め、高慢な者をその心の奥底で散らすのです」と付け加えられた。
最後に、教皇は、すべての世代が祝福と呼ぶ主の僕である聖母マリアに、私たちが八福を生きる助けとなるように願われ、説教を締めくくられた。