☩「神が託された財産、資源、そして命そのものを、私たちはどうに管理しているのか?」ー教皇、年間第25主日の正午の祈りで

(2025.9.21  カトリック・あい)

 教皇レオ14世が21日、年間第25主日の正午の祈りに先立つ説教で語られた全文は、バチカンのホームページThe Holy Seeによると次の通り。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、主の日の祝福を!

 今日の福音(ルカ16章1-13節)でイエスが語られるたとえ話は、私たちが物質的な富をどう扱うか、そして最も尊い財産である命そのものをどう管理するか、を深く考えさせます。

 このたとえ話では、金持ちが管理人に「会計報告」を求めます。ここには重要な真理が示されています。私たちは自らの命や享受する財産の主人ではなく、すべては主からの賜物であり、この恵みは私たちの管理、自由、責任に委ねられているのです。 いつの日か、私たちは自分自身と所有物、そして地球の資源をどのように管理してきたかについて、神と人々の前で、社会の前で、そして特に後世の人々の前で説明することを求められるでしょう。

 ここに登場する管理人は、これまでただ自分の利益だけを追求してきました。 しかし、それが露見して管理権を奪われた時、彼は自らの将来を守るために何をすべきか考えざるを得なくなる。この困難な状況の中で、彼は「物質的な富の蓄積が、最高の価値をもつものではない」と悟ります。この世の富は過ぎ去るものだからです。

 そこで彼は素晴らしい考えを思いつきます。債務者たちを呼び寄せ、彼らの負債を「切り捨て」、自分に帰属するはずだった利益を放棄したのです。 こうして彼は物質的な富を失う代わりに、自らを助け支える用意のある友人を得るのです。

 この物語をもとに、イエスは私たちにこう勧められます—「不正の富で友達を作りなさい。そうすれば、富がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる」(9節)。

 確かに、たとえ話の中の管理人は、この世の不正の富を管理しながらも、友を作る方法を見出し、自己中心の孤独から脱することに成功しました。そうであるなら、福音の光の中で生きる弟子である私たちはなおさら、この世の財産と私たちの命そのものを、「主と兄弟姉妹との友情」という真の富を目指して用いるべきではありませんか。

 愛する友よ、このたとえ話は私たちに問いかけています。「神が託された物質的財産、地の資源、そして私たちの命そのものを、私たちはどのように管理しているのか?」。

 私たちは利己主義の道を選び、富を何よりも優先し、自分だけを考えることもできますが、それは他者から私たちを孤立させ、競争という毒を広め、しばしば対立を煽ることになるでしょう。 でも私たちは、自分が持つすべてのものを神の賜物として認め、分かち合いの道具として管理し、用いる道を選ぶこともできます。友情と連帯のネットワークを築き、共通善のために働き、より公正で公平、そして兄弟愛に満ちた世界を構築するために。

 聖母マリアに祈りましょう。私たちのために取り成し、主が託されたものに対して、正義と責任をもって管理する忠実な管理者となれるよう、助けてくださいますように。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2025年9月21日