☩「真の偉大さは、最も弱い者へのいたわりの中にある」教皇、年間第25主日の正午の祈りの説教

(2024.9.22 Vatican News   Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは22日、年間第25主日の正午の祈りに先立つ説教で、「真の力と偉大さは最も強い者が支配することではなく、最も弱い者をいたわることにある」という主の言葉を強調された。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれた福音の箇所(マルコ9章30‐37節)で、イエスが弟子たちに、「人の子は人々の手に渡され、殺される。殺されて3日の後に復活する」と告げられた時の、彼らの反応を思い起こされ、「弟子たちは主が何を意味しているのか理解しておらず、それよりも誰が一番偉いかに、関心があったのです』と語られた。

 この場面で、「イエスが弟子たちに『何を論じあっていたのか』とお尋ねになった時、弟子たちが黙っていたことが、非常に示唆的です」とされ、「この沈黙は、主の前で、自分たちの中で誰が一番偉いのかを論じ合った自分たちの恥の認識から生じたもの。主の言葉を聞いて理解しようとする自分たちの心を閉ざした、彼らの”自負心”を反映しています」と指摘された。

 そして、「主が、すべての人への贈り物―奉仕、謙遜―としてお捧げになるご自身の命の意味について語った時、それは、彼らの懸念とは正反対のことでした」とされ、イエスは、そうした弟子たちに対して、「『いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者となりなさい』と諭されたのです」と強調。

 「イエスは、真の力とは、最も強い者が支配することではなく、最も弱い者をいたわることだ、と教えられる。これが、弟子たちにイエスが「私の名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、私を受け入れるのだ」と言われ、彼らの真ん中に立つように子供を呼び寄せた理由です… 子供には力がなく、人々が生きるために助けを必要とするのと同じように、他の人に依存しています」と説かれた。

 そのうえで、教皇は、この子供だけでなく、「私たちは皆、他者のいたわりと愛のおかげで生きている… 人の権力への渇望は、その真実を忘れさせてしまう。支配することを求め、奉仕しないことは必然的に苦しみを生みます。それを最初に感じる人は『小さな者、弱い者、貧しい者』なのです」と語られ、「権力闘争のためにどれほど多くの人が苦しみ、死んでいくことでしょう!彼らの命は、イエスを否定したように、世界が否定している… しかし、福音は生き続け、希望に満ちている。命を否定した方が復活した。それが主です!」と強調された。

 最後に、教皇は、「私たちの周りの人々、特に最も小さくて小さな者の中にイエスを見る方法を知っているか?」「隣人を気遣い、私たちを助けてくれた人々に感謝しているだろうか?」と自問するよう信者たちに勧められ、「聖母マリアのように虚栄心から解放され、奉仕の用意ができるように、共に祈りましょう」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2024年9月22日