
(2025.12.12 Vatican News Isabella H. de Carvalho)
教皇レオ14世は12日、ローマで学ぶラテンアメリカ出身の司祭、神学生、修道者たちに向けたメッセージで、「私たちが現代の騒音に満ちた混乱した社会に生きている今日ほど、キリストの絶対的な首位性を宣言し、その声を耳と心に明確に留める僕と弟子が必要とされる時はない。キリストに従う召命を思い起こし、何よりも神を第一に置くことに努めるように」と促された。
ローマで学ぶラテンアメリカの司祭、神学生、修道者たちは、グアダルーペの聖母祭日である12日、ラテンアメリカ教皇庁委員会が主催する「マリア:今日のラテンアメリカにおける福音宣教と使命の星」がテーマの会合に参加した。
教皇はメッセージの中で、キリストが弟子たちに語った「私に従いなさい」という言葉が、神学生、司祭、あるいは奉献生活者の人生における「最も深い目的」を表している、と指摘。
「聖書を読むこと、祈りの中で黙想すること、司牧者たちに従うこと、教会が提供する知識と知恵を学ぶこと、などを通じて、神との関係を育みながら、良い時も困難な時も召命を覚え、神に忠実であり続けるように」と促された。
そして、「喜びの時も困難の時も、私たちのモットーは、『キリストが経験されたことを、私たちもまた生きる』ことでなければなりません。”称賛”を受けることに固執してはならない。その反響はすぐに消えるからです。『危機や苦い失望の記憶』だけに浸るのも健全ではない。これら全てを自らの形成過程の一部と見なし、『神が私のためにそう望まれたなら、私もそれを望む』と宣言しましょう。司祭であれ、奉献生活者であれ、神学生であれ、キリストと結ばれる深い絆は、キリスト教徒の夫婦が結婚式で誓う言葉-『貧しい時も、富める時も、病め時も、健やかな時も』-によって育まれるのです」と説かれた。
*神を何よりも上に置く
続けて教皇は、「召命に関する福音書の箇所は、すべて、『主の絶対的な主導性』を強調しています。主は、人間に『何の功績もない』状態で人を招かれます。その召命は『罪人や弱き者たちに、福音のメッセージを届ける機会』であり、そうしてイエスの弟子たちは、神がすべての人々のために備えられた救いの計画の道具となるのです」とされ、さらに、福音書が同時に強調するのは、「そのような召命に応えることに伴う献身です。神を何よりも上に置くこと、あらゆる人間的な安全から離れること、そして、神の律法に関する理論的・実践的知識の緊急かつ不可欠な要求に応えること、です」と強調された。
そして、聖アンブロシウスの言葉を引用する形で、「あらゆるもの、それ自体が善なるものさえも捨てる、という、この要求は、主が私たちに、神の律法によって認められた自然の義務を回避させようとしているのではありません。新たな人生への目を開かせようとしているのです… この新たな人生においては、神の前に何ものも置かれることは許されません。これまで私たちが『善』として認識していたものでさえも例外ではない。それは『罪と古い世俗的な自己への死』を意味するのです」と説かれた。
聖アンブロシウスの言葉を再び引用された教皇は「このイエスとの結合が、いかに他者との交わりと共にある歩みを助けるか」を強調。「私たちは、共感や共通の利益、相互の便宜によって結ばれているのではない。『主が御自身の血の代価で買い取られた民』に属することによって、結ばれているのです」と強調された。
*イエスは私たちを支え、知っておられる
教皇はまた、ヨハネの福音書で、キリストが使徒ペトロに二度、「私に従いなさい」と繰り返され、主の近さを示している点に注目。「一度目は、ペトロがイエスを三度否認した後、三度、愛を告白した直後です。たとえ使徒が十字架の神秘を完全に理解していなかったとしても、神はすでに、ペトロが神を賛美する犠牲を心に留めておられたのです… ペトロが夜や嵐の中でそうであったように、私たちも人生において、視界が曇るとき、愛に満ちた忍耐をもって私たちを支えてくれるのは、イエスの声です」と述べられた。
同様に、二度目はペトロがヨハネについて尋ねた直後であり、イエスは「それはお前に関係あることか?お前は私に従いなさい」と答えられた。「この二度目の出来事は、主が私たちの弱さを知り、しばしば私たちに課される十字架ではなく、私たち自身の利己心が、『主に従いたい』という願いの妨げとなることを示しています。また、このイエスと使徒との対話は、私たちが、どれほど容易に兄弟を、さらには神さえも裁き、人生において、神の御心を素直に受け入れないかを示しているのです」と参加者たちに注意された。
メッセージの結びで教皇は、ラテンアメリカの神学生、司祭、修道者を聖母マリアに託し、グアダルーペの聖母にこう祈られた。「勇気をもって応えることを教え、キリストが私たちの中で成し遂げた驚異を心に留めさせてください。そうすれば私たちは遅滞なく、主を見出した喜び、唯一なる者との一体感、主の栄光のための神殿の生ける石としての喜びを宣べ伝えるために歩み出ることができますから」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)