☩「死者を包む布にはポケットがない、マフィアよ回心せよ」-福者プリージ神父殉教25年追悼ミサで

(2018.9.15 バチカン放送)

 イタリア・シチリア州を訪問した教皇フランシスコは15日、州都パレルモで、福者プリージ神父がマフィアに殺害されて25年を追悼するミサを捧げ、マフィアに回心を強く訴えられた。

 パレルモの海沿いの広大な公園、フォロ・イタリコには、強い日差しと暑さにもかかわらず、教皇を歓迎する市民たちが早くから詰めかけた。

 教皇は、福者プリージ神父を追悼するミサで、イエスの言葉「自分の命を愛する者は、それを失う」(ヨハネ福音書12章25節)と意味を考えるよう会衆に求め、「なぜ自分の命を愛する者は、それを失うのでしょうか」と問いかけた。

 「もちろん、それは憎悪をもって命を扱うように言っているのではありません。自分の命を愛する者とは、『エゴイスト』のことを指しているのです」としたうえで、「自分の命を愛する者は、儲けを増やし、成功を追い求め、自分の欲求を満たし、この世では『勝利者』と思われていますが、こうした人々は、イエスの目には『人生全体を失っている』と見えるのです」と話された。

 さらに教皇は「愛か、エゴイズムか、それを選ばなくてはなりません」と語り、「福音書に『一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ』(ヨハネ12章24節)」とあるように、自分の中に閉じたままのものは地中に残って終わりますが、自分を開き、命を与えるものは、地上に多くの実をもたらすことができるのです」と強調され、「神の道は、謙遜な愛の道です」とし、「愛だけが、心を中から解放し、平和と喜びを与えます」「神にとっての真の権力とは、人に仕えることです。最も大きな成功とは、『自分自身の名声』ではなく、『証し』なのです」と説かれた。

 そして、「目立たず、声高に反マフィアを叫ぶことなく、善の種を蒔き続けた」ピノ・プリージ神父の生き方を回想され、「25年前、自身の誕生日に殉教された時、ピノ神父はその勝利の冠を『微笑』で飾りました。彼を殺した犯人はその微笑のために眠ることができませんでした。犯人はこう言ったのです。『あの微笑には、一種の光が差していた』と」と語り、さらに「無防備だったピノ神父は、その微笑を通して神の力を伝え、その微笑の優しい光は、心の奥を穿ち、心の中を照らし出しました。その光は、愛と恵み、奉仕の光でした」と振り返った。

 そのうえで「私たちは(ピノ神父のように)愛を信じ、奉仕に生きる『微笑の司祭』『微笑のキリスト者』を必要としているのです」とし、「ピノ神父は危険を知っていましたが、彼が最もよく知っていたのは『人生の真の危険は、面倒なことを避ける、いい加減な生き方の中にある』ということでした」、そして「自分にさえ良ければ、何でもいい」「悪いことさえしなければ、それでいい」という考えから、神が私たちを解放してくださるように、と祈られた。

 最後に教皇は「権力の後を追わず、皆で歩むこと」の必要性を強調。次のように、マフィアの人々に対して、回心を強く呼びかけられた。

 「マフィアの人たちに言います。兄弟、姉妹よ、変わってください!自分たちと、自分たちのお金だけを考えるのをやめてください」「皆さんは知っています『死者を包む布には、ポケットがない』と。あなたたちは何も持っていくことはできないのです」「イエス・キリストの真の神に対して、回心してください。そうでなければ、皆さんの命は失われ、それは最悪の敗北となるでしょう」。

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 パレルモ市南東郊外の同地区の靴職人の家庭に生まれたピノ神父は、16歳で同市の神学校に入り、司祭に叙階されたが、1990年、小教区の主任司祭として、幼少から慣れ親しんだこの地区に戻ってきた。

 当時、地元マフィアの一族が深い影響を及ぼしていたこの地区で、ピノ神父は、子どもや若者たちの将来をマフィアの手から守るため、地道な活動を続けていたが、やがてマフィアにとって目障りな存在となり、始めは脅迫の対象に、最後は暗殺の対象となった。

(「カトリック・あい」が編集しました)

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2018年9月16日