
(2025.12.25 Vatican News Christopher Wells)
教皇レオ14世が25日朝、聖ペトロ大聖堂で主の降誕の日中ミサを捧げられ、説教の中で「御言葉が肉となられたゆえに、今や人類は語り、神ご自身と私たちとの出会いを切望する叫び声を上げています」と述べられた。
教皇が主の降誕の日中ミサを捧げられたのは30年以上前、教皇ヨハネ・パウロ二世以来のこと。説教の中で、「新たな日を迎えました!たとえまだそれを信じる者が少なくても、私たちも、この新たな始まりの一部です。平和は現実であり、すでにあなた方の間にあります」と強調。
「イエスは弟子たちを平和の使者として遣わされ、『神の子供となる力』を明らかにされた。それは、人間の肉となった御言葉に従う者たちへの力です。その御言葉は、幼子イエスにおいて現れはするものの、語ることのできない存在なのです」と説かれた。
さらに、「『肉』とは、ベツレヘムにおいてもカルワリオにおいても、言葉を持たない、根源的な裸身。まさに今日、尊厳を剥奪され、沈黙に追いやられた多くの兄弟姉妹が言葉を持たないのと同じです」とさえ、「それでもなお、神の御言葉が肉となったゆえに、人類は今や語り、神ご自身の『私たちと出会いたい』という願いをもって叫んでいます」と続けられた。
そして教皇は、「御言葉は、私たちの間にその”はかない幕屋”を張られました。そうであれば、ガザ地区で何週間も雨と風と寒さに晒されているテントのことを、どうして思い起こさないでいられるでしょう。そして、あらゆる大陸にいる数多くの難民や避難民のテントのことを。また私たちの街に住む何千ものホームレスの人々の仮設住居のことを」と問いかけられた。
また、戦争の苦しみに耐えるすべての人々、そして武器を取らざるを得ない若者たちの中に現れる「人間の肉のもろさ」にも言及され、「彼らは、最前線で自分たちに課せられた行為の無意味さと、死へと送り出す者たちの虚偽に満ちた大げさな演説に痛みを覚える若者たちです… 他者の脆さが、私たちの心に深く入り込み、その痛みが私たちの硬直した確信を打ち砕くとき、平和は、すでに始まっている—これこそが、主のご降誕が、宣教する教会に新たな推進力を与え、神の御言葉によって示された道へと促す方法なのです」と強調。
「これが宣教の道です… 他者へと向かう道。神においては、あらゆる言葉が宛てられた言葉であり、対話への招きであり、決して自己完結しない言葉です。これが第二バチカン公会議が推進した『刷新』であり、人類全体と共に歩むときにのみ、実を結ぶのです」と語られた教皇は、説教の最後に、「受肉の動きは、対話の力学です… 私たちの一方的な話が中断され、聴くことによって豊かになった私たちが、他者の人間性の前でひざまずくとき、そこに平和が訪れるのです」と強く訴えられた。