
(2025.11.9 Vatican News Isabella H. de Carvalh)
教皇レオ14世が9日、ラテラノ大聖堂奉献記念日にミサを捧げられ、信徒たちに対し「待つことの知恵を知らず、即座の結果を求めがちな世の基準から、自由であるように」と促された。 そして、「イエスは私たちを変え、神の偉大な”建設現場”で働くよう招いておられます。救いの計画に従い、知恵をもって私たちを形作られるのです… ローマには、困難を超えて育つ大きな善があります」と強調された。
ミサは、ローマ教区総代理兼ラテラノ聖堂大司祭のバルダッサーレ・レイナ枢機卿、カンプリ教区司教兼ローマ教区副総代理のレナート・タランテッリ・バッカリ司教の共同司式で行われ、約160名の司祭と10名の司教、約2700人の信徒も参列した。
*教会の使命は「活動的な信徒の共同体」となること
ミサ中の説教で、教皇は「教会の長い歴史が教えるように、謙遜と忍耐をもって、キリストを見つめ、愛を広め、宣教を推進し、宣教し、祝賀し、奉仕することのできる、真の信仰の共同体を築くために、私たち自身の中と周囲を掘り起こす必要があります」とされた。
そして、「その使徒的教導権の最初の座が、ラテラノの聖ヨハネ大聖堂なのです」と語られ、そうえで、教会の使命を「活動的な信徒の共同体」として考察された。
教皇は、313年にキリスト教徒に信仰の自由を与えたローマ皇帝コンスタンティヌスの命により建設され、数年後に教皇シルヴェリウス1世によって奉献されたこの大聖堂の重要な歴史を振り返られた。「この、すべての教会の母である大聖堂が、単なる記念碑や歴史的遺構ではなく、キリスト・イエスという礎石の上に、選ばれた尊い石で築かれた生ける教会のしるし」であることを強調。「このことは、私たちもまた、『地上の生ける石…霊的な神殿に組み込まれている』ことを思い起こさせます… 教会共同体、すなわち『信徒の共同体である教会こそが、ラテラン大聖堂に最も堅固で印象的な外形構造を与えている』のです」と、聖パウロ6世教皇の言葉を引用して説かれた。
「兄弟姉妹の皆さん。神の国の奉仕に勤しむにあたり、私たちは性急でも表面的でもあってはなりません。この世の基準に妨げられることなく深く掘り下げましょう。この世の基準は往々にして即効性を求め、待つことの知恵を軽んじるのです」。
*キリストという基礎が堅固でなければ、崩壊する
教皇は聖ヨハネ・ラテラノ大聖堂の基礎について、「その重要性は明らかであり、(注:そのことが忘れられないかと)不安を覚えるほどです」とされ、「大聖堂を築いた人々は、基礎を深く掘り下げ、多大な労力を費やして十分に堅固な土台を築いたことで、時を経ても構造物が崩れるのを防ぎました… これは有益な比喩です。私たちも、『生ける教会』の労働者として、壮大な構造物を築く前に、まず自らの内と周囲を深く掘り下げねばならないからです」と説かれた。
そして、ミサ中の第二朗読(使徒パウロのコリントの信徒への手紙一)を引用され、「誰も、すでに据えられている土台以外の土台を据えることはできない。その土台はイエス・キリストです」と指摘。
「これは、絶えずイエスとその福音に立ち返り、聖霊の働きに素直に従うことを意味します。そうしなければ、基礎が支えきれないほど重い構造物を積み上げ、崩壊の危険を招くことになります」。
*”建設現場”としての教会
続いて教皇は、ミサで読まれた福音書(ルカによる福音書)の箇所を取り上げられた。この箇所では「富と権力を持つ」ザアカイが「イエスに会いたい、という衝動に駆られ」、群衆の中にいるイエスを見るために木に登る。教皇は、「これは、徴税人として望むものは当然のように手に入れてきた者にとって、異例で不適切な行動でした… ザアカイにとって『枝をつたって登る』という行為が、『自らの限界を認め、高慢の抑制を乗り越える』ことを意味したからです。そして、結果として、彼はイエスと出会うことができ、その出会いが『新たな人生の始まり』となったのです」と語られた。
「イエスが、私たちを神の偉大な計画に参加するよう招かれる時、救いの計画に従って巧みに形作られることで、私たちは変容されます。私たちの教会的な歩みは”建設現場”という言葉で、うまく表現できます。これは活動、創造性、献身、そして時に解決すべき困難な課題をも語る美しい比喩です」。
*ローマでは、大きな善が育まれている
教皇にとって、この”建設現場”のイメージは「私たちの共同体が、カリスマを分かち合い、司牧者の導きのもとで日々成長する、現実的で実感できる努力を表している」とされ、「ラテラノ大聖堂の歴史においても、危機的な瞬間、中断、進行中の計画の修正があったことを思い起させます。それでも、先人たちの粘り強さのおかげで、私たちはこの素晴らしい場所に集うことができるのです」と述べられた。
「ローマでは、多くの人々の努力によって、偉大な善が育まれています。疲労によって、この善を認め祝うことを妨げられてはなりません。そうすることで私たちの熱意を養い、新たにすることができるのです。『行動する愛』を通してこそ、私たちの教会の姿が形作られ、彼女が『母』であり『すべての教会の母』、あるいは聖ヨハネ・パウロ二世がこの祭日に子供たちに語ったように「ママ」であることが、すべての人にとってますます明らかになるのです」。
*”シノドスの道”は実施段階、成果を”現場”で試し、評価される必要
続いて教皇は、ローマ教会が現在「”シノドスの道”の実施段階」を経験していることについて考察され、この段階では「長年の作業で熟成されたものが、今や『現場』で試され、評価される必要があります…これは困難な歩みを意味しますが、落胆してはなりません。『共に成長するための努力』を確信を持って続けていくべきです」と強調された。
*典礼の重要性
最後に教皇は「大聖堂の使命における本質的側面」、すなわち典礼について取り上げられ、「それは、教会の活動が向かう頂点であり… そのすべての力が湧き出る源。私が説教で強調したすべてのテーマはそこに集約されます—「私たちは『神の聖所』、『御霊による神の住まい』として築かれた場で、世にキリストを宣べ伝える力を受ける」。
「ですから、典礼への配慮、特にペトロの座であるこの地においては、神の民全体の手本となり得るものでなければなりません。確立された規範に準拠し、参加者の多様な感受性に配慮し、賢明な文化適応の原則に従わねばなりません。 同時に、ローマの伝統に特有の厳粛な節度を忠実に保つ必要がある。それは、積極的に参加する人々の魂に大きな益をもたらし得るものです」。
そして、教皇は、聖アウグスティヌスの『説教集』を引用され、「美とは愛にほかならず、愛とは生命… 典礼において、この真理が卓越した方法で強調されます」と語られ、「儀式の簡素な美しさが、主の体全体が調和して成長するための礼拝の価値を表現するよう、あらゆる配慮がなされること」を望まれた。そして、「ローマ大聖堂の祭壇に近づく人々が、主が『世界に注ぎたい』と願われる恵みに満たされて去っていくこと」を願われた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)