(2023.7.9 VaticanNews Lisa Zengarini)
教皇フランシスコは9日、年間第14主日の正午の祈りの説教で、神が成し遂げた偉大な事柄や、静かに世界を変える善行に「感動」するよう、信徒たちに勧められた。
教皇は、この日のミサで読まれた福音の箇所(マタイ11章25-30節)に記された、「御業のすべてを、喜んで受け入れる方法を知っている”小さな者たち”に明らかにされた主に感謝されるイエスの御父に対する言葉」を深く味わうように、すべての信徒に促され、さらに、「私たちの周囲の神の働きに、子供のように驚嘆しているか。それとも、ただ見過ごしているのか」を自問するように求められた。
また教皇は、このイエスの御父への言葉の直前の箇所で、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、規定の病を患っている人は清められ、…貧しい人は福音を告げ知らされている」(マタイ11章5節) )としつられているのに注目され、「主がご自分の業のいくつかを思い起こされ、それらが、この世で神が働いておられるしるしであると語られ、その意味を明らかにされたのです」と指摘された。
そして「ですから、福音のメッセージは、はっきりしています。神は、無償の愛によって人を解放し、癒すことによってご自身を現されるのです」とされ、 「イエスは父に感謝しておられます。なぜなら、イエスの偉大さは愛にあり、愛を離れては決して働かないからです。だが、神の愛と働きの偉大さは、自分が『偉大だ』と思い込み、『頑固で、融通が利かず、執念深い自分の姿』に似せて神を捏造する人々には理解されません」と指摘。
さらに、「自分のことを考えることで頭がいっぱいで、自分を誇り、自分の利益だけを考え、『自分には誰の助けも必要ない』と思い込んでいる人は、神を『父』として受け入れることはできません。 イエスは、当時反映していた3つ都市、コラジン、ベツサイダ、カペナウムの住民の名前を挙げましたが、これらの都市は、神の偉大な業を、どのように歓迎すればよいかを知らなかった」とされた。
そのうえで、「 神の偉大な業を受け入れることができるのは、”小さな人たち” ”幼い子供たち”。彼らは、どうやって神の業を受け入れたらいいか、を知っている。そのことをイエスは御父に感謝し、彼らを『心に思い上がりや自己愛がない純朴な人々』であり、『神に心を開き、神の御業に驚くことができる人々』と賛美されたのです」と説かれ、「このような人々が取った振る舞いこそ、「神の業の前に正しい行動なのです。神の業に『感銘』し、それが、多くの『善行』を通じて、私たちの生活の中で育っていくようにすることです」と強調された。
説教の 最後に、教皇は世界の信徒たちに対して、「ニュースの洪水に圧倒される昨今の状況の中で、私たちは、世界を静かに変えていく善行に、どうしたら子供のように驚嘆できるか知っているだろうか」「神の恵みに、日々、感謝しているだろうか」と自問するように勧められた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)