改☩「対話に基ずく外交が、力と戦争の論理に取って代わられつつある」-教皇、外交団への年頭挨拶で警鐘

(2026.1.9  Vatican News)

 教皇レオ14世は、9日、教皇就任後初となる在バチカンの外交団への年頭挨拶で、「戦争が再び”流行”し、外交が『力と戦争の論理』に取って代わりつつあり、『人権と自由』が圧迫されている」と警告。「外交における謙虚さ、対話、そして多国間主義への新たな取り組み」を強く訴えられた。 挨拶で教皇は、「対話に基づく外交が、力と戦争の論理に取って代わられつつあり、国際共存の基盤が着実に損なわれています。第二次世界大戦後に確立された『国家が武力行使で他国の領土を侵犯することを禁じる原則』が完全に損なわれています」と語られ、「このような考え方が、あらゆる平和的市民共生の基盤である法の支配そのものを、深刻に脅かしています」と世界の現状に強い懸念を示された。

 そして、第二次世界大戦後に確立された「武力による他国の領土への侵犯を禁じる」という原則が弱められていることを嘆かれ、「平和が、自らの支配を正当化する手段としての武器によって、壊される傾向が強まっています」と訴えられた。

 さらに、「傲慢、権力、安全」という幻想について考察した聖アウグスティヌスの著書『神の国』を引用し、「戦争を仕掛ける者でさえ、究極的には平和を望んでいます。ただし、その平和は、『共有される善としての平和』ではなく、『独占する平和』です。アウグスティヌスは言います。『彼らは平和そのものを望んでいるのではなく、自らが望む平和だけを望んでいるのだ』と」と語られた。

 教皇が示唆したのは、まさにこの”歪み”が20世紀に人類を破滅へと導いた、という事実だ。教皇は「その悲劇を繰り返さないようにと生まれたのが国連であり、80年前に『平和の維持、基本的人権の擁護、持続可能な開発の促進』を目的とした多国間協力の中心として設立されたのです」と指摘された。

 また、戦争の具体的な代償として、特に民間人が標的となり、重要インフラが破壊される現状に注意を向け、「国際人道法の重要性に特に注目してほしい。単なる状況や軍事的・戦略的利益に依存してはなりません。人道法は『国家が順守の責任を負う約束』であり、常に交戦者の野望よりも優先されねばならないのです」と強調。

 「病院、エネルギー・インフラ、住宅、日常生活に不可欠な場所への攻撃は、人道法に重大に違反する行為です… 道徳的基準は”利益”ではなく、尊厳。人間の尊厳の不可侵性と生命の聖性という原則の保護は、いかなる国家利益よりも常に優先されねばなりません」と言明された。

 

*世界的な危機が続いている、ウクライナ、ガザ、スーダン、ミャンマ―…即時停戦を

 

 教皇はこの道徳的枠組みに関連して、世界の具体的な危機を取り上げ、「ウクライナで続く戦争と民間人の苦難」に言及。「即時停戦の緊急性」を再確認され、「平和への道筋を誠実に模索する意思に基づく対話」の実施を関係国指導者たちに強く求め、バチカンが「平和と調和を促進するあらゆる取り組みを支援する用意をしている」ことを改めて表明した。

聖地で、昨年10月に停戦が宣言されたにもかかわらず、民間人が「深刻な人道危機」に直面し続けていることにも言及され、ガザ地区のパレスチナ人に「永続的な平和と正義の未来」を保証する取り組みの必要を再確認し、「二国家解決案がパレスチナ人とイスラエル双方の願望を満たす制度的展望であり続けること」を強調。西岸地区におけるパレスチナ民間人への暴力増加を嘆かれ、彼らの「自らの土地で平和に生きる権利」を擁護された。

さらに「カリブ海及びアメリカ太平洋沿岸における緊張の高まり」への懸念を表明され、平和的解決の必要性を改めて訴えた。ベネズエラの危機にも言及し、国民の意思尊重と人権・市民権の保護を求めた。昨年10月に列聖されたベネズエラ人聖人ホセ・グレゴリオ・エルナンデスとカルメン・レンディレス修道女の証しを引用し、「正義、真実、自由、友愛」に基づく社会構築の模範として示された。

ハイチの暴力と不安定化についても言及され、具体的な国際支援を求めた。同様に、アフリカのグレートレイクス地域、スーダンと南スーダン、東アジアの緊張、そして昨年3月の地震で悪化したミャンマーの人道危機にも触れ、「平和と包括的対話」ならびに人道支援へのアクセスを求められた。

 

 

*核リスクへの対処とAIの倫理的ガバナンスの必要

 

 教皇は、こうした危機の根底には「平和は武力と抑止力によってのみ可能だ」という根強い信念があると指摘した。しかし平和は、特に破壊能力が最も高い者たちによって、絶え間ない構築と警戒を必要とするのだと警告した。 教皇は核軍縮の緊急性を強調し、新START条約が今年2月に期限切れとなることを指摘。AI(人工知能)によって形作られる兵器を含む、高度化する兵器による軍拡競争への回帰を警告した。AIは「適切かつ倫理的な管理」を必要とし、自由と人間の責任を保護する規制枠組みが不可欠だと述べた。

 

 

*移民、囚人の扱い、そして司法制度に「聖年の精神」が影響を与えるように

 

 教皇の尊厳擁護は移民と囚人にも及んだ。この二つの集団はしばしば人間ではなく問題として扱われる。

 「あらゆる移民は人間である」と教皇は述べ、したがって「あらゆる状況で尊重されなければならない不可侵の権利」を有すると強調した。全ての移住が自発的な選択ではない。多くの人々が「暴力、迫害、紛争、さらには気候変動の影響」から逃れていると説明した。国際移住機関(IOM)創設75周年を記念し、教皇は犯罪や人身取引対策が「移民や難民の尊厳を損なう口実」になってはならないと警告した。

 また受刑者について言及し、彼らは「決して犯した犯罪に還元されるべきではない」と主張され、教皇フランシスコの聖年恩赦の呼びかけに応じた各国政府に謝意を示し、聖年の精神が司法制度に、恒久的かつ構造的に影響を与え、人道的な環境と比例した刑罰を保証することを期待する」と述べられた。

 とりわけ、教皇は「赦しと再生の希望をすべて破壊する」と表現した死刑制度の廃止がこれに含まれると強調。「多くの国で政治的理由で拘束されている囚人たちを忘れることはありません」とも述べられた。

 

*言葉が現実との繋がりを失い、人を欺き、攻撃し、傷つける武器に

 

 教皇の挨拶のもう一つのテーマは、「言葉」そのものへの警鐘だった。言葉の弱体化、操作、そして害をなす道具への変質だ。

 「言葉の意味を再発見することは、おそらく現代の主要な課題の一つだ」とされ、「なぜなら言葉が現実とのつながりを失う時、現実そのものが議論の余地のあるものとなり、最終的には伝達不能なものになるからです」と語られた。

 教皇は聖アウグスティヌスが、共通の言葉を持たいまま共にいることを強いられた二人の人間を、どのように描写したかを想起され、「無言の動物たち…この二人の人間よりも互いを理解しやすい、とアウグスティヌスは語っています。実際、人は外国人と話すより、自分の犬と会話する方がずっと楽です!」と逆説的に述べられた。

 しかし教皇は、「今日の語義の曖昧さは、単なる偶然ではない」とされ、「言葉はますます、欺くための武器となり、あるいは敵を攻撃し傷つける武器となっています」と警告。言葉が「明確で異なる現実を疑いなく表現する」ように、家族、政治、メディア、ソーシャルメディア、国際関係において真の対話が再開されるように、と訴えられた。

 そして、「この言葉の弱体化はしばしば、表現の自由の名のもとに擁護されますが、よく見れば真実は逆です。なぜなら言葉が真実に基づいている時こそ、自由は守られるからです」と語られ、「特に西洋において、真の表現の自由の空間が急速に縮小している様子を見るのは痛ましい。他者を迎え入れるように見せながら、結局は順応しない者を排除してしまう」とされ、「新たなオーウェル的な言語」の危険性に警鐘を鳴らされた。

 

 

*「良心の自由」と「信教の自由」が危機に瀕している

 

 続いて教皇は、現代社会で脅威に晒される権利-良心の自由と信教の自由-に話題を移され、まず「良心の自由」に関連して、良心的兵役拒否を「尊厳を守る手段」として支持し、「良心的兵役拒否は反抗ではなく、自己への忠実な行為です。これは自由な社会が画一性を強いるのではなく、良心の多様性を守る、という真実を反映し、権威主義的傾向を防ぎ倫理的対話を育みます」と述べられた。

 「信教の自由」については、ベネディクト16世教皇の言葉を引用する形で「信教の自由」を「あらゆる人権の第一」と位置付け、「世界中で(信教の自由への)侵害が増加しており、世界人口の64%がこの権利の深刻な侵害に苦しんでいます」と指摘。

 「聖座はキリスト教徒への完全な尊重を求めます。他の全ての宗教共同体についても同様です」とされ、第二バチカン公会議の公文書『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言(Nostra Aetate=私たちの時代に)』公布60周年に際し、あらゆる形態の反ユダヤ主義を断固として拒否する姿勢を再確認し、ユダヤ教とキリスト教の対話及び共通のルーツの深化の重要性を訴えられた。

 さらに、「キリスト教徒への迫害は、今日最も広範な人権危機の一つであり、全世界で3億8千万以上の信徒が深刻な、あるいは極度の差別と暴力に直面しています」と語られ、バングラデシュ、サヘル地域、ナイジェリアでの暴力被害者、昨年6月にダマスカスの聖エリアス教会で起きたテロ攻撃の犠牲者、モザンビーク・カボデルガドでのジハード主義者による暴力の犠牲者を悼まれた。

 また、キリスト教徒が多数派を占める社会、特にヨーロッパやアメリカ大陸においても、キリスト教徒が福音宣教を制限されるなど、「微妙な差別が存在する」ことを指摘。特に「最も弱い立場にある人、胎児、難民、移民の尊厳を守り、家族を擁護する活動を行う際に、制限が加えられることが起きています」と述べられた。

 

 

*あらゆる権利の基盤、「生命の権利」が侵害され、暴力と抑圧の余地が生まれている

 

 教皇は、「生命の権利が他のあらゆる権利の基盤であること」を再確認され、「この権利が、現実や真実から切り離されると、現代の人権の枠組みは活力を失う危険があります」と警告された。

 そして、「現在の状況をみると、人権の『短絡』が実際に起きています… 言論、良心、信教、さらには生命といった根本的に自由であるべきものが、いわゆる”新たな権利”の名の下に」制限され、暴力と抑圧の余地が生まれています」と批判された。

 さらに、家族が「人間が愛と生命への奉仕を学ぶ特権的な場」であるにもかかわらず、世界的に家族の役割を軽視する傾向が強まり、困難や家庭内暴力に苦しむ脆弱な家族の痛ましい現実が顕著になっている、とも指摘。 「生命の起源を否定または搾取する行為や、それを助長する計画に対し、教会は断固として拒否することを改めて表明され、「公的資源は、生命を抑制するのではなく、母と家族を支えるべきです」と訴えられた。

 

 

*だが、希望の兆しはある、平和の種を育てよう!「謙虚で平和を愛する心」を持とう!

 

 このような深刻な世界の現状分析のうえで、教皇は「平和は、困難ではあるが現実的な善であり続けます」と言明され、アウグスティヌスの言葉を引用して、平和を「私たちの善の目標」と呼び、「地上の都の中にあってさえ、神の都を予感させるもの」と強調。

 そして、平和構築には「真実を生きる謙虚さと、赦す勇気」が必要であり、これらの美徳は、真理が謙虚な肉となる主の降誕の祭りと、裁かれた義人が赦され、復活者として命を与える主の復活の祭りに示されている、と指摘された。

 挨拶の締めくくりに、教皇はまた、希望の兆しの具体例として、三十年前にボスニア・ヘルツェゴビナ戦争を終結させたデイトン合意(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ和平一般枠組み合意)、昨年八月署名されたアルメニアとアゼルバイジャンの共同平和宣言、そしてベトナム当局による聖座との関係改善努力、を挙げ、「これらは”平和の種”であり、育てねばなりません」と訴えられた。

 そして、平和と対話の人であるアッシジの聖フランシスコの没後800年を迎える今年10月を見据え、謙虚さと真実の証人である聖人の模範を呼び起こし、新しい年に入った全ての人々に、「謙虚で平和を愛する心」を願って締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2026年1月9日