
(2025.12.14 Vatican News Kielce Gussie)
受刑者の聖年における主日、14日のミサでの説教で、教皇レオ14世は、受刑者と刑務所関係者双方に対し、「希望を持ち続けるように」と呼びかけられるとともに、「人はその行いだけで定められるものではない。『正義』とは常に償いと和解の過程です」と訴えかけられた。
待降節第三主日(ガウデテの日)にあたるこの日、教皇は聖ペトロ大聖堂でのミサ中の説教で、「ガウデテ(喜びなさい)」という言葉について考察され、「この『喜び』の主日が、『待ち望むこと』の明るい側面、すなわち『素晴らしいこと』『喜びに満ちたこと』が起こる、という信頼を私たちに思い起させます」と説かれた。
12月14日はまた、刑務所での生活、受刑者、そして刑務所に関わるすべての人々にとっての「希望の聖年」の日でもあった。教皇は、昨年12月26日に前任の教皇フランシスコがレビビア刑務所にある「我らの父」教会で聖なる扉を開かれた際、すべての人々に呼びかけられたことを想起された。
「その呼びかけは二つの側面を持っていました。第一に、『希望』という錨(いかり)で綱を握りしめよ。第二に、心の扉を大きく開け放て、でした。この錨は、永遠に向けられたものであり、アルゼンチン出身の教皇が、私たちを待ち受ける命のために信仰を生き続けさせるように、と呼びかけておられるのです」と指摘。「教皇フランシスコはまた、皆が「自分たちが暮らす社会の中で、正義と慈愛の働き手となるように、と促されます」と語られた。
*この聖年は、たとえ困難な状況にあっても、希望と喜びの源
今月で「希望の聖年」が終わりを迎えるにあたり、教皇は「これまでなされてきた努力にもかかわらず、刑務所の世界には、まだ多くの課題が残されています」とされ、「最善の意図さえも、多くの障害に直面する可能性がある。しかし、まさにその理由から、私たちは皆、疲れや落胆に陥ることを避けねばなりません。忍耐強く続ける必要があります。多くの人々は、『転んでも、必ず再び立ち上がれる』ことをまだ理解していませんが、人は自らの行いによって定められるものではなく、正義とは常に修復と和解のプロセスなのです」と強調。
「たとえ最も困難な状況にあっても、感受性や他者への配慮、敬意、慈悲、赦しが育まれる安全な場を創り、守り続けるなら、美しい花が咲き、刑務所の壁の内側でさえ、人間性にあふれた独自の行動やプロジェクト、出会いが実を結ぶのです」と受刑者たちを励まされた。
さらに、「自由を奪われた生活を送る人々にとって、これが不可欠ですが、受刑者に対する正義を担う人々にとっても、同様に重要です… この聖年は、回心の呼びかけであり、まさにそのために、希望と喜びの源なのです」と説かれた。
*思いやりを中心に据える
そして、「これを実現するためには、まずイエス、その人間性、そして神の王国に目を向ける必要があります。そこには、神の非凡な介入によって奇跡が起こり得るという示唆が込められているからです。しかしながら、それらは、私たち自身、私たちの思いやり、私たちの注意、私たちの知恵、そして私たちの共同体や機関の責任に、委ねられているのです」と指摘。
「私たち全員があらゆる分野において―そして今日特に刑務所に焦点を当てながら―思いやりに強く根ざした新たな価値観に基づく社会を育むよう招かれています」とされ、このために、教皇フランシスコがこの聖年に「恩赦や刑罰の減免といった措置が、人々が自分自身と社会への信頼を取り戻す助けとなるよう」望まれたことを指摘された(教皇勅書『希望は裏切らない』10項)。
*私たちは決して一人ではない
12日の福音は、ユビレア(聖年)の聖書的起源に触れている。それは「恵みの年」であり、誰もが新たな出発の機会を与えられたのだ。この箇所は、人々に回心を促し、洗礼を受けるよう呼びかけた聖ヨハネを反映している。彼は率直で誠実であると同時に、慈悲深く理解に満ちた人物だった。
教皇は、神が、受刑者と刑務所社会を担う人たちの双方に託された困難な任務、彼らが取り組むべき数多くの課題を指摘され、具体的に「収容者の過密、更生のための安定した教育プログラムの確保への取り組みの不十分、そして就労機会の不足」を挙げられた。
そのうえで、「より深い次元では、『過去の重荷と向き合い、癒すべき傷、失望、これらの段階を達成』するための忍耐、そして『諦めたい』という誘惑といった課題も存在します。これらの困難は解決しがたい、と感じられるかもしれませんが、神は、聖書の中で励ましを与えてくださいます。『誰も失われることがないように』と繰り返し、すべての人々が『救われる』ことを願っておられます」「誰もが救われることこそが、私たちの神が望まれること、神の御国、そしてこの世における神の御業が目指すところなのです」と強調された。
説教の最後に教皇は、主のご降誕の日が近づく中で「すべての人々にこの夢に向かって歩むように」と呼びかけ、「最も困難な時でさえ、私たちは一人ではありません。主は近くにおられ、私たちと共に歩んでくださいます。主がそばにいてくださるなら、必ず、素晴らしい喜びに満ちたことが起こるのです」と人々を励まされた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)