Pope Leo arrives in St Peter’s Square (@Vatican Media)
教皇レオ14世は10月31日、聖ペトロ広場で開かれた「教育界の聖年」記念式典で世界中から集まった1万5千人の教師と学生と会見。教師たちに、生徒の「内なる自己」と向き合うよう呼びかけ、彼らとの深い出会いがなければ、「いかなる教育提案も失敗に終わる」と忠告された。
挨拶で教皇は、自身がアウグスチノ会系教育機関で教師を務めた経験に基づいて語られ、聖トマス・アクィナスの教義における四つの核心的側面—内面性、一致、愛、喜び—が、キリスト教教育の要石であり、これらを教育実践の「鍵となる要素」とするよう促された。
そして、「それは『母であり教師である教会』の姿を体現する助けとなると信じています。そうした教会は、あなたがたが教育に捧げる多くの生徒や学生たちのために存在するのです」と強調された。
*「内面性」-真理は人間的な深い出会いを通じて伝えられる
聖トマス・アクィナスの教義における四つの核心的側面のうち、まず「内なるもの」について 、教皇は、聖アウグスティヌスの言葉「私たちの言葉の音は耳に届くが、真の教師は内なるもの」を引用し、「美しい言葉や設備の整った教室、実験室、図書館さえあれば教えられる、と思うのは誤りです。これらはあくまで手段であり、”物理的空間”に過ぎません。有用ではあるが、真の教師は”内なる存在”です… 真理は、音や壁や廊下を通じてではなく、人間同士の深い出会いを通じて伝えられる。そのような出会いがなければ、あらゆる教育の試みは失敗に終わります」と注意された。
教皇は続けて、「現代の学生たちは、自らの内面に触れるための助けを必要としています」とされ、「”スクリーン”と”技術的フィルター”に支配された世界における表層性の課題」を提起。
教育者たちでさえ、「しばしば疲弊し、事務的な業務に押しつぶされそうになり、聖ヨハネ・ヘンリー・ニューマンの『心は心に語りかける(cor ad cor loquitur)』や、アウグスティヌスの『外を見よ、ではなく、己に帰れ。真理は内に宿る』と言う勧めを忘れ去る危険にさらされています」とされ、「この二人の言葉は、教師と学習者が共に歩む旅路を見出すよう促しています。そして、見出した後も、なお求め続けねばならないことを自覚する必要があります」と説かれた。
そして、「この謙虚で共有された努力こそが、学校という場で教育プロジェクトという形を取るこの努力こそが、生徒と教師を真理に近づけるのです」と強調された。
*「一致」は、キリストにおいてのみ実現する
四つの核心的側面のうちの二つ目、「一致」について、教皇は「キリストにおいてのみ、私たちは、頭(キリスト)に結ばれた肢体として、そして生涯にわたる学びの道程を共に歩む仲間として、真の一致を手にする… 聖アウグスティヌスの著作に顕著な『共にある』は、自己中心的な性向への挑戦として、また成長への刺激として、教育の文脈において基本とされるべきものです」と語られた。
*「愛」を伴うことで、教育は真に実りあるものとなる
三つ目の「愛」については、「教えるためには、知識を共有するだけでは不十分です。愛がなければなりません。教育は愛から切り離せない」とされ、「現代社会の問題の一つは、この点で教師や教育者が社会に果たす、計り知れない貢献を、私たちが十分に評価しなくなったことです」と指摘。
「愛が伴って初めて、教育は真に実りあるものとなる。その内容だけでなく、慈愛を実践することで、です」と強調された。
*「喜び」-教師のあるべき姿は教え子の魂に眠る笑顔を目覚めさせること
四つ目の「喜び」について、教皇は、教師のあるべき姿は、「笑顔をもって教え、生徒たちの魂の奥深くに眠る笑顔を目覚めさせることにあります」と述べ、「現代の教育現場には、あらゆる年齢層に広範な内面の脆弱性の兆候が増している。そうした助けを求める沈黙の叫びに耳をふさいではなりません。その根源的な原因を特定するよう努める必要があります」と訴えられた。
*AIは「他者は要らない」という幻想を抱かせる危険・人間的関わりが教師の役割
最後に教皇は、急激な普及、進化が進むAI(人工知能)が教育に与える影響を取り上げ、「技術的で冷たく画一的な知識によって、既に孤立している生徒たちをさらに孤立させ、『他者を必要としない』という幻想、さらに悪いことに、『自分は他者との関わりに値しない』という幻想を抱かせる危険性があります」と警告。
こうした状況における教育者の役割は「人間的な関わりにあります… (若い人たちに)教育をすることの喜びは深く人間的なものであり、魂を融合させ一つにする炎なのです」と説かれた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)