(2026.3.15 Vatican News Devin Watkins)
教皇レオ14世は15日、四旬節第4主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたヨハネ福音書の、生まれつき目の見えない人を癒されたイエスの物語(9章1-41節)について考察され、「信仰は、神が見ておられるように人類とその苦闘を見ることを教えてくれます」と語られた。

教皇は「ここで書かれた出来事には『救いの神秘』が示されています。人類が闇の中に住んでいた時、神の御子が私たちの目を開くために来られたからです」とされたうえで、「この物語に登場する男性と同じように、私たちもまた、その深さを理解する能力をはるかに超えた『命の神秘』に対して、生まれつき盲目でした。だからこそ、神はイエスにおいて肉となったのです」と指摘。
「それは、神の恵みの息吹によって形作られた私たち人間という”土”が、新たな光を受け入れられるようにす
るためでした。その光は、私たち自身や他者、そして神を真実のうちに見ることを助けてくれるものなのです」と説かれた。
また教皇は、信仰は「暗闇の中への飛躍」のようなものだ、という言葉を思い起こされ、「これは、信仰が、実際には目を閉じて、”盲目的”に信じることを意味することを示唆しています。キリストとその愛との触れ合いこそが、私たちの目を、かつてないほどに開かせてくれるのです… 信仰とは、盲目的な行為でも、理性の放棄でも、あるいは世界から目を背けさせるような、ある種の宗教的確信への逃避でもありません。信仰は、私たちが物事を『イエスご自身が、ご自身の目で見ているように』見られるよう助けてくれるのです」と強調された。
そして、「他者の苦しみや人類を傷つける苦難が見えるよう、キリスト教徒に目を開くよう呼びかけた。
「暴力がいっそう世界に蔓延する中、キリスト教徒は、周囲の不正や暴力、苦しみにあってもなお、『警戒し、注意深く、預言的な信仰』を証ししなければなりません。世界の闇に、私たちの目を開かせるべきです。そして、平和、正義、連帯への献身を通じて、他者に福音の光をもたらすべきです」と説かれた。
説教の最後に教皇は、聖母マリアが取り成し、キリストが私たちの心を開き、私たちが単純さと勇気をもってキリストを証しできるよう助けてくださるように、と祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)