(2025.12.24 Vatican News)
24日、聖ペトロ大聖堂で行われた主の降誕の祝日の夜半ミサで、教皇レオ14世は、信者たちに「ご降誕の喜びを告げ知らせ、信仰と慈愛と希望の祝祭として祝うように」と促された。
教皇はミサ中の説教で、ルカによる福音書に記されている、夜空を照らし世界の人々を驚かせた輝く星、「新たに灯され、命の輝きを放つ火花」を思い起こされて、語られた。
「暗闇の中を歩んでいた民は、大いなる光を見た。深い闇の地に住んでいた者たちの上に、光が輝いた。今日、ダビデの町に、救い主、すなわちメシア、主がお生まれになりました… 時と空間の中へ、私たちのただ中へ―私たち無しには存在し得ないお方が来られます。私たちのために御自身の命を捧げられる方が、私たちの間に住まわれ、救いの光をもって夜をお照らしになります。この星が照らさない闇は存在しません。その光によって、すべての人類が新たに、永遠の命の夜明けを仰ぎ見るのです」。
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私たちの間に住まわれる神
そして、「イエスの誕生で、神は、私たちを『あらゆる罪から贖い、ご自身の民を清める』ために、ご自身そのものを与えてくださいました… そして、救い主を見つけるために、飼い葉桶の中にいる神を見出すために、私たちの足元を見なければなりません」とされ、「神の全能は、幼子の無力さの中に輝き、永遠の御言葉の雄弁さは、幼子の生まれて初めての泣き声に響き渡り、聖霊の聖性は、洗われ、おくるみに包まれた小さな身体に光を放つのです」と語られた。
教皇はさらに、「この幼子が必要とする慈しみは、父の子がすべての兄弟姉妹と共に歴史を分かち合うからこそ、神聖なものとなります… イエスから発せられるこの神聖な光が、あらゆる新たな生命の中に人間性を認める助けとなる… 私たちの盲目さを癒すために、主は、世界の創造の時から始まった愛の計画に従い、ご自身の真の姿を表す全ての人の中に自らを現すことを選ばれた。ベネディクト16世教皇が語られているように、人に場所を与えるなら、そこには神の場所もあるのです」と説かれた。
幼子イエスにおける新たな命
続けて教皇は、神が幼子イエスをめぐる、私たちを惹きつける愛の物語の中で、「世界に新たな命、すなわちご自身の命を与える『ご降誕の知恵』に畏敬の念を抱くように。神は、人々の期待に応え、希望の言葉となる幼子を遣わされます。貧しい人々の苦しみに直面し、再び立ち上がる力となる無防備な者を遣わされます。暴力と抑圧の前に、この世のすべての子らを救いで照らす優しい光を灯されます… 神は私たちと同じ姿となり、あらゆる人の無限の尊厳を明らかにされるのです」と強調。
そして、「これは、他者を支配するために”神”になろうとする人間が存在する世界とは、対照的です。キリストの御心には
、天と地、創造主と被造物を結ぶ愛の絆が脈打っている。この現実を認識することが、私たちの歴史を変え、神の慈悲と愛の光を輝かせる鍵なのです」と語られた。
喜びは咲き誇り、人生は変わる
また教皇は、昨年この日に聖ペトロ大聖堂の聖なる扉を開き聖年開始を宣言したフランシスコ教皇の言葉を引用する形で、「イエスの降誕は、『希望が失われた場所に、希望をもたらす』という『賜物と使命』を私たちに再び燃え立たせます。なぜなら『イエスと共に喜びは咲き誇り、イエスと共に人生は変わり、イエスと共に希望は裏切られない』からです」と言明された。
主のご降誕の喜びを分かち合う
説教の最後に教皇は、信者たちに「信仰と愛と希望の祝祭である主のご降誕の喜びを体験し、分かち合うように。信仰において『神が、処女から生まれ人となられる姿』を見出し、愛においては『贖いの御子の賜物が兄弟愛による自己献身において実現されること』を体験するのです。 そして私たちは主のご降誕の希望を
祝います。それは、幼子イエスが私たちの内に光を灯し、私たちを平和の使徒としてくださるからです」と強調された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)