教皇レオ14世は12日、復活節第二主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日、「神の慈悲の日」の福音に注意を向けられ、「信仰を支える上でミサと聖体拝領が果たす中心的な役割」を強調された。
教皇はまず、この日のミサで読まれたヨハネ福音書20章19~31節に記された復活8日目のキリストと使徒トマスの出会いを取り上げ、この出会いが共同体の中で起こったことに注目、「この場面は、私たち自身と復活したイエスとの出会いを省みるよう勧めています」と述べられた。
そして、信徒たちに、「どこで彼を見いだせるのでしょう? どうすれば彼を認識できるのでしょう? どうすれば信じることができるのでしょう?」と問いかけられたうえで、「信仰は、いつも即座に得られるものでも、容易なものでもありません。それがトマスにとって容易ではなかったように、私たちにとっても容易ではない。そして、(得られた)信仰は養われ、支えられねばならないのです」と強調。
「そのために、教会は、信徒たちに対し、毎週日曜日、すなわち「(キリスト復活から)8日目」に集い、聖体祭儀を祝うよう勧めている。それは、ミサの中で、私たちがイエスの御言葉を聴き、祈り、信仰を告白する……御聖体と御血が私たちを養い、私たちもまた、主の復活の証人となれるようにするためです」と説かれた。
教皇はさらに、「日曜のミサへの参加は不可欠であり、です聖体拝領は、キリスト教徒の生活にとって不可欠なものです」と述べられ、初期教会の証しについて、聖体拝領を放棄するよりも死を選ぶことを選んだアビテネの殉教者たちを挙げ、「彼らは、主の日を祝わずに生きることはできない、と答えました」と指摘。
「信仰が育まれ、強められるのは聖体祭儀においてであり、そこで信者たちは一つの体の成員として結ばれる。そこにおいてこそ、私たちの限られた努力が神の恵みによって結ばれるのです…全人類を包み込む一つの偉大な救いの計画を実現するために」と語られた。
また教皇は、ミサの宣教的側面を強調され、「その(宣教という)言葉自体が『送り出す』ことを意味しています。キリスト教徒は、受けた恵みを日々の生活の中に取り入れ、『愛の証人』、『和解の使者』となるよう召されているのです」と強調された。
説教の演説の締めくくりに、教皇は次のように述べられた―「平和をこれほどまでに必要としているこの世界において、私たちはこれまで以上に、復活された主との聖体祭儀における出会いに、揺るぎなく忠実であり続けることが求められています」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)