☩「主は人となられ、全ての人の不可侵の尊厳を認め、互いの愛をもって自らを捧げることを私たちに求める」ー降誕節第二主日正午の祈りで

(2026.1.4 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇レオ14世は4日、降誕節第2主日の正午の祈りに先立つ説教で、信者たちを幼子キリストに近づくよう招くとともに、「真の神への礼拝には人類への配慮が不可欠」と強調された。

 説教で「主の降誕の喜びが、私たち歩みを支え続ける力となることをを願います」と、聖ペトロ広場に集まった人々に改めて主の降誕の祝福をされるとともに、6日の「主の公現の祝日」に聖ペトロ大聖堂の聖なる扉が閉じられることで「希望の聖年」が幕を閉じることを確認された。

 続けて教皇は、「私たちが今も経験している主の降誕の神秘は、私たちの希望の基盤が神の受肉にあることを改めて思い起こさせます」と述べられ、この日のミサで読まれた聖ヨハネの言葉「御言葉は肉となり、私たちのうちに宿られた」(ヨハネ福音書1章14節)を引用する形で、「キリスト教徒の希望は楽観的な予測や人間の計算に基づくのではなく、神が私たちの歩みを共に歩むことを決めたこと、つまり『人生の旅路は、決して独りでたどることがない』という確信に根ざしている」と強調。

 「これが神の働きです。イエスにおいて、神は、私たちの仲間の一人となり、私たちと共に留まることを選ばれ、永遠に『私たちと共にいる神』であることを望まれたのです」と語られた教皇は、さらに、「私たちの希望は、人間の弱さの中に現れたイエスの到来によって、再び燃え上がります」とされた。

 さらに、「それは私たちに神と隣人に対する『二重の責務』を託します… 神が肉となり、私たちの弱さを住まいとされた以上、私たちは抽象的な教義からではなく、イエスの肉体から、神について考える方法を再考するよう求められているのです」と説かれた。

 「だからこそ、私たちの霊性と信仰表現の在り方を絶えず検証し、それらが『真に受肉したもの』だということを確かめねばなりません…これは、イエスにおいて私たちと出会う神を正しく黙想し、宣べ伝え、祈ることを必要とします」と指摘。 「神は、私たちの頭上に存在する『完璧な天界の遠い神』ではありません。むしろ近くにおられ、私たちの脆い地上に住まわれ、兄弟姉妹の顔に現れ、『日常生活の状況の中で自らを現される神』なのです」と強調された。

 また教皇は、「全ての男女に対する私たちの献身もまた、一貫していなければなりません… 神が私たちの仲間の一人となられた以上、全ての人間は、神を映し出し、神の像を帯び、神の光の火花を宿している。そして、これは、あらゆる人の不可侵の尊厳を認め、互いの愛をもって自らを捧げることを、私たちに求める。それは兄弟愛と交わりの促進への具体的な取り組みを必要とし、連帯があらゆる人間関係の基準となることを可能にするのです」と訴えられた。

 そして、「神は肉となられた。ですから、人類への配慮なくして、真の神への礼拝はありえません」と言明された。

 説教の最後に「主の生誕の喜びが、私たちが旅路を歩み続ける励みとなりますように」と祈られ、聖母マリアに、「神と隣人への奉仕に、私たちがますます備えることができるように」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2026年1月5日