☩「ラザロのように、私たちも主の呼びかけを聞き、新しい命へと導かれますように」-教皇、四旬節第5主日の正午の祈りで

(2026.3.22 Vatican News)

 教皇レオ14世は22日、四旬節第5主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたラザロの復活に関するヨハネ福音書の箇所について考察され、「私たちを命の充満へと招き、神の恵みによって新たにされ、愛の光の中を歩み、神の限りない慈愛を映し出すように、と求めておられることを示している」と語られた。 主によるラザロの復活について、教皇は「キリストの死に対する勝利と、洗礼を通じて私たちが受ける永遠の命の賜物を語るしるし」とされ、「イエスはラザロの姉妹マルタに語られたのと同じように、今日、私たちに「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて、私を信じる者は、決して死ぬことがない、と語られているのです」と説かれた。

 そして、「聖週間前の最後の主日の福音朗読は、主の受難の出来事―エルサレムへの入城、最後の晩餐、裁判、十字架刑、埋葬―を再び体験する聖週間の備えでもあります」とされ、「こうして私たちは、自らを準備し、一連の出来事の重要性と意味をより深く理解し、それらがもたらす恵みの賜物に心を開くことができるのです」と強調。「これらの出来事は、死を打ち破り、私たちの救いと命の充満のために、洗礼を通して私たちの内に生きておられる復活のキリストにおいて成就するのです」と語られた。

*世界を照らす恵み

 教皇はまた、「神の恵みが世界を照らしている」ことを信者たちに思い起こさせ、にもかかわらず、「私たちは、決して永続的な幸福をもたらさないものを追い求め、迷いがちです。時間やエネルギー、他者への配慮を消耗させる絶え間ない新らしさ、珍しさの追求など。まるで名声や物質的な富、娯楽、そして束の間の人間関係が、私たちの心を満たしたり、私たちを不死にするかのように、です」と注意された。

 そして、「私たちは皆、心の中に『無限への渇望』を抱いている。それは、過ぎ去り、満たされることのない欲求です… 聖アウグスティヌスが語ったように、私たちは神のために造られており、神に安らぐまで平安を見出すことはない、のです」と述べられた。

*巨岩を動かす

 結論として、教皇は、「ラザロの復活の物語が、聖霊の助けと力によって、いかにして私たちを招いているか」を理解するよう信者たちを促され、「そうすることは、”巨岩”のように私たちを利己主義、物質主義、暴力、そして表層的な世界の墓に閉じ込めてしまう習慣、条件付け、思考様式から、私たちの心を解き放つこと」と説かれた。。

 「イエスもまた、私たちに向かって『出て来なさい』と叫ばれています。その恵みによって刷新され、愛の光の中を歩むために、これらの窮屈な空間から抜け出すよう促しているのです。損得勘定もなしに、希望し、愛することができる、新しい男女として、イエスの無限の慈愛の模範に従って」。

 そして説教の最後に教皇は、聖母マリアの助けを求め、「彼女の信仰、信頼、そして忠実さをもってこの聖なる日々を生き、復活された御子との出会いの栄光に満ちた体験が、日々私たちの中で新たになるように」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2026年3月22日