(2024.8.18 Vatican News Thaddeus Jones)
教皇フランシスコは18日、年間第20主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたヨハネ福音書(6章51‐58節)と取り上げ、イエスがご自分は「天から下って来た生きたパン」であると語った箇所を振り返り、この言葉は、私たちの心の飢えを満たす天のパンとして、イエスがご自分を全面的に私たちに与えてくださったことを意味する、とされ、「驚きと感謝の気持ち」を改めて持つことを信者たちに促された。
ヨハネ福音書のこの箇所では、イエスが”パンの奇跡”をなさった後で、群衆に「私は、天から降って来た生けるパンである」と語られた場面が描かれ、その言葉を聞いた彼らが、それが何を意味するのか、どうしてこの人は自分の肉を我々に与えて食べさせることができるのか、と議論し合ったことが記されている。
説教で教皇は、「この群衆の疑問は、今日も私たち自身に問いかけることができますが、その際、驚きと感謝の気持ちを持って、そうすべきです」とされ、「彼らのように疑いの心をもって、ではなく、驚きをもって心を開くことが必要なのです」と指摘。
そして、「イエスがご自分を『天からのパン』と言われたのは、それが私たちの期待をすべて超える賜物であり、イエスの肉体と血は救い主の人間性を示し、イエスの命そのものが私たち自身の栄養としてくださったものだからです」と強調され、「イエスが、私たちの救いと永遠の精神的栄養のために、その肉体と血のすべてを捧げてくださっていることを感謝することで、私たちはそれに応えます… イエスが、私たちのために、私たちと共におられるところで、私たちはイエスを認識するのです」と説かれた。
また教皇は、「真の人であるキリスト」は、私たちが生きるために食べる必要があることを知っておられるが、「胃袋を満たす食べ物だけでは十分ではありません。イエスはさらに大きな贈り物を用意しておられます。それは、イエス自身が真の食べ物、真の飲み物となることであり、これに対して私たちは『主イエス、ありがとう!』としか言えません」と語られ、「父なる神からの『天のパン』は、肉体となったイエスであり、私たちの心の飢え、つまり希望、真実、救いへの渇望を満たしてくれます。この飢えは、主のみが満たせるのです」と強調された。。
そのうえで教皇は、「イエスは私たちを救い、永遠に私たちの命を養われます。その主のおかげで、私たちは神と交わり、生きることができる… この『生きた真のパン』は、単に私たちの人生のすべての問題を解決するだけでなく、貧しい人々から日々の糧を奪うことの多い私たちの世界に計り知れない希望を与えてくださいます」と語られた。
さらに教皇は、「私たちが自分自身だけでなく他の人々のためにも救いを渇望しているかどうか」自問するよう信者たちに勧められ、「聖体拝領のとき、私たちのために死んで復活され、その『慈悲の奇跡』を捧げてくださった主の御体に、私たちは畏敬の念を抱いているでしょうか」と問いかけられた。
そして最後に、「パンのしるしの中にある天の賜物を私たちが迎え入れられるように」と聖母マリアに助けを願う祈りを捧げられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)