(2023.7.16 Vatican News By Francesca Merlo)
教皇フランシスコは16日、年間第15主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「種をまく人」のたとえ話(1章1‐23節)を取り上げ、信徒たちに「イエスの模範に従い、たとえそれが難しいように見えても、御言葉の種をまくことを決してやめないように」と呼び掛けられた。
「イエスは私たちの”土壌”をご存じです。それにもかかわらず、(御言葉の種が)豊かに実ることを信じて疑われないのです」と指摘された教皇は、「『”種”である御言葉を受け入れるか、受け入れないか』が、個々人の自由に任されていること」に注目され、「”土壌”-それぞれの人の心―は、実りをもたらすことができるのだ、と信じておられるイエスの”一徹さ”」を強調された。
そして、「『良き種まき人』であるイエスは、心広く種まきを続けることに疲れることがありません。イエスは私たちの”土壌”をご存じです。私たちの不誠実さの”石”や邪悪の”棘”が御言葉を窒息させる可能性のあることを知っておられます。それでもなお、イエスは 、私たちが豊かな実を結ぶことを常に願っておられるのです」と説かれた。
*子供たちの信仰継承に不安を持つ親たちに
続いて教皇は、特に世界の親たちに向けて、「信仰を継承するという使命」に焦点を当てて語られ、「子どもたちが時として、自分たち親の教えを理解していなかったり、正しく評価していなかったりしているように見えても、落胆すべきではありません。良い”種”は残っているし、やがて根付くことになるでしょう」と励まされた。
*若者たちへの招待状
次に世界の若者たちに向けて、「御言葉の種は、目には見えないような小さな種かも知れませんが、あなた方が、自分の生きるすべてをイエスに託すことで、イエスはそれを熟させて下さいます」と語られた。そして、「他の人たち、最も助けを必要としている人たちに捧げる時間」を作るように促され、「それは無駄のように思われるかもしてませんが、実際には、それは神聖な時なのです。消費主義と快楽主義にひたることで得られる見かけ上の満足感は、何の成果ももたらしません」と説かれた。
*司祭と信徒たちに
説教の最後に、教皇は世界の司祭、修道者、一般信徒たちに向けて、「御言葉を宣べ伝えようとして、すぐに成果が得られなくても落胆しないように。このことを、決して忘れないように-御言葉を宣べ伝えるとき、何も起こっていないように見えても、実際には聖霊が働いておられるということを。神の国は、私たちの努力を通して、そしてそれを超えてすでに成長しつつあるのだ、ということを」と励まされた。
そして、「カルメル山の聖母」の祝日とされているこの日、7月16日に当たって、自からにこう問うように求められた-「私は善の種をまいているだろうか?」
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)