☩「『希望の聖年』が終わりを迎えても、私たちは『希望の巡礼者』であり続ける」教皇、最後の聖年特別謁見で

2025.11.23 Santa Messa per il Giubileo dei Cori e delle Corali

*歴史は、神と、神に希望を置く者の手に委ねられている

 

さらに教皇は、「苦しみさえも、信仰の中で新たな意味を持ちます」とされ、「それは『産みの苦しみの苦しみ』となります。神は創造を続け、希望に支えられた人間は、その創造の業に協力するように、召されているのです。歴史は、神と、神に希望を置く人々の手に委ねられているのです」と言明。

関連して、キリスト教の祈りの「マリア的側面」について考察され、「ナザレのマリアを、命を与える希望の生ける象徴」として示され、「皆さんは、彼女の中に、自分と同じ存在でありながら『生み出す者』、すなわち、神の御言葉に顔と体と声を与えた者を、見るのです」と語られた。

そして、「イエスは再び生まれようとしておられます。御身に肉体と声を与えられます。これこそが、私たち被造物が待ち望む誕生、です」とされ、「希望するとは、この世界が神の世界となるのを見ることなのです」と締めくくられた

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2025年12月20日