☩「飼い葉桶のイエスに『純朴さ』と『喜び』を学び、ウクライナ、ガザに平和がもたらされるよう祈って」-主の降誕を控えた水曜恒例一般謁見で

(2023.12.20  Vatican News  Christopher Wells)

 主の降誕を控えた20日の水曜恒例一般謁見で、教皇フランシスコは、800年前にイタリアのグレッチョ*で聖フランシスコが制作した最初の「キリスト降誕の場面」を思い起こされ、それが意味する「純朴さ」と「喜び」を体験することを信者たちに勧められた。また、それだけでなく、現在続いているウクライナやガザなどでの戦争で子供たちを含む多くの人が命を落としていることに言及され、「ウクライナ、パレスチナ、そしてイスラエルの人々のために、飼い葉桶におられるイエスに平和を願う祈りを捧げるようにと願われた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 教皇は、「小さな町グレッチョで『キリスト降誕の場面』を再現しようとした聖人の意図は、何だったのでしょうか? 」と信者たちに問い掛けられ、 聖フランシスコは「美しい芸術作品を作ろうとしたのではなく、ベツレヘムの貧しい岩屋に、主の究極の謙虚さ、私たちへの愛のために被られた苦難への感嘆を呼び起こすことを目的としたのです」と説かれた。

*「カトリック・あい」注*グレッチョは、アペニン山中の、聖フランシスコが様々な足跡を残した「聖なる谷」にあり、アッシジから少し南・ローマ方面に向かうこの地の洞窟で1223年にキリスト降誕の場面を制作したと言われる。そこには現在、フランシスコ会の修道院が建っている。

 

 そして、この「驚嘆」について、「御言葉の受肉、イエスの誕生の神秘を前に、私たちはこの『驚嘆』という宗教的態度が必要です」とされ、さらに、この「キリスト降誕の場面」に特徴的なものとして「純朴さ」と「喜び」を挙げられた。

 まず「純朴さ」は、せわしなく、騒がしい、消費者主義にあふれた世間のクリスマスとは対照的なもの。その「キリスト降誕の場面」は、「私たちを、本当に大切なもの、つまり私たちの中にお住まいになるために来られる神に立ち返らせるために作られたのです」とされた。

 次に「喜び」について、「クリスマスの喜びは、豪華なプレゼントや豪華なお祝いからもたらされるのではなく、私たちを一人にしない、孤独な人たちに寄り添う神の優しさ、目に見える形-『降誕の場面』で体験する、心から溢れ出る喜びです」と語られた。

 また 教皇は、「キリスト降誕の場面」を、「希望と喜びの源」である神の間近さを汲み上げる”井戸”に例えられ、「それは、生きた福音、家庭的な福音と言えます。聖書に出てくる井戸と同じように、『キリスト降誕の場面』は、ベツレヘムの羊飼いやグレッチョの人々と同じように、私たちが人生の期待と心配をイエスに持ち込む、出会いの場所なのです」とされ、「『キリスト降誕の場面』の前に立つ時、自分が大切にしているすべてをイエスに委ねるなら、私たちも『大きな喜び』を体験するでしょう」と述べられた。

 そして、説教の最後に、 「『キリスト降誕の場面』の前に立ちましょう。飼い葉桶(に幼子のキリストがおられる)を見、そこに何かを感じるように」と信者たちに勧められた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 説教に続けて教皇は信者たちに、ウクライナ、パレスチナ、イスラエルの人々のために祈るよう求められ、「皆さん、どうかパレスチナの人々のこと、イスラエルの人々ことを思ってください。 ウクライナの人々のことを思ってください。(戦乱の中で)苦しみ続けているのです」と訴えられた。

 そして、一般謁見に同席した駐バチカン・ウクライナ大使、アンドリー・ユラシュ氏の方を向かれ、「大使がここにおられます」と述べ、「戦争の悪に苦しんでいる人々を忘れないようにしましょう。戦争には必ず敗北が伴います。それを忘れないように。 敗北です。 武器メーカーだけが利益を得るのです」と語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2023年12月20日