◎教皇連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」⑫教会憲章ー教会は、信徒が福音を証しするあらゆる場所に存在する」

(2026.4.1 Vatican News   Isabella H. de Carvalho)
 教皇レオ14世は1日の水曜恒例一般謁見での連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」で、引き続き教会憲章『Lumen gentium』を取り上げられ、今回は第4章「信徒について」のテーマである「『福音を証し』する教会の使命において信徒が果たす重要な役割」について語られた。 講話で教皇は、「すべての人々に手を差し伸べ、福音とともに正義、愛、平和を広める教会を築く上で、信徒の貢献、奉仕、そして証しは欠かすことができません」と語られ、「信徒使徒職の幅広い分野は、教会内に限定されるものではなく、世界へと広がっていのです」と説かれた。

 そして、「教会は、その子らが福音を告白し、証しするあらゆる場所に存在します。職場においても、市民社会においても、あらゆる人間関係においても、彼らが自らの選択を通じて、今ここで神の国において成就される正義と平和を予示するキリスト教生活の素晴らしさを示す場所であれば、どこにでも存在します」とされ、フランシスコ教皇が好んで語られた「外へ向かう教会」、「歴史の中に具現化された教会」であり、福音の証しという使命に対して「常に開かれた」教会を築く上で、信徒が重要な役割を果たしていることを強調された。

*すべて洗礼を受けた者は平等だ

 

 また教皇は教会憲章の第4章が、何世紀にもわたって、ただ「聖職者や奉献生活者ではない者」として定義されてきた信徒について、「肯定的な観点から、その本質と使命を説明しようとしています」と指摘。フランシスコ教皇を引用する形で「一般信徒とは、端的に言えば、神の民の圧倒的多数を占める人々」であり、聖職者は「少数派であり、彼らの奉仕に立つ者」とされ、さらに、「一般信徒の性質と使命は、『選ばれた神の民が一つであり、キリストにおいて同じ尊厳を共有していること』に根ざしています」と語られた。

 さらに、「司牧職や生活状態のいかなる区別にも先立つ形で、第二バチカン公会議は、『すべての洗礼を受けた者の平等』を断言しています… 教会憲章は、第二章『神の民』についての章ですでに断言されていたこと、すなわち、メシアニックな民の条件とは、『神の子としての尊厳と自由であること」を私たちが忘れないように求めているのです」と説かれた。

 

*神の民は「形のない集団」ではない

 

 そして、「信徒の重要な役割が、洗礼による尊厳と神の民の一員であることに由来すること」を説明された後、教皇は、公会議が「教会内および世の中で」の彼らの使命も強調したことに言及。教会憲章』第31項を引用して、信徒が「それぞれの方法で、キリストの司祭的、預言的、王的な務めに参与しており、キリスト教徒全体としての使命を自らの役割において果たしている」ことを強調。「したがって、神の聖なる民は決して『形のない集団』ではなく、キリストの体、あるいは聖アウグスティヌスの言葉によれば『クリストゥス・トトゥス』、すなわち『全きキリスト』そのものです」と語られた。

 さらに教皇は、「神の民は、キリストの司祭職への二つの参加形態、すなわち信徒の共通の司祭職と奉仕的司祭職との実りある関係によって、有機的に構成された共同体。洗礼によって、信徒はキリストの司祭職そのものに参与するのです」と述べられた。

 講話の結びに、教皇は、聖ヨハネ・パウロ二世が1988年の使徒的勧告Christifideles laici( 信徒の召命と使命)』で、第二バチカン公会議が「信徒の性質、尊厳、霊性、使命、責任について、かつてないほど詳述された」こと、すべての信徒に対し、「使徒的活動を通じて教会内で積極的に活動するように、と呼びかけたこと」に注意を向けられた。

 そして「私たちが祝おうとしている復活祭が、マグダラのマリアやペトロ、ヨハネのように、復活された主の証人となる恵みを、私たちの中に新たにしてくれますように」と祈られた。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2026年4月2日