(2026.1.28 Vatican News Isabella H. de Carvalho)
教皇レオ14世は28日のすよう恒例一般謁見で「第二バチカン公会議を学び直す」をテーマにした連続講話をお続けになり、前回に続いて公会議の「神の啓示に関する教義憲章『神の言葉』」を取り上げ、「『神の言葉』という『預託物』は、今も教会の手に委ねられており、私たち一人ひとりがそれぞれの教会における職務において、その完全性を守り続けなければなりません。それは複雑な歴史と存在の旅路における私たちの羅針盤なのです」と指摘。聖書と教会の伝統、「聖霊による福音の生きた伝承との密接な関係」を強調された。
そして、「神の言葉は、”化石化”したものではなく、伝統の中で発展し成長する生きた有機的な現実。聖霊の助けをもって伝統は神の言葉の真理の豊かさを理解し、歴史という移り変わる座標の中でそれを体現するのです」と述べられた。
*伝統と聖書は同じ源泉から湧き出る
そのうえで教皇は「キリストが発した言葉と、それが何世紀にもわたって伝えられてきたこととの密接な結びつき」を説明するため、福音書の二つの場面を引用された。一つ目は、イエスが死の直前に最後の晩餐の場で弟子たちに語りかけ、「あなたがたは主から聖霊を受け、その聖霊があなたがたを『すべての真理へと導く』」と告げた場面。二つ目は、復活したキリストが弟子たちに御自身を示し、「すべての民を弟子としなさい…私があなたがたに命じたすべてのことを守るように教えなさい」と命じた場面だ。
教皇は教義憲章の第9項を引用、第二バチカン公会議が聖書と伝統の密接な関係を「両者は同じ神の泉から流れ出て、ある意味で一つの統一へと融合し、同じ目的へ向かう」と説明している点に注目して、「教会の伝統は、神の言葉を保存し、解釈し、体現する教会を通じて歴史の中で枝分かれしていくのです」と語られ、「聖書は、文書や記録というよりも、主に教会の心の中に記されています」とされて、「カトリック教会のカテキズム」113項を引き合いに出された。
*教会はすべての世代に信仰を継承する
さらに教皇は、「使徒たちから受け継がれた伝統が、聖霊の助けによって教会の中で発展していくこと」に注意を向けられた、「これは『信者たちによる黙想と研究』を通じ、『彼らが経験する霊的現実の深い理解』によって、そして何よりも『確かな真理の賜物』を受けた使徒たちの後継者たちによる宣教によって、完全な理解をもって実現されるのです」と説かれ、再び教義憲章を引用する形で、「要するに、『教会は、その教え、生活、礼拝において、教会そのものの存在、教会が信じるすべてを、あらゆる世代に永続させ、引き継いでいく』のです」と述べられた。
「神の言葉」の生ける次元と伝統との関係を説明するため、教皇は教会博士である聖ジョン・ヘンリー・ニューマンの言葉を引用された―「キリスト教は、共同体の経験としても、教義としても、イエスご自身が種子のたとえで示されたように、内なる生命力によって発展する生ける現実である」と。
*神の言葉の聖なる預託
教皇はさらに、教義憲章が、「聖伝と聖書は、教会に託された神の言葉の聖なる預託を成すものであり、その解釈は、イエス・キリストの名において権威を行使する教会の生ける教導職によってなされる」と指摘している点を強調。「『預託』という言葉は、預託を受けた者がその内容、すなわち信仰を守り、そのままの形で伝えるべきであることを意味します」として、教会とそのすべての成員に、そうするよう呼びかけられた。
そして、教皇は、再び教義憲章を引用して講話を締めくくられた―聖書と伝統は「互いに結びつき、一体となっているため、一方が他方なしには存在し得ず、…聖霊の働きのもとで、共にまたそれぞれ独自の方法で、魂の救いに効果的に貢献する」と。
*講話の全文以下の通り。
第二バチカン公会議文書。第一部 教義憲章『神の言葉』。3. 唯一の聖なる預言。聖書と伝統の関係について。
神の啓示に関する公会議憲章『神の言葉(Dei Verbum)』の朗読を続けまして、本日は聖書と伝統の関係について考察いたします。背景として二つの福音書の場面を取り上げましょう。最初の場面は、最後の晩餐の部屋で起こります。
イエスは弟子たちに向けた偉大な遺言の説教の中で、こう宣言されました。
「これらのことは、私がまだあなたがたと共にいる間に、あなたがたに話しておいたのです。しかし、父が私の名によってお遣わしになる助け主、すなわち聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、また、私があなたがたに話したすべてのことを思い出させてくださいます。…真理の御霊が来られるとき、その方があなたがたをすべての真理に導いてくださいます」(ヨハネ14:25-26; 16:13)。
第二の場面は、ガリラヤの丘へと私たちを導きます。復活されたイエスは、驚きと疑いを抱く弟子たちの前に現れ、こう告げられます。「だから、行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい…私があなたがたに命じたすべてのことを守るように教えなさい」(マタイ28:19-20)。これらの二つの場面において、キリストが語られた言葉と、それが世紀を超えて伝えられてきたこととの密接な結びつきが明らかです。
これは第二バチカン公会議が象徴的な表現を用いて確認したことです。「聖伝と聖書の間には密接な結びつきと相互関係がある。両者は同じ神の泉から流れ出て、ある意味で一つの統一へと融合し、同じ目的へと向かうのである」(神の言葉、9)。教会の伝統は、神の言葉を保存し、解釈し、体現する教会を通じて歴史の中で広がっていきます。
この点に関して、カトリック教会のカテキズム(113項参照)は、教父たちのモットーを引用しています。「聖書は、文書や記録というよりも、主に教会の心の中に記されている」。すなわち、聖なるテキストの中に記されているのです。
上記のキリストの御言葉に照らして、公会議は「この使徒たちから受け継がれた伝統は、聖霊の助けによって教会の中で発展する」と断言しています(Dei Verbum, 8)。これは、「信者たちによる黙想と研究」を通じ、「彼らが経験する霊的現実に対する深い理解」によって、そして何よりも、「確かな真理の賜物」を受けた使徒たちの後継者たちによる宣教によって、完全に理解されることで実現します。要するに、「教会は、その教え、生活、礼拝において、教会そのもののあり方、教会が信じるすべてを、すべての世代に永続させ、伝えている」のです(同上)。
この点に関して、聖グレゴリウス大教皇の次の表現は有名です。「聖書は、それを読む者とともに成長する」。[1] また聖アウグスティヌスは既にこう指摘していました。「聖書を通して展開される神の言葉はただ一つであり、多くの聖人の口を通して響く御言葉もただ一つである」と。[2] したがって神の御言葉は化石化されたものではなく、むしろ伝統の中で発展し成長する、生き生きとした有機的な現実なのです。聖霊の働きにより、伝統はその真理の豊かさを理解し、歴史の移り変わる座標の中でそれを体現するのです。
また、教会の聖なる博士であるジョン・ヘンリー・ニューマンが『キリスト教教義の発展』と題する著作で示した提案は、非常に示唆に富んでいます。彼は、キリスト教は共同体の経験としても、教義としても、イエスご自身が種子のたとえ(マルコによる福音書4:26-29参照)で示されたように、内なる生命力によって発展する動的な現実であると断言しました。[3]
使徒パウロは弟子であり協力者であるテモテに対し、繰り返しこう勧めています。「テモテよ、あなたに託されたものを守りなさい」(1テモテ6:20;参照 2テモテ1:12-14)。
教義憲章『神の言葉』はこのパウロの言葉を反映し、次のように述べています。「聖伝と聖書は、教会に託された神の言葉の聖なる預託物(デポジット)を成すものであり、それは『イエス・キリストの名において権威を行使する、教会の生ける教導職』によって解釈される」(10項)。
「預託」という言葉は、本来の意味において法的な性質を持ち、預託者に対して内容(この場合は信仰)を保存し、そのままの形で伝達する義務を課すものです。
神の言葉の「預託」は、今日もなお教会の手に委ねられており、私たち一人ひとりは、それぞれの教会内的職務において、歴史と存在の複雑さを巡る旅路の指針として、その完全性を守り続けなければなりません。
最後に、親愛なる皆様、聖書と伝統の相互関係を高らかに謳う『神の言葉』の言葉を改めて心に刻みましょう。そこでは「聖書と伝統は、互いに深く結びつき、切り離すことのできない関係にあり、聖霊の働きのもとで、それぞれ独自の方法で、魂の救いに効果的に貢献している」と述べられています(10項参照)。