◎教皇レオ14世・聖年連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望」⑧「日々の生活を通して『過越の食事』に備えよう!」

Pope Leo greets pilgrims in St. Peter's Square for his first General Audience of AugustPope Leo greets pilgrims in St. Peter’s Square for his first General Audience of August  (@Vatican Media)

 

*愛は突然の衝動ではない

 マルコ福音書の中で、過越祭の準備として、弟子たちはイエスに、極めて実際的な質問をする。「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」(14章12節)。教皇は、弟子たちが何か重要な出来事が起こることを予期していたこと、そしてイエスから非常に象徴的な答えを受け取ったことを指摘された。それは、「都へ行きなさい。すると水がめを運んでいる男に出会う」(14章13節)だ。

 「水がめを運んでいる男、既に用意された部屋、そして見知らぬ主人。すべてが既に準備されていました。イエスは既に弟子たちのために、すべてを準備しておられたのです。これは、真の愛は、『偶然の結果』ではなく、『意識的な選択の結果』だということを示しています」と教皇は指摘。

 そして、「愛には準備が必要です。イエスの『受難に耐える』という決断は、『自由に愛する』という選択です… イエスのご自分の命という贈り物が、突然の衝動ではなく、意識的な意図から生まれたものだ、と知ることは、私たちにとって慰めとなります」と説かれた。

 

 

*神は私たちのために場所を用意してくださっている

 

 さらに「既に用意された部屋」について教皇は、「神が私たちのために、道を用意してくださっていることを、明らかにしています。私たちが『自分は歓迎される必要がある』と気づく前に、主はすでに私たちのために、自分自身を認識し、『自分は主の友だ』と感じられる場所を用意してくださっているのです。そして、私たち一人ひとりの心の中に、一人ひとりのために特別に作られたこの場所を見つけることができるのです。それはただ、見つけられ、満たされ、愛されるのを待っているのです」と説かれた。

 教皇は、「このマルコ福音書の中で、イエスはすでに過越祭のすべてを準備しておられましたが、それでも、使徒たちにそれぞれの役割を果たすよう、お求めになりました。このことは、私たちの霊的生活にとって重要な教訓を教えてくれます… 恵みは私たちの自由を奪うのではなく、むしろ自由を目覚めさせるのです」と強調された。

 

 

*準備は幻想と同じではない

 

 続けて教皇は、聖ペトロ広場に集まった巡礼者たちに、自分たちにも「準備すべき晩餐」があることを思い起こさせ、「典礼を超えて、聖体は私たちの日常生活の中に位置づけられています。そして、私たちはすべてを、感謝の気持ちとして体験する余地を残しておかなければなりません。そのために、人生における妨げとなるものを取り除く必要があります」と促された。

 そして同時に、「準備を幻想と混同したり、準備を『惑わされること』と考えたりしないように。幻想は私たちの注意をそらしますが、準備は私たちを導きます。イエスは、宣教活動の間ずっと、弟子たちがご自分のことを理解できず、裏切ろうとする弟子がいた時でさえも、『聖体祭儀となる晩餐』を準備されたことで、このことを証明されました」と、注意を与えられた。

 教皇はそのうえで信者たちに、「私たちも、『過越の食事の準備』をするよう求められています。これはミサの準備だけでなく、日々の生活のあらゆる瞬間への準備も意味します。最初の一歩を踏み出す準備をすること、もっと耳を傾けること、あるいは他の人が変わるのを待たないこと、などを意味するでしょう」とされた。

 そして、「私たちが『神との聖餐に備える』という神の呼びかけに応じる決心をしたとき、私たちは孤独ではありません。私たちは、自分を支え、常に自分に先んじる無限の愛の神秘に、絶え間なく祝福されていること、広々とした、すでに準備された部屋へと自分を導くしるし、出会い、言葉に囲まれていることに気づくでしょう」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2025年8月7日