Pope Leo XIV at General Audience (@Vatican Media)
(2025.10.15 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇レオ14世は15日の水曜恒例一般謁見で、教皇フランシスコから引き継がれた聖年連続講話『イエス・キリスト、私たちの希望』をお続けになり、今回は「いかなる困難の中でもイエスが私たちを支えてくださる」という真理について考察され、「人生の浮き沈みを経験する中で、この真理が必ず、私たちを慰めてくれる」と語られた。
*私たちは「満たされないため」に創造されたのではない
講話で教皇は「『イエスと共に歩む』ということは、私たちがいかなる困難の中でも支えられていることを体験すること。人生の道が重い石のように塞がれたり、道からそれそうになるそ苦難や闘いの中で、私たちの渇きが癒され、活力を取り戻すことです」と述べられた。
続けて人生における経験の現実について考察される中で、私たちの生活を特徴づける、しばしば相反する感情や限界を認められ、「時には喜び、時には悲しみます。満たされることもあれば、ストレスを感じることもあります。満足感を得ることもあれば、やる気を失うこともあります。私たちは結果に焦点を当てた忙しい生活を送っており、時には名誉ある目標を達成することもあるでしょう。反対に、成功や評価が永遠に来ないまま、不安定な状態で宙ぶらりんになることもあります」と語られた。
そして、「要するに、私たちは矛盾の中にいます。幸福を渇望しながらも、永続的な幸福はしばしば手の届かないところにあります」とされ、「この緊張感が私たちの限界と、それを超えたい、という深い願望の両方を明らかにしています… 私たちは満たされない現実を受け入れつつ、それを克服したい、という抑えきれない衝動を感じています。心の奥底で、常に『何かが欠けている』ことに気づいているのです」と指摘。
*復活されたイエスこそが私たちの「希望」、「救い」の保証
だが、「この渇望は偶然ではありません… 私たちは満たされないために創造されたのではなく、満ち足りるために—人生を喜び、豊かな人生を生きるために—創造されたのです」と言明。「この心の奥底にある深い渇望は… 地位や権力、所有物では満たされません。ただ一つ、『この人間性の根源的な衝動を支える存在が確かにいる』という確信によってのみ、満たされるのです。『私たちの最も深い希望が、裏切られることはない』という保証によってのみ満たされるのです」と説かれた。
そして、「その保証は、イエス・キリストの中にあります… この確信こそが、私たちが『希望』と呼ぶものです。単なる楽観主義ではありません。楽観主義は失望の重みに押し潰されることがよくあります。しかし希望、キリスト教の希望は約束し、成就するのです」と強調。
「兄弟姉妹の皆さん、復活されたイエスこそがこの救いの保証です! 聖霊によって私たちの心に植え付けられた、満ち足りた状態への無限の渇きを満足させる泉なのです… キリストの復活は、単なる歴史的事象ではなく、時の核心にある変容をもたらす神秘。復活された方は生ける泉です。枯れることも、変わることもありません。常に清く、常に臨在し、渇く者たちのために常に備えられています」と確信を持って語られた。
*私たちに永遠に続く平安を与えてくれるのは主のみ
教皇はまた、聖アウグスティヌスの『告白録』を引用され、「神の素晴らしさによって目覚めさせられる深い霊的渇望」について語られた。「あなたは香りを放たれ、私は息を吸い込み、あなたを渇望しました。私は味わい、今や飢え渇いています。あなたは私に触れられ、私はあなたの平安を渇望して燃え上がりました」。
さらに、「復活されたイエスは、永遠の命の源を確かなものとしてくださいました。主は生ける方(ヨハネの黙示録1章18節参照)、命を愛する方、死に打ち勝たれた方です… この地上での巡礼の旅路において、私たちを癒し、永遠に続く平安を与えてくださるのは、主のみ… 人間の心の最も深い問い―私たちには本当に行き着く場所があるのか? 私たちの存在には意味があるのか? そして無実の者の苦しみがどうして贖われるのか?―に答えるのはイエスのみです」と言明された。
*キリストは私たちと共に歩まれ、行先でもある
また教皇は、「復活されたイエスは、私たちの痛みから切り離された『上から』の答えを与えるのではありません… しばしば困難で、苦痛に満ち、神秘に包まれた道において、私たちと共に歩まれるのです… 私たちの水筒が空になり、渇きが耐え難くなるとき、それを満たすことのできる方は、ただイエスだけです」と語られた。
さらに、「イエスは、私たちと共に歩まれる方であるだけでなく、私たちの行先でもあります… イエスの愛がなければ、私たちの人生は目的を失い、真の『終わりなき、悲劇的な旅』となってしまいます… 「罪の傷が私たちを転ばせ、諦めさせ、絶望させることがあっても、私たちは倒れたままではいられません」とされ、「私たちは再び立ち上がり、足元を固めねばなりません。なぜなら復活されたキリストは、私たちが必ず(目的の地に)到達することを保証してくださり、私たちを『故郷』へと導いてくださるから。そこでは私たちが待ち望まれ、愛され、救われるのです」と信者たちに説かれた。