☩「主の降誕が私たちの世界に平和をもたらし、悲しみを喜びに変えるように」教皇が”Urbi et Orbi”、クリスマス・メッセージ

(2023.12.25 Vatican News  Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは主の降誕の大祝日25日の正午に恒例の”Urbi et Orbi”(ローマ市と全世界へ)の祝福とクリスマス・メッセージを発表された。その中で教皇は、「幼子イエスが、私たち一人ひとりへの神のやさしい愛をどのようにして明らかにされ、私たちの心を慰め、希望を新たにし、平和を、喜びをもたらされるか」について語られ、世界の指導者、世界の人々に対して、世界平和を祈り、暴力を止め、苦しむ人々を救うよう、あらゆる努力をするように呼びかけられた。

 教皇はまず、聖ペトロ大聖堂の「祝福のロッジア」と呼ばれる2階中央のバルコニー窓から、広場に集まった人々に主のご降誕の祝いの挨拶をされ、”Urbi et Orbi”祝福とともに、全世界に向けたクリスマス・メッセージを発表された。

 メッセージで教皇はまず、「私たちは、『悲しみと沈黙』に特徴づけられた今、この時期に、イエスがお生まれになったベツレヘムに瞳を注いでいます… 『今日、ダビデの町に、あなた方のために救い主がお生まれになった』という天使の宣言は、私たちに大きな希望を与えてくれます。『主が、私たちのためにお生まれになった、父の永遠の御言葉、限りなく偉大な神が、私たちの中に住まわれた』からです」と語られた。

 そして、「私たちが祝う『大いなる喜びの善き知らせ』は、予想もしないような贈り物の確かな約束-主の誕生が、神のやさしい愛とイエスが私たちに神の子供になる力を与えてくださる、という約束… 心を慰め、希望を新たにし、平和をもたらす喜び、聖霊の喜び、神の愛する息子たち、娘たちとなることから生まれる喜びです」と説かれた。

 教皇はイエスがお生まれになったベツレヘムに注意を向けられ、「今日、深い闇に覆われたベツレヘムに、消えることのない炎が灯りました、神の光が暗闇に打ち勝つのです」と強調。「この恵みの賜物を喜びましょう! … 喜びなさい。すべての希望を捨てたあなた方。神はあなたに手を差し伸べらてくださいます。 神はあなた方をなじることはされず、恐怖から解放され、重荷から解放されます。神にとって、あなたがたが他の何よりも価値あることを示すために、『小さな赤ちゃんの手』を差し伸べられるのです 」と励まされた。

 また、ガザで、ウクライナで、そのほか世界の多くの地域で、罪のない多くの人々が殺され続けている現状を振り返られ、「罪のない人々、今日の『小さなイエス』である人々、母親の胎内における、絶望の中で希望を求める放浪の旅における、戦争で破壊された幼少期を過ごす中における、犠牲者たち」を思い起こされた。

  そのうえで教皇は、「 あらゆる戦争は、勝者のない敗北、許しがたい愚かさを示すもの。私たちは平和に『イエス』、戦争に『ノー』と言わなければなりません」と訴えられ、 また、人間の弱さから戦争に利用される兵器にも「ノー」を求め、「武器の生産、販売、国を越えた取り引きが増加を続けている。国家財政が武器に費やされることで、人々のパンが犠牲されれば、平和の実現はさらに困難になります」と指摘。

 一般に知らされないことの多い「戦争の操り人形を動かすことで生まれる利益」は、明るみに出さなければならない、とされ、「国家が国家に対して剣を振りかざすことのない日のために、神の助けによって、私たちがあらゆる努力をすることができますように」と祈られた。

 そして、今、平和が遠のいている世界中の地域を見つめ、まず、イスラエルとパレスチナの人々の生活を破壊している戦争の終結を祈られた。ガザの人々とその地域全体、特にキリスト教徒コミュニティに慰めの言葉を捧げ、「10月7日の忌まわしい攻撃の犠牲者たちのために心を痛めています」とされ、今も(ハマスに)人質として取られている人々の解放を改めて訴えられた。

 また、「罪のない民間人の犠牲者の恐ろしい結果をもたらす軍事作戦の終結」を嘆願され、「ガザ地区への人道支援の提供への扉を開くことで、現在の絶望的な人道問題の解決」を求められた。そして、一刻も早く暴力を終結させ、強い政治的意志と国際的な支援による誠実で「粘り強い対話」が「パレスチナ問題」の解決につながることへの期待を表明された。

 さらに、教皇は、平和と安定の実現に苦労している他の国々の名前を挙げられた-内戦で荒廃したシリア、イエメン、苦境にあるレバノンに言及し、すべての国民に幸福への祈りを誓われた。ウクライナの平和を懇願し、ウクライナの国民すべてが「神の愛の具体的な現実を感じられるように、世界の人々の精神的、人間的な支えを感じることができるように」祈られた。

 対立するアルメニアとアゼルバイジャンに決定的な平和がもたされるように、特に人道支援と宗教的伝統と礼拝の場を尊重しながら難民の故郷への帰還を祈られた。また、サヘル地域、アフリカの角、スーダン、カメルーン、コンゴ民主共和国、南スーダンの人々のためにも祈られた。これらの地域はいずれも緊張が高まっているが、「善意と懸命の努力によって平和は可能」とされた。また、緊張が続く朝鮮半島についても、「恒久的な平和の条件を作り出すことができる対話と和解」を通じて、南北の「兄弟の絆」が強化されるようにと祈られた。

 アメリカ大陸に目を向けられた教皇は、社会的・政治的紛争の解決、貧困の軽減、人々の移住を強いている問題への共通の取り組みを祈られ、 「声なき人々、特に食料と水の不足に苦しむ子供たち、失業者、移住を強いられ命の危険にさらされている人々、しばしば悪徳人身売買業者の餌食となっている人々のことを、私たちが忘れることのないように」と願われた。

 メッセージの最後に、教皇は、一年後の2025年に聖年が予定されていることを挙げ、「私たちは、『恵みと希望の季節』を迎えることになりますが、その前に、『戦争や紛争を拒否する方向への心の転換』を通じた準備が必要です」と述られた。

 そして、 「イザヤの預言の言葉のとおり、『抑圧されている者に良いたよりをもたらし、心の傷ついた者を縛り、捕虜に自由を宣言し、捕虜に解放を与える』という主の呼びかけに、私たちが喜んで応えられますように」と願われ、 「イエス様をお迎えしましょう! 救い主、平和の君であられる方に心を開いていきましょう!」と呼び掛けられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

*注*”Urbi et Orbi”は、もともと「帝都ローマと属領へ」という意味で、ローマ帝国時代に皇帝の勅令や布告の冒頭の定型として使われたのが起源。現在は、教皇が「ローマ市と全世界へ」という意味で年に二回、「主の復活」と「主の降誕」の二つの大祝日に、教皇によって、聖ペトロ広場に集まった信者たちはじめ世界に向けた祝福とメッセージになっている。

(2023.12.25 バチカン放送(日本語課))

 教皇フランシスコによる2023年度のクリスマス・メッセージは次のとおり。

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 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 主のご降誕のお喜びを申し上げます。

 世界中のキリスト者の眼差しと思いは、ベツレヘムへと向かいます。この日々、悲しみと沈黙に覆われたその場所で、世紀にわたり待ち望まれた知らせが響き渡りました。「あなたがたのために救い主がお生まれになった」(ルカ福音書2章11節)。

 ベツレヘムの空の天使たちのこの言葉は、私たちにも向けられています。主が私たちのためにお生まれになったことを知り、私たちは信頼と希望で満たされます。無限の神なる御父の永遠の言(ことば)は、私たちの間に宿られました。肉となって、「私たちの間に宿り」(ヨハネ福音書1章14節)に来られました。それは歴史の流れを変える知らせです。

 ベツレヘムの知らせは、「大きな喜び」(ルカ2章10節)の知らせです。それはどのような喜びでしょうか。この世のつかのまの幸福でも、気晴らしの楽しさでもない、私たちを「高める」、「大いなる」喜びです。事実、今日、私たち人類は、自分たちの限界を抱えつつも、天国のために生まれているという、途方もない希望を確信しています。そうです、私たちの兄弟、イエスは、ご自身の御父を私たちの御父とするために来られました。か弱い幼子は、神の優しさを私たちに示されます。それだけではありません。御父の独り子であるイエスは、私たちに「神の子となる資格」(ヨハネ1章12節)を与えられるのです。これこそ、心を元気づけ、希望を新たにし、平安をもたらす喜びです。それは、聖霊の喜び、愛された子であることの喜びです。

 兄弟姉妹の皆さん、今日、ベツレヘムにおいて、地上の闇の間に、消すことのできない炎が灯りました。今日、この世の闇に、「すべての人を照らす」(ヨハネ1章9節)神の光が打ち勝ちます。兄弟姉妹の皆さん、この恵みを大いに喜びましょう。自信も確信も失った人よ、喜んでください。あなたは独りではないからです。キリストはあなたのためにお生まれになりました。希望を捨てた人よ、喜んでください。神が手を差し伸べてくださるからです。神はあなたを非難せず、あなたを恐れから解放し、苦労を和らげるために、幼子イエスの手を差し出してくださいます。そして、神の御目にあなたが他の何よりも大切であることを示してくださいます。心に平安を見出せない人よ、喜んでください。あなたのために、イザヤの古い預言が実現したからです。「1人のみどりごが私たちのために生まれた。1人の男の子が私たちに与えられた… その名は「…平和の君と呼ばれる」(イザヤ書9章5節)。彼によって「平和には終わりがない」(同9章6節)。

 聖書では、平和の君に「この世の支配者」(ヨハネ12章31節)が対抗し、死の種をまくことで、「命を愛される主」(知恵の書11章26節)に逆らいます。救い主の降誕後、ベツレヘムで幼子の殉教が起きるのを、私たちは見ました。母親の胎内で、希望を求める絶望した人々の旅路の中で、幼児期を戦争で引き裂かれた多くの子どもたちの生活の中で、この世でいったいどれだけの無辜の人々が虐殺されていることでしょうか。彼らは今日の幼子イエスです。

 平和の君に「イエス」と言うことは、戦争に、すなわちあらゆる戦争、戦争の論理そのもの、目的地なき旅、勝者なき敗北、弁解できない狂気に「ノー」と言うことです。しかし、戦争に「ノー」と言うためには、武器に「ノー」と言わねばなりません。なぜなら、定まらない傷ついた心を持った人間が、死の道具を手にすれば、いずれはそれを使うだろうからです。また、武器の製造、売買、取引が増えるなら、どうやって平和を語ることができるでしょうか。

 今日、ヘロデ王の時代のように、神の光に逆らう悪の計略が、偽善と隠蔽の陰で動いています。どれほどの武力による虐殺が、多くの人が知らぬ間に行われていることでしょうか。人々は武器ではなく、パンを求めています。日々の生活の維持に苦労し、平和を願っています。しかし、人々は軍備にどれだけの公的な資金が費やされているかを知りません。本来それを知るべきなのです。戦争の糸をあやつる利害や儲けが人々の知るところとなるように、それについて語り、記すべきなのです。

 「平和の君」を預言したイザヤはこう記しました。「国は国に向かって剣を上げず」、人は「もはや戦うことを学ばず」、むしろ、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ2,4)日がいつか来ると。神の助けのもと、その日が近づくように努力しましょう。その日が、イスラエルとパレスチナに近づきますように。そこでは、戦争が人々の生活を揺るがしています。

 私は、これらすべての人を、特にガザのキリスト教共同体と、小教区、聖地全体を抱擁したいと思います。10月7日のいまわしい攻撃の犠牲者に対する悲しみを心に抱きつつ、未だ人質として囚われている人々の解放を改めて呼びかけたいと思います。無実の民間人の犠牲という恐ろしい結果をもたらす軍事作戦を終わらせ、支援物資の到着に道を開き、絶望的な人道状況が和らげられることを心から願います。暴力と憎しみをあおり続けることをやめ、強い政治的意志と国際共同体の支持に支えられた、当事者間の誠実で忍耐強い対話を通して、パレスチナ問題の解決に着手せねばなりません。兄弟姉妹の皆さん、パレスチナとイスラエルの平和のために祈りましょう。

 私の思いは、苦しむシリアの人々、そして今も苦しみの中にあるイエメンの人々に向かいます。愛するレバノン国民を思い、一刻も早く政治と社会の安定が取り戻されることを祈ります。

 幼子イエスを見つめながら、ウクライナのために平和を祈ります。ウクライナの苦しむ人々への私たちの精神的・人間的寄り添いを新たにし、私たち一人ひとりの支えを通して、人々が神の愛を具体的に感じ取ることができますように。

 アルメニアとアゼルバイジャンの最終的な和平の日が近づきますように。人道的取り組みの継続、避難民の合法で安全な帰還、諸宗教と各共同体の信仰の場の相互尊重が促進されますように。

 サヘル地域、アフリカの角、スーダン、カメルーン、コンゴ民主共和国、南スーダンに混乱をもたらす緊張と紛争を忘れないようにしましょう。

 朝鮮半島で、恒久平和の条件を生み出す対話と和解のプロセスが開かれ、兄弟的な絆を強める日が近づきますように。

 つつましい幼子となられた神の御子が、アメリカ大陸の政治当局とすべての善意の人々を励ましますように。彼らが人間の尊厳を傷つける貧困と闘い、不平等を取り除き、痛ましい移民現象に対応するために、社会的・政治的対立を克服し、ふさわしい解決を見出すことができますように。

 幼子イエスは、馬小屋の飼い葉桶から、私たちに声なき者の声となるようにと頼みます。水とパンがないために亡くなった罪なき人々の声、仕事が見つからない人たち、失業者たちの声、より良い未来を求め、過酷な旅と、恥知らずな人身取引が横行する中で、命を危険にさらしながら祖国を後にする人々の声となることを、私たちに願っています。

 兄弟姉妹の皆さん、一年後に開幕する、恵みと希望の時、聖年が近づいています。この準備期間が、戦争に「ノー」と言い、平和に「イエス」と言うための、また、イザヤが預言するように、「苦しむ人に良い知らせを伝えさせるため…。心の打ち砕かれた人を包み  捕らわれ人に自由を  つながれている人に解放を告げるために」(イザヤ書61章1節)私たちを呼ばれる主の招きに、喜びをもって答えるための回心の機会となりますように。

 これらの言葉は、今日、ベツレヘムでお生まれになったイエス( ルカ4章18節参照)において成就しました。救い主、平和の君であるイエスをお迎えし、心を開きましょう。

(編集「カトリック・あい」=聖書の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

 

 

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2023年12月25日