◎教皇連続講話「悪徳と美徳」⑲「世界はキリスト教徒の「希望」を必要としている」

(2024.5.8 Vatican News  Christopher Wells)

教皇フランシスコは8日の水曜恒例一般謁見で、「悪徳と美徳」をテーマとする連続講話をお続けになり、今回は、「希望」という神学的美徳について考察され、「私たちの最終的な運命の問題を考えるとき、その答えは『希望』です」と語られた。

人生の意味に関する問いに対する「否定的な答え」が悲しみにつながることを、教皇は認め、 「もし私たちが、人生の最後には何もない、と考えたら、それならなぜ歩かねばならないのか、と自問するようになり、絶望に陥るのです… 希望がなければ、多くの人は人生を諦め、他のすべての美徳も崩れ、灰になってしまう危険があります」と述べられた。

 

 

*「希望」が神学的美徳であるのは…

 

教皇は「しかし、キリスト教徒は『希望が自分自身の功績から来るものではない』ことを理解しています」とされ、 「もし、キリスト教徒が未来を信じるとしたら、それはキリストが死んで復活され、私たちに御霊を与えてくださったからです。『希望』が神学的美徳であるのは、まさに、希望が私たちから発せられるものではなく、神から直接与えられる賜物であるからなのです」と説かれた。

そして、聖パウロの有名な言葉-「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰は空しく、あなたは今もなお罪の中にいることになります」(コリントの信徒への手紙1.15章17節)を引用することで、信仰と不信仰を対比し、「 敗北も死も永遠ではない、という確信。 しかし、キリストの復活を信じないなら、使徒たちの説教さえも、すべてが空しいものになってしまいます」と語られた。

さらに教皇は、「神は慈悲深く、私たちの心よりも偉大である」ことを忘れたとき、「過去の幸福に対する”後ろ向きの郷愁”や罪に対する絶望など、希望に反する罪に陥る、と警告されたた。

 

 

*「希望」を求める世界には「忍耐」も必要

 

教皇はまた、「今日の世界は、このキリスト教の美徳を大いに必要としていますが、希望と密接に歩む美徳である『忍耐』もまた必要です。 忍耐強い人は『善を織る者』であり、常に固く、平和を希望しています」と指摘。「たとえ私たちの周りで多くの人が幻滅に負けても、希望に鼓舞され、忍耐強い人は最も暗い夜を乗り越えることができるのです」と強調された。

 

 

*「希望」は「心が若い人たち」の美徳

 

最後に教皇は、新約聖書にある、神殿で生まれたばかりのメシアに出会ったシメオンとアンナを思い起され、「『希望』は『(年齢ではなく)心が若い人たち』にとっての美徳です。私たちが人生の終わりに、シメオンとともに『主よ、今こそあなたはお言葉通り、この僕を安らかにさらせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民の前に備えられた救い…』(ルカ福音書2章29-31節)と宣言できるなら、大きな賜物になるでしょう」と語られた。

そして、信者たちに、「前進し、希望を持てるように恵みを求め、忍耐とともに希望を持ってください。いつも最後の出会いに目を向けてください。 主が常に私たちの近くにおられること、死が決して勝利しないことを、いつも確かめてください」と求められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の翻訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

 

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2024年5月8日