Pope Leo arrives at the weekly General Audience (@VATICAN MEDIA )
(2025.10.8 Vatican News Christopher Wells)
教皇レオ14世は8日の水曜恒例一般謁見で聖年連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望」を続けられ、今回は「復活におけるキリストの謙虚さ」について考察された。
講話で教皇は「キリストが死からよみがえられた時、天使に囲まれて弟子たちの元に戻られたり、壮大な奇跡をなさったり、宇宙の秘密を明かす大演説をされたりはなさらなかった… 庭師や異邦人、通りすがりの見知らぬ人といった、ごく普通の人の謙遜さをもって、ご自分を示されました」とされた。
さらに、「私たちや弟子たちが、”特殊効果”のある力強い証し、圧倒的な証拠を期待していたのに対し、イエスは、親密さ、日常性、共に食卓を囲むことを選んだのです」と強調。
続けて復活のこの「驚くべき側面」には「私たちへの貴重なメッセージが込められています… 復活は、劇的な展開ではなく、あらゆる人間の行動に意味を与える静かな変容であり、キリストの復活の神秘においては、最も平凡な人間の仕草さえも恵みとなり得ることを示されたのです」と説かれた。
教皇はまた、「私たちの日常生活でキリストの臨在を認識するのを妨げる障害があります。それは『喜びには傷があってはならない』という幻想です」とされ、エマオへの道を行く弟子たちがメシアへの期待が裏切られたことに悲しんでいたことを思い起こされ、そうした弟子たちに、「イエスは、悲しみや苦痛が神の約束を無効にするのではなく、むしろ『神がご自身の愛の深さを示す道そのもの』であることを理解させたのです」と指摘。
「イエスの復活は、失望や罪に刻まれた人生であっても、希望が訪れる可能性があることを教えています… 人生におけるどのような転落も決定的ではなく、どのような夜も永遠ではなく、どのような傷も永遠に開いたままになることはない。どれほど遠くに感じられようとも、どれほど迷い、どれほど不甲斐なく感じられようとも、神の愛の尽きることのない力を消し去るほどの距離は存在しません」と言明された教皇は、「最も暗い瞬間にこそ、私たちの所にイエスがおいでになり、共にいて心を温めようとしてくださる。ですから、その謙虚で優しい存在を認める恵みを求めましょう… 試練のない人生を求めるのではなく、あらゆる悲しみも、愛が宿れば交わりの場となり得ることを発見するために」と信者たちを促された。
講話の最後に、教皇は「そのようにして、私たちもまた、喜びに燃える心で、家路に就きましょう。傷跡を消し去るのではなく、照らし出す、単純な喜びを、主が生きておられ、私たちと共に歩まれ、あらゆる瞬間に新たな始まりを与えてくださる、と確信する喜びをもって」と呼びかけられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)