Sr石野バチカン放送回顧録①

はじめに―20年間のバチカン放送勤務

sr-%e7%9f%b3%e9%87%8e今日でこそバチカンは有名な観光スポットの一つとして、多くの人に知られているが、4,50年前まで日本では、あまり知られていなかった。バチカンは、総面積0.44平方キロメートルという世界最小の国。小さいけれど、教皇を元首とした独立国である。「永遠の都」とうたわれるローマ市内の一角にある。ローマ以上にバチカンは「永遠の市国」かと思っていたが、そうでもなさそうだ。変わらないところもたくさんあるが、大きく変化しているところもある。変化した新しいバチカンについては他の方にお任せして、わたしは昔のバチカンを、放送のことを軸に回顧し、ご紹介してみたい。

わたしがバチカン放送に勤務したのは、ずっと、ずっと昔のこと。第二バチカン公会議が閉幕した翌年の1966年から1986年までの20年間である。「シスターが放送局に乗り込んでくると聞いて、額に八の字を寄せている神父もいるから、そのつもりで」と、前任のN神父から言われた。まだそんな時代だった。でも、その意味でイヤな思いをしたことは20年間に一度もなかった。

情報手段が発達し、驚くほど簡単に、バチカンや教皇のニュースに接することができる今日、文字や言葉が表現しているバチカンのニュースの裏側が次々と想像されてニュースが膨らみ、想像が想像を呼んで、ニュースを身近に感じることができる。

バチカン放送勤務を目上から言われたとき、放送の仕事に未経験なわたしには一抹の不安があった。でも一つの強みもあった。それは、わたしが属する聖パウロ女子修道会は、現代的コミュニケーション・メディアを用いてみ言葉を宣教するという特殊目的を持っていることだ。

だから、マス・メディアについてはいろいろ聞いたり、学んだりはしていた。それに、リアルタイムで即時、情報を提供できる電波メディアに強い関心と魅力を感じていた。だから希望に燃えて新しい職場についた。 ( 石野澪子・いしの・みおこ・聖パウロ女子修道会修道女)

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2016年8月31日 | カテゴリー :