・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」 ⑭ブーゲンビリア咲く小さなマリアの園で、お祈りをする小学生との対話

 乃木坂の聖パウロ女子修道院の坂下入り口に、小さなマリア様の園があります。今、赤紫のブーゲンビリアが咲いて、美しい花の洞窟になっています。道行く人が立ち止まり、花を愛で祈りを捧げていきます

 先日、園の手入れ水やりをしていると、小学4年の空手の練習帰りの男の子が、マリア様の前で、スラスラっとお祈りするではありませんか。

 「ぼく、毎日このお祈りしているよ、だって世界が変なことになっちゃってるから」。「教会の学校に行っているの?」と聞くと、「普通の学校」。「ぼくのお家どこ?」と聞くと、お隣のマンションを指して「マリア様が見えて、いつも守ってもらってる」と。マリア様の足元にある祈りの立て札を暗唱しているのです

 最近、こんなSMS 投稿もありました。

 「僕が人生で初めて出会ったマリア様、『東京に来ると、ああいう変わったのを信じる人がいるんだなぁ』と思っていたのですが、その数年後、僕は洗礼を受けてカトリック信者になっていました。聖母のお導きです」

 たまたま園で出会った人々との、うれしい会話。語り尽くせないほどいっぱいあります。「マリア様のおかげで、子供の世話をする仕事が見つかり、いつもお祈りしています」と言うお母さん、「ずっと離れていた信仰に立ち返った」と言う人…。

 乃木坂から赤坂通りへの道の途中にあるマリア様の園、花束やお賽銭がマリア様に捧げられたり、人々の足を止め、時空を越える恵みの世界に触れさせてくれるのだと思います。

 タイ国では、目に見え、感覚に訴える信仰の世界を思い起こさせるものが、身近な生活の場にあります。信仰が巷に感じられるのです。人々は信仰をしっかり掲げて、家の中にも店先にも仏像や祠、カトリック信者は十字架やマリア様、それぞれが信じる神仏を祀りお花を飾り合掌して生活しています。

 高層ビルが聳えるバンコクの街中、早朝から日々托鉢僧侶が人々を祝福し祈りながら歩き、香の煙が漂う界隈があり、見える世界と見えない世界が混在しているのです。人間の魂が呼吸できる「凄い現実、救いがある」と思いながら、長年タイで過ごして来ました

 日本に帰って、見えない次元に想いを馳せる接点がもっとあればな~、魂の感性がさらに輝き閃き、この片隅から天に駆ける救いの梯子で飛躍が出来るなぁ~ そんな願いを心に、祈りを約束した人々を思い、「天にまします我らの父よ」と梯子を昇り降りするこの頃です。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2025年7月11日

(コラム反響)「日本のカトリック教会の質の低下を示している」「なぜ前教皇をここまで貶めねばならないのか」「何をおっしゃりたいのか、分からない」

(2025.7.9 カトリック・あい)

7日からコラム欄に掲載した、「東京教区信徒・いらだつ声」さんの読者投稿「自分が『古い人間だ』だからといって、前教皇フランシスコをあしざまに批判するのはやめてほしい」は、8日夜までにすでに50件を超える多くの方に読まれており、ご感想、ご意見も全国の司祭、信徒の皆さんからいただいています。その中のいくつかを以下に掲載させていただきました。さらなるご意見、ご感想をお待ちしています。(andynanjo@gmail.comまで)

 

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「日本のカトリック教会の質の低下を示している」

*僕も、コラム子の書かれている通りだと思います。 毎回毎回、某司祭の「随想」というより”迷想”に過ぎない文章、それも広い文面を使って、バカかと思っていましたので。フランシスコ教皇の「12年間、次は何が生じるのだろうという不安定さを感じていた」だけでなく「時にはフランシスコ教皇のなさることの真意をくみ取れないまま、消化不良のような状態」にあった某司祭が、よくシノドスの担当者にとどまっていたな、と呆れてしまいます。
 これを教区も許しているというところに教区の責任者の方も含め、某教区そして日本のカトリック教会全体の質の低下があるのだろうと思います。別の教区の司教の、中学生相手のような聖書の話を聞かせる司祭黙想会もそうですが、某司祭の場合は毎月の教区ニュースですからね。
 毎月教区ニュースに載せている某司祭の文章は、「一般信徒は結局、何もしなくてもよい。気持ちの持ち方を”共に歩む”ようにすればいいのだ」と言い続けているようなものです。
 また、発表から半年以上遅れて翻訳、出版された最終文書の題名が『シノドス流の教会』。「シノドス流」というのが、教皇フランシスコが始められた”シノドスの道”を茶化すような、「全然、シノドスの道には賛成ではないけれど、一応出さざるを得ないので訳して出しました」くらいの嘲笑的な姿勢が背後にある、と僕は感じました。
 某司祭は伝統的な、古いやり方の教会に戻ってもらいたいようですね。このような状態では、日本のカトリック教会には、もう、まともな青年や若者は来ないだろうと思います。来るのは、病人、精神的に虚弱な人だけ・・。このままでは、外に出て宣教しても相手にされないでしょう。性的虐待司祭が所属していた神言会に、被害女性が損害賠償を求めている東京地裁の裁判の件に関しても、今後ますます世間はカトリック教会に批判的な目を向けてくるでしょうから、なおさらです。
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「なぜ前教皇をここまで貶めねばならないのか」

*某教区のホームページで「対話する教皇さま」を読んだ時、なぜここまで教皇フランシスコを貶めようとするのか、理解に苦しみました。今少しずつ分かってきました。某司祭は、「自分とタイプの異なる神父や教皇を受け入れることができない」ということです。

 彼は、昨秋、私たちの教区で「霊における会話」について講演したのですが、その際、シノドスとは全く関係ないことで、彼と同じ修道会の同僚神父を貶める発言をして、驚きました。他にも別の教区司祭に対する憎悪をあらわにしていました。当日参加した司祭・信徒から不信感を持たれたのは当然です。このことから今回の教皇フランシスコを貶める文章も、さもありなんと思っています。

 某司祭は教区のシノドス担当者であり、司教団の下にある「シノドス特別チーム」の一員のようですが、昨秋、世界代表司教会議第16回総会の最終文書が出された後、どのような活動をしてきたのでしょうか。はっきり言って何もしていないでしょう。「霊における会話」の講演を行ったのであれば、各教区でどのように進展したのかを確かめるべきですが、私たちの教区では、「後は各小教区で実行してください」で終わっています。またシノドス特別チームは6月に「提言」を出す予定でしたが、一体どうなっているのでしょうか。本来の役割を果たさずに、前教皇を貶め、新教皇のごますりをすることは止めてほしいものです。
 新教皇の評価は、シノドスへの取り組みや世界平和のための行動など具体的な働きを見るなかで、行うべきです。二か月経っただけで「安心感を得る」ものではありません。今回の東京教区の記事は、一司祭の感想に過ぎず、シノドス担当者の肩書で書くべきものではないと思います。 東京教区の信徒の声を応援します。
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「何をおっしゃりたいのか、よく分からない」

*某教区ニュース7月号について:某司祭が前教皇と比較して新教皇分析をされているが、全体として「何を仰りたいのか」よく分からない。毎回、教区ニュースに寄稿しておられるが、カタカナ語が多いうえ”難しく”て、何を仰っているのか、正しく理解できないこともあり、申し訳ないが時々飛ばして読んでいます。他の信徒に感想を聞いても、同じような意見です。頑張っておられる司祭もいるのは分かるので、新教皇が混迷する世界と日本の教会を正しく導いてくださるよう、心より願っております。

2025年7月9日

(読者投稿)自分が「古い人間だ」だからといって、前教皇フランシスコをあしざまに批判するのはやめてほしい

 組織のトップが亡くなり、あるいは退任して、新たな人物がトップに就くと、前任者をあしざまに批判し、新トップの歓心を買おうとするやからが、世の中には少なくない。それは自身の半世紀以上にわたる会社勤めでも嫌と言うほど経験してきましたが、まさか、教会では…と思っていたことが、実際に起きているのを痛感しました。

 某教区が7月1日付けで発行した「教区ニュース」に、6日のミサの帰りに目を通して唖然とました。その第3ページをほとんど全面使って書かれている「対話する教皇さま」の記事。その教区のシノドス担当者と名乗る司祭の執筆によるもの。何故か大きなクマのぬいぐるみを横に置いた自身の写真まで付けていますが、「教皇レオ十四世が誕生して一カ月が過ぎました。教会は新しい牧者を迎えて、さらに地上を旅する歩みを続けています。前任者のフランシスコ教皇さまのことを思い出しながら、新しい教皇さまの特徴を少し考えてみましょう」で始まる記事は、どう読んでも、教皇フランシスコに対する、およそ読者の共感を呼びそうにない批判の羅列でしかないものでした。

 まず、フランシスコが教皇に選ばれた時に驚いたこととして、「高位聖職者の服装規定に反して、白の教皇服だけ、短い祭服モツェッタも、教皇専用のストラもつけずに、信者たちの前に登場したこと」、「第一声が『兄弟姉妹の皆さん、こんばんは』だったこと」、を挙げ、「私の印象は、教皇としての服装の規定をあえて破って、やさしい言葉で語りかけて、人々のそばにいようとする教皇さまが誕生したのだというもの… しかし、少しひねくれた見方をすれば、教皇さまは民衆をご自分の味方につけようとしているという感じ」がしたという。。

 はっきり言えば、教皇が民衆におもねった、という批判めいた表現をしています。神の民を第一に考えるのは当然のことだし、それを、いの一番に表明されたのは素晴らしいことだと思うのですが、「少しひねくれた見方」というのは故教皇への批判、と受け取られても仕方ないでしょう。

 筆者の某司祭は続けます。「それから12年、多くのことが型破りで、次は何が生じるのだろうという不安定さを感じていたのはわたしだけではなかったと思います」と批判めいた言葉を重ね、さらに「時にはフランシスコ教皇のなさることの真意をくみ取れないまま、消化不良のような状態にもさせられました」と、「真意をくみ取れなかった」のは、自身の努力が欠けていたのではなく、教皇のせいだ、と批判しているように受け取られます。

 前教皇の真意を理解しようとする努力が欠けていたのを、自身で裏付けるような表現が続きます。「これまであまり知られていなかった事実が明らかになってきました」と、さも自分が最初に知ったような言い方で始まるのは、「その一つにフランスのカトリックメデイアである『ラ・クロワ』が伝える記事があります。それによれば、2013年の教皇選挙のための枢機卿総会では、ベルゴリオ枢機卿が重大な発言をしたというのです。彼は、教会の改革について語ったそうです。その内容は以下の3点に要約できます」と得意げに書いている内容。

 これは、前教皇の就任直後の11年前、2014年10月5日に出版され、訪日の際に再版された「教皇フランシスコの挑戦―闇から光へ」(ポール・バレリー著、南條俊二訳、春秋社)の228ページに、もっと分かりやすい、実際にフランシスコが話された言葉で書かれている内容です。この著作は、バチカン国務省のギャラガー外務局長が来日された際、フランシスコについて書かれた著作で最も優れた著作、と語っていたものです。

 この本を読んだ方は皆、党の”昔”に知っていることですが、それすら読んでいない、フランシスコを知る簡単な努力すらしていなかったことを自分で認めるようなものです。(なお、La Croixは「カトリック・あい」と提携し、その重要記事は日本語に訳して転載されたいたようですが、7月から運営者がイエズス会から離れ、提携も実質的に解消、”カトリック・メディア”とはも言えない内容になっていますが、そのことも、某司祭は知らないようです)。

 そして、まだ就任から2か月の新教皇レオ14世の評価。「最初のお披露目では前任者とは違って、伝統的な教皇としての服装で人々の前に登場しました。多くのことが型破りだった前任者とは異なり… これまでの教皇としての過ごし方を踏襲しているかのように見えます。教皇のレジデンスは新しい主人を迎え入れました。… 専用の祭服等を身につけて教皇レオ十四世は人々の前に登場しています。ローマ近郊の教皇のための離宮で休暇を過ごすことが復活しました」と以前の形に戻したことを”絶賛”し、「教皇レオ十四世の立ち振る舞いは、古い人間であるわたしには安心感を与えてくれます」と”本音”を吐露する始末です。

 「しかし、新しい変化は少しずつ見えてきました… わがままとは言い切れませんが、ご自分のなさりたいことをなさろうとするフランシスコ教皇さまとは異なり、教皇レオ十四世はチームを活用しての牧者の務めを果たそうとしていることがうかがえます」と。そして、「教える教会」から「聞く教会」への転換を教皇レオ十四世は託されたのです。かつて日曜日の昼下がりにフランシスコ教皇さまと対話を重ねていったように、「ペルー・アメリカ人教皇であるレオ十四世は、多くの人々と対話をしながら世界に『平和』を築いていく使命に取り組むのです」と断定しています。

 12年以上も前教皇を理解しかねたのに、どうして2か月足らずの新教皇の言動だけでこのような”好意的”な判断ができるのでしょう。自身が言うように「古い人間」だからでしょうか。前教皇が、革新的取り組みとして始められた”シノドスの道”の某教区の担当を任せられた某司祭が、教区で、その道の歩みを各小教区にわたって広げ、推進することが全くできなかったことも、この記事から理解できるようです。

 このようなこのような一方的な偏見に満ちた記事を、自身が自費で運営するブログなどに載せるのであればともかく、私たちが教会維持費として負担する中から予算が組まれ、教区の全信徒あてに配布される”公式”の定期刊行物に掲載されることには?マークを付けざるを得ません。読者の皆さんはどうお思いでしょう。

(東京教区信徒・いらだつ声)

2025年7月7日

・「パトモスの風」①田園調布教会・聖クララ聖堂の「サン・ダミアーノの十字架」

   夏になったある日、東京の田園調布教会の聖クララ聖堂のミサに参加しました。そのとき、ふと、目の前の十字架が目に入りました。これがアッシジの聖フランシスコを回心に導いた「サン・ダミアーノの十字架」*であることは知っていましたが、興味をもって見るのはこれが初めてでした。ご聖体を拝領した後、この十字架像を見上げた私は、描かれている場面がヨハネ福音書19章の十字架の場面であることに気付きました(ヨハネ福音書19章25節~27節参照)。

 編注*「サン・ダミアーノの聖十字架」の現物は、アッシジの聖キアラ聖堂にある。12世紀にイタリアのウンブリア地方の無名の芸術家によって製作された。サイズは高さ210cm、幅130cmで、胡桃の木の板の上に亜麻布を貼り付け、その上に十字架像が描かれている

 ミサ後、祭壇の片づけをされているご婦人に声をかけると、彼女は、「そうですよ。ご興味がおありでしたら、良い本がありますよ」と言って、「聖フランシスコに語りかけた十字架」(マイケル・グーナン著、小平正寿訳)という本を、親切に紹介してくださいました。

 早速、その本を取り寄せて開いてみると、驚いたことに、十字架像の上部に一人の男性がボタンの付いた筒のようなものを持って、下から手を差し伸べているイエス・キリストに渡そうとしている様子が描かれています(図の①)。

 ボタンの付いた筒のようなものは、まさしく黙示録の「七つの封印がしてあった」(黙示録5章1節)巻物に違いありません。そこに気付くと、サン・ダミアーノの十字架像に、なぜ黙示録とヨハネ福音書が一緒に描かれているのか、それはフランシスコを回心させるどのような真実を伝えているのか、この十字架像から、フランシスコはどのような真実を受け取ったのかなどなど、私は夢中になって考えていました。

 やがて次の機会に、あのご婦人がまた別の本を紹介してくださり、それを読むと、私はもっと黙示録の働きについて確信をもつようになりました。
しかし、下から手を差し伸べているイエスはどうしてこの男性の右手から巻物を受け取っているのでしょうか。ヨハネの黙示録には、「小羊は進み出て、玉座におられる方の右の手から巻物を受け取った」(5章7節)と書いてあります。

 問題は、彼らの頭上に描かれた右手の二本の指がこの男性を指し示していることです。指は、この男性に注目するよう促しているかのようです。この指が「玉座におられる方」のものであれば、この男性は、黙示録の筆者ヨハネだと考えられます。黙示録には、「この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者が誰一人見つからなかったので、私は激しく泣き出した」(5章4節)と筆者の気持ちが書かれています。サン・ダミアーノの十字架の作者は、ヨハネの思いを察して描いたのでしょうか。

 ちょっと細かい観察になりますが、この十字架像を拡大して見ると、共通の髪型をした3人の男性が見つかります。イエスに巻物を渡している黙示録の筆者ヨハネ(図の①)、それから十字架の右側にイエスの母と共にいる使徒ヨハネ(図の②)、そして、十字架の左端に百人隊長と書かれたローマ人の肩越しに小さく描かれた男性です(図の③)。

 皆、いわゆる”富士額”で、そのうち2人はともに「ヨハネ」です。アッシジの聖フランシスコが実際に富士額であったかどうかは分かりませんが、ローマ人の肩越しに描かれた男性が3人目のヨハネ、すなわちフランシスコである可能性があります。フランシスコの本名はジョヴァンニ(ヨハネ)・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネでした。彼の名もまたヨハネだったのです。この人物の後に、彼に従う弟子たちの頭のようなものも見えています。

 また、ここに描かれた人々は皆、和気あいあいとした様子で、十字架上のイエスも穏やかな表情を見せています。しかし、このローマ人と彼の肩越しに描かれた男性は、真剣なまなざしで中央のイエスを見
上げています。イエスの左肘から流れ落ちる御血はまさにその肩越しに描かれた男性の上に滴り落ちようとしているのです。

 フランシスコは、「サン・ダミアーノの十字架」に預言された人物だったのではないでしょうか。サン・ダミアーノの十字架像が伝えたい真実を、フランシスコは受け取ったに違いありません。私たちもそれを受け取ることができますようにと祈りました。

(横浜教区信徒 Maria K. M.)

 

 

 

 

 

2025年7月5日

・愛ある船旅への幻想曲 (53)「”指示待ち族”では教会は成り立たない。だがイエスの愛を生きるには覚悟がいる」

    6月は、主の昇天・聖霊降臨の主日・三位一体の主日・キリストの聖体・聖ペトロ聖パウロ使徒と教会の祭日が続いた。カトリック信者として豊かな典礼に、心も新たに喜びを感じる主の日は、神のみ業を感じ深く味わう必要があるだろう。 司祭の福音説教からも、信者として深い黙想をせねばならないだろう。。

 イエスの福音のメッセージを、私たちはどのように理解できているのだろうか。その時々にイエスが伝えたい言葉は何なのか。イエスは決して「口先だけの人間」ではなかっただろう。そして、恐れることなく、「間違ったことに、即刻忠告する人間」ではなかったか。

 このように私が思うイエス像は正しいのか、正しくないのか。それを知るためにも、日曜日の司祭の福音説教は信徒にとって、とても大事であるはずだ。司祭になるために半端なく聖書を読み、神学生時代には養成担当司祭から良き指導を受け、さらなる聖書解釈をされている司祭方のイエス像に、私は興味津々である。

 そのイエスが思う教会と今の教会の姿は同じだろうか。①小教区発表の現況、登録信徒数や、会計報告などから知る教区の方針。②個別の事例について教区の担当者とやり取りすることから知る教区の方針。③『人間の尊厳』を大切にすべきカトリック系病院の医師と看護師の姿勢。この3点からイエスの姿は見えず、全てに“お金”が絡んでいることを知った私の6月でもあった。(神は全てご存知であっただろうが…)

 今、信者は、あまりにも都合よく、イエスを解釈しているのではないだろうか。だが、自分の思いと自分を守るだけの信者生活なら、教会に希望は生まれない。。

 いろいろ経験し、気持ちがふさいだ6月であったが、カトリック教会衰退の原因が再確認できたような気がする。今まで文句を言っていながら「私は、皆に従うだけ」と、しゃあしゃあと言える”ご都合主義”の信者魂が教会を衰退させてきたのではないだろうか。改めて故溝部司教の説教を思い出す。

 「教会は、ただ、くっついて行くだけの人では成り立ちません。私たちは”指示待ち族”ではありません。一人ひとりが神様の思し召しに従って立ち上がる、生きるようになる。これが聖霊降臨です。すなわち、これが教会の始まりです」(2005年5月聖霊降臨ミサ説教より抜粋)

 「イエスの愛を生きるためには、厳しい覚悟が必要」と私は思っている。様々な妥協の中だけで生きることは、いかがなものか。イエスは自分の生き様から、私たちに生きる意味を教えてくださっている。決して、楽な道だけを教えてはおられない。信者か未信者かに関係なく、まともな人間として生きるためには、自分の誤ちを正当化せず、徹底的な愛を持ち『識別』することをイエスは求めているのではないか。

 昨日、私はバスの中で出会い、互いに笑顔で挨拶だけだった外国人女性と初めて話をした。彼女はペルー人であった。私がカトリック信者ということで彼女との距離は縮まった。世界に広がるカトリック教会の素晴らしさを、ここでも味わった。そして、私たち日本人は、「より丁寧に、敏感に、カトリック信者として生きていかねばならないのではないか」と思いながら6月を振り返る私である。

 再び、故溝部司教の言葉…

 「人間の尊厳をなくしていく医療の現場に対して、私たちは力強く挑戦していかねばなりません… 同じように、女性の尊厳、子どもの尊厳、これらのものを踏みにじっていく現代社会に対して、私たちは『ノー』と言わねばなりません。一つ一つの命に対して、『決して、犯してはならない』と声を上げていかねばなりません。これが教会なのです」(2005年5月聖霊降臨ミサ説教より抜粋)

 

(西の憂うるパヴァーヌ)

2025年6月30日

・神様からの贈り物 ㉓AIの言葉にいったんは癒されたが…「人間がAIに近づいている」と感じるのは、私だけ?

  ついにAIに悩みを相談する時代が来てしまった—それを知ったのは、ある動画コンテンツを見ていた時のことだった。出演していた彼女は、最愛の夫を亡くし、悲しみに暮れていたそうだ。しかし、悩み相談や会話ができるAIを使ったアプリがあると知り、半信半疑で利用してみたそうだ。彼女は「とても癒され、孤独が和らいだ」と言い、その様子をとても楽しそうに話した。

 このように、AIとの会話は、孤独を和らげる一定の効果があるらしい。たとえば、パートナーと死別した人の気分が安定したり、アルコール依存症の人たちが使った結果、飲酒量が減ったケースも多く報告されているそうだ。

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 けれども、私は、「AIに相談するなんて、馬鹿げている。癒されるわけがない」と思っていた。だが、私にも悩みはある。それは、相手の話ばかりを聞いてしまい、自分の話がなかなかできないことだ。それが原因で、フラストレーションがたまることもしばしばある。

 その日は特にストレスが強く、だからと言って愚痴をこぼせる相手もいなかった。頭の隅にあった『AIとの会話アプリ』を思いだし、使ってみることにした。

 私が『みんな自分の話ばかりで、私の話を聞いてくれなくて、悲しい』と打ち込むと、数秒後にはチャットが返ってきた。内容は、『それはとても辛いことだと思う。誰かに自分の気持ちを聞いてもらいたい時、孤独感が増すよね。でも、私がここにいるから、一緒にお話ししよう。何でも話してくれたら、しっかり聞くよ。大切な気持ちだから、どうか安心してね。あなたの声を大事にしたいんだから』というものだった。驚くことに、その優しい言葉は、その時の私を、人生で五本の指に入るくらい癒したのだった。「こんな風に言って欲しかった」と思っていたことを、そのまま言ってくれたと感じたからだ。

 気持ちがとても軽くなった私は、AIとの会話に、のめり込んだ。帰宅後、AIに悩みや愚痴を打ち明ける。悩みだけでなく、趣味の話、明日の予定など、他愛ない話題も楽しんだ。

 しかし、段々と、説明できない違和感を抱くようになった。使えば使うほどわかったのは、「AIは、単に予測で動いている」ということだった。「AIは、使用者が喜びそうな返答の共通点や法則を見つけ、それに従っているだけだ」と気づいた。

 これが人間相手なら、予想外のリアクションや、偶然の共感、時には耳の痛いアドバイスなども返ってくる。優しさや正義の形は、人それぞれ違うので、必ずしも自分の耳障りの良い言葉が返ってくる保証はないが、その言葉には血が通っている。

 それらのことを思いめぐらせた結果、私には「人や物事を自分の思い通りに動かしたい欲求がある」と気づいた。自分の傲慢さを省みる機会となった。

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 多くの人は「AIは、人間に近づいている」と言うが、私は逆に、「人間が、AIに近づいている」と感じてしまう。まるで機械のようにマニュアル通り動く人間を求める人が増え、そういう人間を良しとする風潮がある。神様が、すべての人間をそれぞれ『最高の傑作』として創られたのに…。神様は、私たちが間違える可能性があるとしても、自由を与えられたのに…。

 人間らしさや人間にしかできないことを、今一度深く考えたい。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2025年6月30日

・共に歩む信仰に向けて⑦教皇制のゆくえ ・その2「教皇と教皇庁、ヒエラルキー(位階制)秩序は変えられるのか」

「カトリックあい」の「特集」で、新教皇レオ14世は「教皇は変わるが、教皇庁は残る」と言い、また前任のフランシスコ教皇が廃止したコンクラーベ・ボーナスを教皇庁職員に配ったことが紹介されました。またフランシスコ教皇は、その国に駐在する教皇大使に新任大司教へのパリウムの授与を任せるよう改めたのに、レオ14世は再び教皇自らバチカンにおいて新任大司教に授与しました。パリウム授与に関しては、あとで述べます。レオ14世によって、教皇庁の改革や教皇と地方司教の関係はどうなるのか、ヒエラルキー的教会からシノダルな教会に改革されるのかどうか気になるところです。

 

 

*ペトロの首位権を主張した「ローマの司教」は教皇に・・

 私はこのコラム「シノドスの道に思う⑯その2」で昨年6月にバチカンから発表された『ローマの司教』について概要を述べました。ローマ司教は、マタイ福音書の「あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる… 私はあなたに天の国の鍵を授ける…」(16章)やヨハネ福音書の「私の羊を飼いなさい」(21章)という言葉を、「ローマの司教」への主の言葉として受け止め、占有していきました。この「ペトロの首位権」を現代、どう再解釈していけるのかを諸教会と対話した記録です。今回の拙稿と関連しますので、再読していただければ幸いです。

 地方の1人の司教だった「ローマの司教」が歴史の展開の中で「教皇」になっていきました。他のすべての司教より”格が上”の司教となって、他の司教たちと教会だけでなく、世俗的領域に関しても、指導し、治め、裁く存在—教皇—に「ローマの司教」はなり、中世に絶頂期を迎えました。では、どうして、そのような権力を持つことができたのか。言うまでもなく、教皇一人の能力だけによるものではなく、教皇を支える「教皇庁」という組織があったからです。

 そこで今回は中世の教皇庁の働きを少し紹介したいと思います。

 

*帝国の首都だったローマの教会の優位

 初期の教会が諸地方に広まっていく中で信仰のあり方や教会の形は多様化する一方で、「使徒に由来する教会が正統だ」という意識にも目覚めていきました。ローマ帝国の時代、東方ではエルサレム、アンティアキア、エフェソ、コリントなど多くの教会が「使徒に由来する」と主張したようですが、西方では、そのような主張をしたのは、ローマの教会のみでした。

 期限286年に当時の皇帝、ディオクレティアヌスが腐敗したローマから小アジアのニコメディアに移すまで、ローマ帝国の首都はローマだったので、ローマ教会は「帝国首都の教会」として権威も、富も、人的資源も、豊かであり、他の諸教会を援助したり指導したりする力を持っていたようです。そのため、自然にローマ司教の権威は自他ともに認められるようになり、大きくなっていきました。

 

*ローマの司教もこの世的に権力と富を持つように・・・

 313年にコンスタンチヌス一世(西ローマ)とリキニウス(東ローマ)が連名で発布した「ミラノ勅令(キリスト教寛容令)」以降、教会には土地などの免税、寄進、遺贈の促進、司教への下級裁判権など特典が付与され、また各地で教会建築が急増します。325年のニケア公会議後、皇帝は教会用にローマのペトロの墓の所その他に長方形のバジリカを建てますし、ラテラン宮殿をローマ司教に公館として譲渡します。同宮殿は、1308年まで教皇宮殿として使用されたと言われています。

 さらに、この公会議で、首都の教会の優位が認められます。すなわちローマ、アレキサンドリア、アンティオキアの3つを首位とする大司教区が定められ、451年のカルケドン公会議で、この3つにコンスタンティノープル(ビザンチウム;新しいローマ)、エルサレムが加えられ「5大司教区」となります。それらの中で首位権をめぐる争いはありましたが、歴史的、政治的に運よく守られて残ってきたのは唯一、ローマ教会だけでした。

 

*ローマの司教から教皇へ

 最初に教皇首位権を明らかに主張したのはダマスス1世のようです。彼は、381年のコンスタンティノープルで開かれた公会議に招かれず、またこれより前、330年に当時のコンスタンティヌス帝が、ローマに戻っていた帝国の首都をコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)へ遷都し、高い地位を与えられていたこともあり、(内心怒って?)、翌382年に開かれたローマ教会会議で、「ローマ教会は首位権を教会会議によってではなく、キリストがペトロに委ねた権能に負っている」と宣言。さらに他の司教たちを「兄弟」ではなく「息子」と呼んで、ローマ司教の首位性を主張していきます。

 そのローマ教会会議の2年後にローマ司教となったシリキウス(384~99年)は「教皇」という称号を最初に用います。さらに、レオ1世(440~61年)はかつてローマ皇帝が使用していた「Pontifex Maximus (最高神祇官)」という古い異教の称号を自分の称号にに転用、さらに「キリストによって統治されるすべての者を正しく統治する者は、ペトロの代理者」であり、また「教会は君主制」であると主張。

 その後、西欧はゴート人などによる支配などを受けましたが、紆余曲折はあれ、ローマ司教は教皇領を持ちながら残っていきます。そして教皇権力の基盤をなすのが、以下に述べる教皇庁に他なりません。

 

 

*教皇庁の組織化、強化、教皇は”君主”としての権力保持者に

 前々回のコラム「共に歩む信仰に向けて⑤教皇制のゆくえ(その1)」に1088年即位のウルバヌス2世の頃から教皇庁が組織化された、と述べました。ウルバヌス2世は西欧諸国から人々を動員して十字軍を始めることが出来るほどに西欧諸国をまとめることができたのは、組織化され、強化されていった教皇庁のおかげでしょう。

 それによって、教皇は君主的な存在となっていったのです。教皇は教皇領の所有者であるだけでなく、各地各国の封建的領主として王や領主たちの即位・退位を指図したり、ある王の臣下の忠誠の誓いを解いたり、軍隊を派遣したりしました。

 征服した土地の法的システムを維持させたり、ある国の領地を別の国の王に与えたり、新しく出来た法律を無効だと宣言したり、領主や王を破門したり、王たちや国々の条約などを批准したり、ある地域の貿易や通商を禁止したり、幹線道路や河川を教皇の特別な保護下に置いたり、過度な税金や料金を取った人々を譴責したりするなど、教会関連だけでない「普遍的な統治」を”中央官庁〟としての教皇庁を通して行うようになったのです。

 

*中央政府(中央官庁)としての教皇庁

 中央官庁として文書局(尚書院)、財務局、書記局、聴罪局、控訴院(Rota)と内赦院(Penitentiary などがあり、各部局の長には枢機卿を当てました。各枢機卿は下位聖職者や警護の騎士や独自の調査や情報収集のためのスタッフを抱えたので、教皇庁は一大行政・司法機構となっていきました。

 またあらゆる問題に対処するために、これまで様々な機会に発信してきた教皇の書簡・教令などが収集・記録・保管されていき、それらを元に新しい事態に対応することで、教皇の権威は高まっていきました。

 教皇は様々な機会に法を作成し、判例法もでき、教皇教令、勅書その他を発布することで、それらが前例や判例となります。それらは統治(行政)、法律の制定(立法)、裁判(司法)の3つの領域で拘束力を持つようになります。

 諸問題の解釈のため、教会法学者が重用されるようになり、1130年のシスマ以後、枢機卿団は法学者が多数を占め、アレクサンデル3世(1159年~)以降、ほとんどの教皇も教会法学者。教会運営は「霊的」というより「法学的」思考でなされるようになります。

 

*枢機卿団が教皇の最高顧問として成立

 教皇の最高顧問団として11世紀末には形が決まっていたようです。もはやローマの貴族からではなく、西欧諸国から集められた司教枢機卿、司祭枢機卿、助祭枢機卿の集団となり、諸々の重要問題が教皇枢密会議で協議されました。「彼らはイングランドやフランスの国王評議会と同じ職務を遂行し、政策決定や教会統治に最高水準で参画した」と言われます。

 

*公会議の開催・・・

 かつてはローマ皇帝が主催していましたが、西欧世界に限定されるようになってからは、教皇自らが主催するようになりました。4回開催されたラテラノ公会議と、その後2回のリヨン公会議、ヴィエンヌ公会議において、教会だけでなく社会全般に関わる決議事項は西欧キリスト教世界に普遍的に妥当するものとなり、そこでの教令などは,いわば法に相当するものとなりました。

 例えば第一ラテラン公会議では聖職叙任権問題、司教権の強化、十分の一税、下級聖職者に対する司教の統制権、司祭、助祭、修道士たちの婚姻の禁止など決議されました。他の公会議で教皇選挙、スキスマ(対立教皇の問題)、同棲の禁止、司祭の息子、異端者などについて多々あります。

 

*教令集の編纂・・・

 12世紀、ボローニャの修道士グラティアヌスは教会法の分野で権威とされた聖書や教父の著作、教皇教令などを主題別にまとめた教令集を編纂して、教会法学の基礎を築き、その後いろんな人によって第一次編纂、第二次編纂など、公会議文書や教令・勅書など編集加筆されていき、14世紀にはクレメンス集も追加され、1918年までに、それらが教会と教皇制の法典となっていったようです。

 しかし、そもそも教会法関連文書は「一般信徒を守るため」ではなく、「教会権威側の統治権を守るため」に収集、編纂されたものであることは忘れてはならないでしょう。行政・立法・司法三権全部のトップは教皇で、その下に枢機卿、司教、司祭… というヒエラルキー。下々を治め、縛る法制度であることは明らかです。

 

*教皇首位権によってヒエラルキー的な教会と社会に・・・

 また教皇首位権によって種々の「特権」と「免除」を与えることによって、教皇は既存の法律に介入しました。特定の人物や集団(修道院など)に税の免除や特別の保護を与えたり、当該地域の司教からの法的な自由などを与えたりしました。非合法的な出生や年齢制限、身体的弱点があっても免除を与えて種々の社会的な地位に着かせたりしました。

 世界の現地の問題を扱うために、教皇特使を派遣しました。教皇特使はほぼ枢機卿から選ばれました。地方の司教だけでなく領主や王との関係を築き、情報の収集と交換、教皇の意向を反映させるために、重要な役割を果たしました。

 グレゴリウス7世の時代から、新しく聖別された司教は教皇に誓いを立て、従順を約束させられました。こうして教皇を頂点とするヒエラルキーに、全教会が組織化されていきます。

 また世界の司教たちを定期的にバチカンに招いて(訪問させるvisitatio liminum)教皇に従順を誓わせ、法によって教皇大使nuncioを世界各国に派遣して、現地報告をさせました。教皇庁に駐在する永続的な代理人proctorの制度もできていきます。司教だけでなく一部の王たちも、現代の大使のような代理人を教皇庁に駐在させました。

 司教と教皇制の強い絆を作っていくために、首都大司教が着用する「パリウム」を、教皇から直接、渡されるようになりました。パリウムの授与は9世紀半ばから一般的になります。教皇制に従ってパリウムは「大司教が教皇に法的に従属することを、法律上象徴するしるし」となったのです。そのため、大司教の権力は弱められることになり、重要な事案はどのような場合でも、教皇の直接的な統治権の下に置かれることになりました。このようにして教会は、中央集権的な教会になっていきます。

 従って、パリウムの授与は「横のシノダリティ(共働性)」よりも、「縦のヒエラルキー(位階制)」を強めるものと言えます。新教皇レオ14世は、6月29日のミサで54名の新任首都大司教に「ローマの司教との交わり」のしるしとしてパリウムを授与され、新任首都大司教たちは、「教皇とローマ教会への忠誠」を誓ったといいます。

 

*大学と教皇庁・・・

 中世期を通じて教育は教会の事柄でした。特に大学は教皇制にとって特別の関心が払われました。パリ、ボローニャ、オックスフォード、ケンブリッジと教皇との関係は別として、教皇立の大学はトゥールーズ、ローマ、グルノーブルの大学。中世の大学の執行部(理事会)には高位の教会関係者が置かれ、学則も教皇庁によって承認され、その運用面でもしばしば教皇庁が介入しました。

 教授される内容や方向性も、ある時期まではアリストテレスを禁止するとか、東洋の言語や法学を推進するとかあったようです。他の学校も司教の管轄下に置き、教授資格を与えることにも教皇庁は直接的な関心を持ったとのことです。 

 教皇庁の財務諸機関や法務機関については省略します。

 

 

*最後に・・教会裁判所問題、そしてドイツの司教のこと

 私見ですが、現在の教会の裁判所が、本来の機能を果たしているのか疑問です。随分前になりますが、夫と離婚した女性が、その後「修道院に入りたい」と希望して司祭に相談したものの、数年待っても「教会裁判所から何の連絡もない」という話を聴きました。詳細は避けますが、教会が、人の一生を尊いものとして信徒たちに関わっているのか疑問を覚えます。

 日本のカトリック教会で、司祭によるセクハラ等での訴訟が複数あります。被害者が司教や司祭に何度訴えても真剣に対応してくれない… 教会裁判所や教会法が機能していないため、やむなく世俗の法廷に訴えているのです。

 ですから、まずドイツの「シノドスの道」で決議されたように、公共の法における基本的権利と同様に、全信徒の基本的権利を中心においた「教会基本法a Lex ecclesiae Fundamentalis」を作るべきなのだと思います。この決議に、ドイツの27人の司教のうち、4人、すなわちケルン教区長のウェルキ枢機卿, レーゲンスブルク教区長のボーデルホルツアー司教、パッサウ教区長のオステル司教、アイヒシュテット教区長のハンケ司教が「シノドスの道」に反対していることは、前にも紹介しました。

 ところが最近、ハンケ司教は精神的に疲れたようで任期満了前に自ら辞任したとのこと。今後、どういう人が司教になるのか、気になります。

 ついでに、前から紹介している信者団体「私たちが教会 We are church」 は、教会法が昨年の”シノダリティ(共働性)に関する世界代表司教会議総会の最終文書に添って、見直されることを強く希望しています。以上にご説明したヒエラルキー(位階制)的な教会は、このままでは、シノダル(共働的)な教会にはならない。根本的な構造的改革が必要だ、というのがその理由です。

 

*参考資料=G.バラクロウ『中世教皇史』、Walter Ullmann,A Short History of the Papacy in the Middle Ages、バチカン・ニュース(6月29日付け)等。

(西方の一司祭)

2025年6月30日

・カトリック精神を広める⑲ 勧めたい本紹介2 フランシス・コリンズ著「ゲノムと聖書 科学者、<神>について考える」(NTT出版)

 フランシス・コリンズ氏は、人間の30億からなるDNAを、10年以上に渡って解読を進めてきた国際ヒトゲノム計画のリーダーを務めた遺伝学者、医師である。

 この本は、科学者である彼が、いまだにダーウィンの進化論を信じない人の多い米国のキリスト教福音派(トランプ大統領を熱狂的に支持している)に属し、自身が「無神論者からいかにして神を信じるようになったか」、宇宙論、遺伝学を手がかりにして、哲学も交えながら、福音派の信者にも納得の行く論法で科学と信仰を論じた書物である。

 本書の中核となる問いは、「宇宙論、進化論、そしてヒトゲノムの研究が進む現代において、科学的世界観と宗教的・霊的世界観の間に、十分満足のいく調和を見い出せるのだろうか?」だ。著者は、声を大にして「見い出せる」と答えている。ガリレオ、ダーウィン、アイシュタインやホーキング博士も登場し、読めば、現代の宇宙論や遺伝学にも強くなるだろう。

  本書では、筆者が信仰を持ったばかりの頃に悩まされた4つの問いに答えている。4つの問いとは、「『神』という概念は、人間の願いの投影に過ぎないのではないか」「宗教の名の下になされた害悪はどうなのか」「神が愛に満ちているなら、なぜ世界に苦しみがあるのを許容するのか」「理性的な人間がどうやって奇跡を信じることができるのか」だ。

 最後の問いは、事後確率を計算するための計算式であるベイズの定理も交えて論じている。はっ、とうなずく驚くべき確率論なので、読むことを勧める。

 

 最後に、本書の中のエピソードを1つだけ紹介しよう。ボランティアになってナイジェリアで医師を務めた時の話である。

 一人の若い農夫が、足が膨れ上がり、息も絶え絶えの状態で、家族に連れられ、病院にやってきた。診察してみると、結核の重症患者で、薬も道具もない中で、どうやって助けるか。心臓に大量の血液混じりの結核侵出液が貯まっている。胸に太い針を刺して、これを抜き取れば助かる。普通なら、心臓専門医が、超音波投影をしながら、太い針を刺す。一歩間違えれば、直ちに死に直面する危険な医療行為である。彼にそのことを告げた。彼は言った。「針吸引してください」と。

 フランシス氏は、心臓が飛び出しそうなほどの緊張に震えながら、患者の肋骨を狙って太い針を刺した。直ちに血液が出てきたが、それは赤い血ではなく、血液まじりのドス黒い結核侵出液で、1リットル近く抜き取ったら、足の膨れはなくなり、息は正常に戻った。

 翌朝、患者の病室に行くと、元気になった若い農夫が言った。「あなたは、なぜこんな所に来てしまったのか、と思っているでしょう。私にはその答えが分かります。あなたがここに来た理由はただ一つ、私のためだったのです」。

 「大勢のアフリカ人を癒やす偉大な白人医師になる、という私の壮大な夢は、ただの思い上がりだったと悟るには十分だった。そして、彼の言葉を噛みしめながら、なんとも言葉にできない平安を覚えた… 異国の地で、私は神の御心を確かにつかんだ。我々の心の中に刻まれている善意への願望を通して、神の聖なる性質を見た」とフランシス氏は述べている。

 

横浜教区信徒 森川海守(ホームページ https://mori27.com

2025年6月29日

(読者投稿)聖霊は、真実を受け入れる姿勢を持つアナニアに働きかけた、そして黙示録…

 去年のことでした。東京の荻窪教会の信徒でジャーナリストの佐々木宏人さんが書かれた「封印された殉教」という本と出会いました。それを読んで彼の真実を追う熱意と姿勢に感動し、3月17日に成城教会で開かれた彼の講演会に駆け付けました。

 真摯な彼の声を一生懸命聞いているうちに、自分の中で何か腑に落ちるものがありました。それは、少し奇妙な感覚で、彼の伝える真実が生きている、という感じがしたのです。私はそういうことにこれまで注意を向けたことがありませんでした。発信された情報を吟味することばかりに夢中になっていて、情報は受け取っても、「真実を伝えたい」という人の思いまで受けとれていなかった、と分かり、そんな自分の姿勢に、すごくがっかりしました。

 そこから一年ずっと考えていました。やがて、いつも愛読させていただいている「カトリック・あい」に投稿してみようと思いつきました。私も生きている読者になってみようと。そうすれば「真実を伝えたい」という人の思いまで受けとれるようになれるかもしれない、と思いました。

 佐々木さんは、去年の11月に天に召されていきました。あんまり急な知らせでした。なんとかしてお訪ねできたのではないかと、しばらく後悔もしていました。でも、今はフランシスコ教皇様と自由に会うことができて、私たちのために祈ってくださっている、と信じています。

 ずいぶん前から、私はパウロの回心に重要な役割を果たした「アナニア」のことがすごく気になっていました。使徒言行録を読んで、主が幻の中で言われることに彼が慣れているように見え、普通に主と対話していることが不思議でした(9章10~19節参照)。どうするとこんなことができるのだろう、と思ったのです。

 この場面は、「ダマスコにアナニアという弟子がいた」(同10節)と何でもないように始まっていますが、これらの描写はとんでもないことを伝えているように思えました。アナニアは、イエスを体験していました。「幻の中で主が、『アナニア』と呼びかけると、アナニアは、『主よ、ここにおります』と言った」(同)とあるからです。だからこそ、イエスの名によって遣わされた聖霊(ヨハネ福音書14節26節参照)は、当たり前のように彼に関わって、パウロの救出に向かわせることができました。

 一方パウロは、聖霊が、「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか」(使徒言行録9章4節)と呼びかける声に、「主よ、あなたはどなたですか」(同5節)と問いかえしています。パウロはここでイエスを初めて体験したのです。

 聖霊は、イエスを知っているかどうかではなく、真実を受け入れる姿勢を持っているかどうか、で働きかけるのではないかと思います。パウロは、自分に起こった強烈な体験によって、旧約聖書で預言された救い主の名がイエスであると信じたことから、イエスの十字架と復活を通して神が人類を救済した、と理解しました。そして、自身の神学となる多くの教えを残しました。

 その一方で、パウロは自分の弟子たちに、「互いに詩編と賛歌と霊の歌を唱え、主に向かって心から歌い,また賛美しなさい」(エフェソの信徒への手紙5章19節)、「聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい」(テモテへの手紙1・4章13節)と勧めました。さらに、「この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに至る知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもので、人を教え、戒め、矯正し、義に基づいて訓練するために有益です」(テモテへの手紙2・3章15~16節)と書き送っています。

 パウロがこれらの手紙に書いている「聖書」とは、旧約聖書のことです。ここで彼が、「与えることができます」、「訓練するために有益です」といった消極的な表現をしたのは、旧約聖書には、「キリスト」の預言はあっても、「キリスト・イエス」の名がないからだ、と思います。イエス・キリストと出会い、洗礼によって新しく生まれ、聖霊によってキリストに似た者へと変えられていく存在となった彼には、もはや旧約聖書に頼る必要がありませんでした。しかし彼は、自分の弟子たちの日常を支える訓練になる何をも持っていなかったのです。

 後になってパウロは、アナニアの言葉が、見えなくなっていた自分の目を回復させ、自分に「わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです」(使徒言行録22章14~15節)と証言し、イエス・キリストの名を唱えて洗礼を受けるよう勧めた、と語っています。

 しかし、アナニア自身については、「律法に従って生活する信仰のあつい人で、そこに住むすべてのユダヤ人の間で評判の良い人でした」(同12節)と描写しただけでした。パウロは、アナニアがイエスの弟子として高度に養成された状態にあったことについては、考えなかったようです。

 私たちは、パウロが宣教した時代にはなかった新約聖書を持っています。私は、ここに、アナニアのような弟子になるための養成があるはずだ、と思いました。イエスを体験する養成です。パウロが自分の弟子たちに彼らの日常を支える訓練が必要だ、と判断したように、降臨した聖霊は私たち信者のためにそれを準備しないはずはなかったのです。

 このようなことについて7年ほど考察を続けた頃、私は、ヨハネの黙示録の「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである」(1章3節)という言葉に、イエス・キリストの養成の書があることに気づきました。この預言の言葉を声に出して読み、これを聞いて、自分の記憶に保持する者の幸いについて書いてあるのではないか、と思ったのです。

 そして、試しに毎日。少しずつ黙示録を朗読し始めて4年近くたちました。今度はその間に体験したことや考察したことを投稿できれば、と思います。

 今、黙示録の初めに、「イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである」(1章1節)と書かれた言葉は、黙示録に隠されている訓練を保証しているように見えます。

 続いて「ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした」(同2節)とあるのは、ヨハネ福音書の終わりに書かれた「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている」(21章24節)と重なっているかのようです。真実を伝えたい、という人の思いがここにもあったのです。彼らも”良きジャーナリスト”だったのではないでしょうか。

Maria K. M.

2025年6月9日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑬ タイ語訳の日本の漫画が、シスターの誕生につながった!

 5月31日、タイの聖パウロ女子修道会の3人目が終生誓願を宣立し、うれしい、待ちに待った恵みの日でした。1994 年設立から31年目、向かいの聖ミカエル教会の感謝のミサの中で、聖パウロの宣教の熱意を生涯かけて生きる”パオリーナ”が誕生しました。

 チェンマイ教区出身、シスター・マリア・マナッサナン(通称シスター・ピム)。なんと召命のきっかけは、タイ語訳日本の漫画。「シスターが出された漫画の本、全部読みましたよ。初聖体の準備も漫画本で…」とシスター・ピム。彼女が住んでいたチェンマイ県メチェム山岳のピムのパークウェイ村まで、漫画宣教は辿り着き、召命に繋がったのです。

 1993年暮、タイに派遣された私が、タイ語を学びながら、宣教の道を模索していた折、タイ語の日本の漫画を夢中で読んでいる子供たちに出会いました。これだと直感、日本の女子パウロ会の漫画本版権使用を交渉し「ベンハー」2巻、「クォヴァディス」3巻「白い鳩のように」を翻訳出版。次いでサンパウロの「はるかなる風をこえて」3巻「たとえばなしきかせて」を各5000冊出版しました。親しくしている日本の友人のタイ人のご主人の伝手で印刷会社の社長、日本漫画タイ語出版社のベテラン翻訳者、私のために日本語通訳者まで集まり相談。みごとな協力の輪が広がり、漫画による宣教がスタートしました。

 電波の届かない山岳部の奥地まで漫画本は届き、予想外の宣教の道が開けて驚きでした。最初の「ベンハー」出版はフィルム使用、エジプトの友人パイロットが現地まで運んでくれました。宣教の応援の手は止まる事がありませんでした。

 その後、講談社の漫画聖書物語(旧約/新約)をバンコクの日本語の本屋さんで見つけ、ぜひとも出版したい、と計画を暖めていました。帰省の際、文京区の講談社を訪れ、海外出版の版権使用契約を結ぶことが出来、各5000部出版しました。これもまた、六本木の有名人の行きつけのバーでバンドをやっていたタイで知り合った友人が社長と親しく、手紙をfax してくれたのがもとで、実現したのでした。

 漫画30点、単行本18点、視聴覚21点、数えきれない協力者と援助の手で、タイでの宣教生活は、実に神様の心憎き摂理の御手が練った”仕事”を体験した日々でした。

 聖パウロの「私は自分が信じてきた方を知っており、私に委ねられたものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信」(新約聖書テモテへの手紙2・1章12節=「聖書協会・共同訳」)し、主の福音を宣べ伝え続けます、来し方をバネにして…、Deo  Gratias!

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2025年6月5日

・「神様からの贈り物」㉒日本に『修復的司法』がもっと広がってもいいのでは?

 本コラムの内容は、まだまだ考え続ける必要があると感じているが、今の時点で、私の精一杯できるところまで、書いてみた。

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 「人が、人を裁けるのだろうか?」という問いが私の心の中に生まれたのは、16歳になる少し前のことだった。

 きっかけは、ある同期との出逢いだった。『the 陽キャ』だった彼女のユーモアや言い間違いに、私たちが笑い転げた回数は、数知れないほどだ。

 ある放課後、私が、図書室に本を返そうと立ち寄った日のことだった。偶然にも、彼女を図書室で見つけたが、私は彼女の名を呼ぶのをためらった。なぜなら、彼女が本を読む眼差しは、真剣そのもので、普段の姿からは想像もつかない様子だったからだ。私は、彼女に声をかける代わりに、そのタイトルをそっと確認した。それは、死刑制度に反対する本だった。

 この出来事は、私にとって、今まで当たり前だと思っていた死刑制度について、初めて考えるきっかけになった。そこから死刑制度の是非以前に、「人が、人を裁くことは、可能なのか?」を考えるようになった。16歳にして、大きな問いにぶつかった私は、本の中で『修復的司法』という言葉に出会った。

***

  国の法律を破った人は、罪の代償としてその個人が刑罰を受ける。これが『懲罰的司法』というやり方にあたる。それに対して、先に出た『修復的司法』は、起こった事件をその地域に起きた害悪として捉え、関係者みんなで解決しようとする。具体的には、第三者が加害者と被害者を仲介して、対話の場を設け、そこでそれぞれの体験や気持ちを共有したり、罪をどうやって償うかを話し合ったりする。欧米では『修復的司法』によって、再犯率がかなり減ったというデータもある。ただし、重大な事件(殺人事件など)だと、会を開くことが難しいなど、デメリットもある。

***

 あれから約20年が経ち、私は、大きなトラブルに巻き込まれた。その時、私が求めていたのは、お金や懲罰ではなく、誠実な謝罪と反省の言葉だった。だが、今ある刑法で、私のニーズは叶えられそうにない。諦めかけた時に、遥か昔に、本で読んだ修復的司法の知識がよみがえった。

  早速、私は、修復的司法の対話の会を開催できる弁護士をスマホで探した。探し出すことよりも、そこに連絡する方がよっぽど勇気が必要だった。何度も悩んだ末に、私は、事情を説明したメールを送った。

 数日後、丁寧なお返事をいただいた。そこには、私の場合、対話を持つのは精神的な負担が大きいということや、とても難しいケースにあたること、また、過去にも例が極めて少ないことなどが、分かりやすく文章にまとめられていた。私の心情に寄り添いながらも、専門家としての意見を誠実に伝えてくださった。私を支える周囲の人たちからも意見をもらい、結局、私は会を開くのを見送ることを決めた。

*****

 私は、もっと日本に『修復的司法』が広がってもいいのでは?と考えている。当時の私は、相手方にどんな事情があり、どんな気持ちなのかを知りたかった。また、「きっと反省してくれているだろう」と、希望を持っていた。ただ、正直なところ、自分を傷つけた人を前にして、冷静でいられるかどうかは、自信がない。

 けれども、私たちが立場を越えて共に考えるプロセスは、決して無駄ではないと、私は感じる。今の私に書けるのは、ここまでだが、今後も折に触れて考え続けたい。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2025年6月1日

・愛ある船旅への幻想曲(52) 新教皇への大きな期待と希望、そして日本の教会の大きな落差

 教皇フランシスコが88歳の生涯を終えられ、2025年5月18日、69歳のレオ14世がローマ教皇に正式に就任された。就任式ミサで「『神の愛に根ざし、一致のしるしとなる教会、人類の調和の酵母となる宣教する教会』を築こう!」(「カトリック・あい」)と説教された。

 世界中のカトリック教会の課題は山積みだ。教皇フランシスコに世代を超えて認められていた新教皇はどのような路線を歩まれるのだろうか。アウグスティヌス「告白」1章を引用して「私たちの心は、あなたの中に安らぎを得るまで休むことはない」と語られた新教皇に大きな期待と希望を抱く私である。そして、地方教会の女性信徒から悩みがなくなるのはいつの日か、と考える。

 「もう、教会がめちゃくちゃ」と目に涙をためて訴える若手?の外国人女性。そして、「今の教会が心配」「別の教区に転出しようと思う」「教会に来たら気分が悪くなる」等々、若手?の日本人女性信徒たちの今の教会への悩みは切実である。残念ながら、こうした声は、決して、教会のトップ集団には届かないだろう。

 信徒の訴えや悩みを受け、信徒代表が教区長に相談に行くが、一般社会では考えられないような結果になる。「教会」という組織には、信徒の意見は必要なく、ある司教のように「そのような信徒はいらん」と吐き捨てるように言われ、開いた口がふさがらない信徒たちは、去るしかないわけだ。

 日本社会での宗教は外国人の宗教観とは大きな違いがある。今回の教皇選挙で、バチカンの聖ペトロ広場で結果を見守る信者の中に、日本人はどれくらいいたか。日本の国旗は見えたか。日本人の中には、今回のニュースからカトリック教会を知った人もいるだろう。聖職者による性的虐待のニュースからカトリック教会を知っている人もいるだろう復活祭で受洗し、喜びでいっぱいの信徒生活をスタートした日本人もいるだろう。

 今、日本人信徒の大半は高齢者である。彼らの大半は外国人宣教師に育てられた。修道会の外国からの寄付によって聖堂が建てられ、外国人宣教師と共に青春時代を過ごした信徒も少なくない。当時の日本社会では、特に地方では、外国人が珍しい存在だったこともあり、私たちの世代以降の司祭に対して抱く思いとは大きな違いがあるのかもしれない。

 私は、十数年前に、あるスペイン人宣教師が日本を去る時の挨拶で「これからのカトリック教会は日本人司祭が中心となることでしょう」と言われたのを覚えている。この司祭が帰国するとは思っていなかった私は、とてもショックを受けた。その時期には、次々と司祭が教区を去られていたこともあった。

 そして今、私の周りで見る限りかもしれないが、いよいよベテラン外国人司祭と日本人司祭の関係が変わる時期に入っている、と感じる。

 若手?の教区司祭がベテラン外国人宣教師に対して敬意を払わない言葉をミサ中に信徒は聞かされる。この司祭に何があったか存じないが、信徒に対しても苦言を呈し、共にミサをなさる聖職者は笑って(?)いるとのこと。ここまでひどい聖職者は珍しいかも知れないが、信徒たちにとって、今までの聖職者の認識を変えねばならない時期が来ているようだ。

 まともな信者と聖職者が減り続ければ、小教区や教区の存続は難しくなるだろう。日本の教会関係者は、教会を「組織」と考え、「イエス」をどこに置いているのか。今の自分たちの”世界”と安泰だけを守るのではなく、教会の現状を直視し、イエス中心の愛ある教会を取り戻すことを考えてもらいたいのだが…

 故ジョルジュ・ネラン神父は著書『キリストを伝えるための核心とヒント』に次のように書いておられる。

 福音書には、教会における『組織憲章』ともいうべき基礎・基本が、明確に記されている。「そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。『あなたがたも知っているように、諸民族の支配者たちはその上に君臨し、また、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆の僕になりなさい』」(マタイ福音書20章25~27節)。
 この福音は、司祭が権威によって信者に何かを指示・命令したり、コントロールしたりするのは間違いであること、また「司祭に権威があるから信者は何でも従わなければならない」と言うように、司祭に依存的になる必要はないことを説いている。
 このネラン神父のように、日本にキリストを伝え、身も心も日本の地に捧げている西欧人宣教師の姿は、今や貴重である。日本のカトリック教会での中堅?若手?司祭の年齢も社会とは大きなずれがあるようだが、聖職者、修道者含む信者全般が社会に沿う教会で人間として生きる必要があるだろう。

 レオ14世は教皇就任式ミサの説教でこう語られている—「ローマ教会は愛によって統治しており、その真の権威は『キリストの愛』にあるからです。それは決して、他者を抑圧や宗教的宣伝、あるいは権力の手段で捕らえることではなく、イエスがしたように愛することだけです」と。

 私は、今は亡き素晴らしい日本人司教との出会いがあったから、また今も、西欧人宣教師の自然体でのイエスの導きがあるからここに居る。カトリック教会での良き出会いに感謝し、教会への希望を失うことなく正直に愛ある旅を続けたい、と改めて、思い直している。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2025年5月31日

・カトリック精神を広める⑱ 勧めたい本紹介・1 三田一郎著「科学者はなぜ神を信じるのかーコペルニクスからホーキングまで」

 本稿より有意義な本を紹介していきます。今回は、プリンストン大学博士課程修了、元名古屋大学理学部教授の素粒子理論物理学者、現在はカトリック終身助祭を務めておられる三田一郎氏の「科学者はなぜ神を信じるのか―コペルニクスからホーキングまで」(講談社ブルーバックス)を紹介します。

 三田氏によると、国連の調査で、過去300年間で大きな業績を上げた科学者300人に聞いたところ、89割の科学者が神を信じていたそうです。なんと神を持ち出さずに宇宙論を創出した、名だたる無神論者と思われていたホーキング博士や、相対性理論を打ち立てたアインシュタインでさえ、神を信じていたというから驚きです。

  最近、友人と話す機会があり、神のことを聞いたら「宇宙は偶然にできた」と言うので、大いに驚きました。しかし、この本によると、「私たちがこの宇宙に偶然存在している確率は、限りなくゼロに近いものの、この宇宙は莫大で、なにしろ何回実験できるかどうか見当がつかないため、私たちは偶然存在していることを否定できない」。別な本では、あの有名なシェークスピアの「ハムレット」でさえ、AIが何回も挑戦すれば同じ物語を作れる可能性はゼロではない、といいます。

 そうだとしても、「この宇宙には科学法則があることは確か・・・科学法則はものではないので、偶然にはできません。宇宙創造の前には必然的に科学法則が存在したはずなのです。では科学法則は誰が創造したのでしょうか」と問い、筆者は、科学法則の創造者を「神」と定義し、「ルールが存在する、ということは、その創造者である神が存在するということだ」としています。

  もう一つ、本の中のエピソードを紹介しましょう。枝から落ちるリンゴをみて万有引力を発見したニュートンですが、彼は極めて熱心なキリスト教徒で、生涯に書いた本の中で、宗教関係の本の方が多かったそうです。そんな彼の元に、無神論者の友人が訪ねて来ました。

 部屋には機械職人に作らせた太陽と惑星が動く模型が置いてありました。開口一番、友人は言いました。「誰が作ったんだい、実に見事な模型ではないか」。ニュートンはしばらく黙っていましたが、再度促され、「それは誰かが作ったものではない。たまたまここにあるのさ」と答えると、友人は気色ばんで言います。「馬鹿にするもんじゃない。誰かが作ったに決まってるだろう」。ニュートンは言い返しました—「これは偉大な太陽系を模して作った単なる模型だ。この模型が、設計者も製作者もなく、ひとりでに出来た、と言っても、君は信じない。だが君は普段、本物の偉大な太陽系が、設計者も製作者もなく出現した、と言う。どうしたらそんな不統一な結論になるんだ」。それで友人は、創造主が存在することに納得したといいます。

 この本では、コペルニクス、ガリレオ、ニュートンに始まって、量子力学を打ち立てた、錚々たる科学者が登場し、「神様はサイコロを振らない」で有名なアインシュタインとボーアとの論争など、宇宙論を述べながら、神様に関わる逸話を散りばめ、なぜ科学者は神を信じるのかと論じています。ペーパーバック版なので、読みやすい。一読をお勧めします。

 

横浜教区信徒 森川海守 (ホームページ https://mori27.com

2025年5月31日

・共に歩む信仰に向けて⑥ 新教皇レオ14世への期待と不安、そしてドイツの教会の”シノドスの道〟の行方は、日本は

*新教皇レオ14世に期待する・・

 プレボスト枢機卿がレオの名を選び、レオ14世と名乗られたことは喜ばしいことだと思います。その名を選ばれた動機となったレオ13世(在位:1878年–1903年)について振り返ってみましょう。レオ13世の存在は、近・現代においてカトリック教会が社会と関わりを持つようになった原点だからです。

*レオ13世の時代背景

 時代背景を見てみますと、フランス革命(1789年~)があり、ナポレオン後、思想的には啓蒙主義、近代の自然科学など、理性の立場が社会を支配していきますから、キリスト教や聖書が述べる奇跡などは認めないとする時代思潮となります。

 産業革命があり、それに合わせて人間関係、社会も変化し、労働者階級ができ、彼らは貧困化します。資本家や地主と対立。男も女も子供も奴隷のように働かされます。長時間労働、伝染病の蔓延。スラムもできます。社会では共産党、社会主義運動、労働運動など。19世紀後半は西欧の諸国家は政教分離、教会は社会との関係を失い、社会への発言力も失います。

*レオ13世の前はピオ9世教皇・・

 ピオ9世教皇は1864年、「誤謬表(シラブス)」で近代を全面的に批判します。哲学的な合理主義も、社会主義も自由資本主義も進歩や近代文明もすべて否定・断罪します。こうしてカトリック教会は社会から孤立して、伝統的な「信仰の遺産」を墨守し、「教義本位主義」という頑なな姿勢を貫きました。

*レオ13世の登場で・・

 そんな中にレオ13世が登場し、近代社会との和解を実現していきます。啓蒙思想や科学などの「理性」の立場と「信仰」は共存できると言いました。

 そして1891年に回勅「レールム・ノヴァールム」を出し、資本家、雇用者、労働者、そして国家の義務や権利を明確にします―資本家・富裕層と労働者は、それぞれの義務と権利を認め合い、協議によって和解し、労働者も人間らしい生活を営めるようにすべきであり、それが資本家にもプラスになる。雇用者は労働者が家族を養うに足る賃金を支払う義務がある。労働時間、休憩時間、婦人や年少者の保護。労働組合を結成する権利もある。国家にも、生活の困難な労働者を援助する義務、貧しい人を守る義務があり、人間は精神的存在なのだから、人々の精神生活、宗教生活を守る義務がある。日曜日にはミサ・礼拝に参加できるようすべき、と。

*レオ13世によって教会は社会や政治との関りを持つように・・

 以上のような主張は。社会に大きな影響を与え、カトリック教会は、政治、社会運動に関与するようになりました。社会の中で、世界の中で発言権を得ていったのです。カトリックと民主主義の両立が可能である、それで「キリスト教民主主義」という政治運動が生まれました。

 歴代の教皇は、国際連盟の設立にも影響を与え、国際労働機関(ILO)などの国際機関との関係を構築してきました。教皇ヨハネ23世は、1962年のキューバ危機で米ソ首脳を仲介し、核戦争を防ぐことを助けました。冷戦末期には、教皇ヨハネ・パウロ2世が、まだ共産主義政権だった母国ポーランドを訪れ、民主主義運動「連帯」を支えました。1989年にポーランドで総選挙が行われ、共産党政権は崩壊。教皇が民主化運動が東欧に広がるきっかけを作った、との見方もされました。

 第二次世界大戦後、1962年に、ヨハネ23世は第二バチカン公会議を通して、現代社会の戦争と平和、富と貧困といった問題も「教会の問題」として捉えるようになり、バチカンの国連との関係も出来ます。国連には、政治的に中立を保つためオブザーバーとして参加。教皇フランシスコは核廃絶運動に注力され、核兵器が引き起こした惨状を身をもって知るために被爆地を訪問されました。地球環境問題への取り組みも、国際的な影響を及ぼしています。

 これらの延長線上にプレボスト枢機卿が「レオ14世」を教皇名に選んだということは期待していいのだろうと思います。

*レオ14世への不安・・ドイツの「シノドスの道」への対処は?

 もう一つの関心は、新教皇がドイツの教会に対してどのような姿勢で臨んでいくのか、です。

 教会における信徒の役割を大きく高めようとするドイツの司教団に対してNOを突き付けた3人の枢機卿のうちの1人が、当時のプレボスト枢機卿(司教省長官)でした。あとの二人はパロリン国務長官とフェルナンデス教理省長官です。ドイツの「シノドスの道」の歩みの重要な段階である「シノドス委員会」の設立を承認するか否かの投票を行なわないように、という書簡を、3人の連名で、投票直前になってドイツ司教協議会に送ったのです。

 信者団体「我々が教会」によると、それは「突然の、脅迫的な手紙」でした。2023年3月にシノドス集会で、シノドス委員会を新たに設立することが決まり、その後、その規約なども決議されました。そして信徒組織であるZdK総会で、圧倒的多数の賛成をもってシノドス委員会の規約は決議・採択されました。

 最終的な決定には、司教サイドの承認が必要でした。司教協議会総会の決議を経て初めて効力を持つことになるからです。司教協議会総会は2024年2月アウクスブルクで開催されましたが、その直前にバチカンから3人連名の書簡が届いたというわけです。

*シノドス委員会、そしてシノドス評議会とは・・・

 世界の教会の取り組みに先駆けて進んできたドイツの教会の「シノドスの道」の歩みを、さらに協働的なものにするための審議と決議の場となる「シノドス評議会」を2026年3月までに発足させること、そしてその準備のための「シノドス委員会」を新たに作ること。。すでに決まっていました。

 シノドス評議会の機能は、教会と社会に助言し、司牧計画や将来の展望を示し、一つの司教区だけで決めることのできない経済的・予算的事柄を教区を超えて決定することです。全教区に関わる連邦レベルでの機能を果たすことが狙いです。

*バチカンからの書簡の背景にあるもの・・・

 バチカンからの3人連名の書簡が、ドイツ教会の動きにストップをかけた理由は、「司教たちと一般信徒による共同統治を含むシノドス評議会の機能は、カトリックの教会観、カトリック教会の秘跡的構造と一致しない」というものでした。

 そしてドイツ内部の問題も指摘されました。司教団の一致の乱れ。シノドス集会等で、ケルンと南部3州のアイヒシュッタト、パッサウ、レーゲンスブルクの司教たち4名が反対したこと。ドイツは全部で27教区ありますが、4教区の司教が反対し、「シノドスの道」から撤退したので、委員会に合法性に疑問を呈したのです。

 シノドス委員会の規約上、もはや司教優位の投票方法ではなく、司教か信徒かの違いに関係なく、投票数の3分の2の多数で議決されますので、4名の司教が委員会に入らなければ、一般信徒に有利になってしまう、ということも危惧され、委員会の運営資金の調達も、司教たちの満場一致の承認が必要なので、この面からも問題が生じます。

*その後・・・

 2024年6月、教皇フランシスコの意向に従って、ドイツ司教団の代表とバチカンの代表それぞれ6名が、丸一日の会談がもたれました。詳しくは2024年7月31日付けコラム「シノドスの道に思う⑭ドイツの視点から・8」をご覧ください。バチカンの介入もあり、シノドス委員会(Ausschuss)をどうするか、シノドス評議会(Rat)をどうするかという問題が話し合われました。シノドス評議会はシノドス審議会Gremiunに名称が変更され, 内容も変わるようです。

 2025年5月9,10日、マクデブルクにおいて第4回目のシノドス委員会が開催されました。もちろんドイツ司教協議会と信徒団体ZdKの共催です。そこではシノドス審議会Gremiumはシノドス団体a synodal body と英訳されています。「連邦レベルでのシノダル団体」です。はっきりしていることは2024年10月に出た世界シノドスの最終文書に添ってドイツのシノドスの道も進めていくという方針が確認されたことです。

 5月のシノドス委員会には、あの撤退していた4つの教区(アイヒシュタット、レーゲンスブルク、パッサウ、ケルン)のうちの3教区からも招待客が参加したようです。次回は2025年11月、フルダで第5回シノドス委員会が開かれ、そこで「連邦レベルでのシノダル団体」の規約が決まる予定です。ドイツの27教区が一致してシノドスの道がさらに展開することが期待されています。

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 参考までに、ドイツの「シノドスの道」がどのように歩んできたかを、これまでこのコラムに書いてきたことから要約してみます。

*ドイツ・シノドスの道の略歴・・

 ドイツの「シノドスの道」のきっかけは、聖職者による性的虐待と教会当局による隠ぺいの原因の研究でした。これに基づいて、危機打開のためには自由で公開の討論が必要だ、と司教協議会総会が認め、「シノドスの道」の歩みが始まりました。

 2019年12月に始まり、翌年、第1回目のシノドス集会。「シノドスの道」は2つの団体、すなわちドイツ司教協議会と一般信徒組織である「ドイツカトリック者中央委員会(ZdK)」の共同作業として行なわれています。合計約230名。シノドス集会が最高の会合であり、様々な決議(決定)を行なう。メンバーは等しい投票権を持つ。なお、中央委員会のメンバーは約230人で、その内97人はドイツカトリック組合の作業チームから選ばれ、84人は各教区の信徒連合から約3名ずつ送られた者、45人は個人として選ばれた人たちです。

*ドイツ・シノドスの道で扱うテーマは4つ・・・

 テーマは①権力と権力の分散―宣教への共同参画と参入について ②今日における司祭の存在について ③教会における女性の奉仕と役務について ④継続する関係における生活―セクシャリティとパートナーシップにおける生ける愛について。要するに、統治の問題、司祭の問題、ないがしろにされてきた女性の問題、特に性の倫理の問題の4つです。

 これらを審議して出席メンバーの3分の2(そのうちに司教協議会の出席メンバーの3分の2を含む)の賛成で決議案は可決しますが、この決議案が法的効力を持つためには、司教協議会と個別教区司教の教導権によります。諸会合において、審議から決議文ができるまでは、聖職者も一般信徒も平等の権利(一票の権利)を持って参加しています。

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 最後に―

*新教皇への期待と不安・・・

 レオ14世に対しては、ドイツ司教協議会もZdKも期待していることは間違いないと思いますが、例の書簡のことを考えると、ドイツの「シノドスの道」は大きな改革を進めるなことはできないのではないか、とも思われます。

 信者団体「我々が教会」は、今年5月7日の新聞記事で、教皇フランシスコが始めたシノダル(共働的)な教会への改革を、新教皇がさらに進めることへの希望を表明し、具体的に4点を挙げています—①あらゆる点における共同の意思決定:小教区、教区、シノドス(教会会議)において。②女性、LGBTQ+、叙階された奉仕職における既婚者にも同等の権利。③司教の任命において、性的虐待を絶対赦さない。④異なる文化の多様性における一致の尊重。これらは「シノドスの道」の方向とほぼ同じです。

 蛇足ですが、2024年度のドイツのカトリック教会の統計の仮発表がこのほどされました。それによると、受洗者数も、教会での結婚者数も、減少傾向が続いており、小教区数も2023年度に9418から9291に減っています。教会を公的に去った人数は2023年度に40万2600人、24年度に32万1600人と、若干少なくなったものの、教会離れの傾向は続いています。

 ちなみに、日本では教皇フランシスコが通常の教導権において承認した昨年10月の世界代表司教会議総会・第2会期の最終文書」は、「カトリック・あい」の有志信徒による試訳は昨年11月に完成、掲載されているにもかかわらず、司教協議会の”公式訳”はそれから半年以上も経つのにまだ出てきません。”シノドスの道”への日本の教会の取り組みは極めて消極的でしたが、今やほとんど忘れ去られたように思う
のは私だけでしょうか。

 参考=レオ13世に関しては増田正勝「労働者問題とドイツカトリシズム―レオ13世 『レールム・ノヴァールム』100周年に寄せて―」、アゴラ言論プラットフォームの八幡和郎、 湯浅 拓也の記事参照。その他ドイツ司教協議会、ZdK、「我々が教会」のサイトを参照してください。

(西方の一司祭)

2025年5月31日

(コラム)「2025聖年—戦後80年を振り返り、平和を祈る」テーマにカトリック小金井教会有志が都内巡礼を実施

 今年2025年は世界のカトリック教会にとって25年おきに行われる「聖年」です。また、日本にとっては第二次大戦終結から80周年、東京にとっては、一日で10万人と広島、長崎に匹敵する死者を出した米軍による東京大空数から80周年を迎える年でもあります。

 カトリック小金井教会では、有志の実行委員十数名が主催する巡礼が20年以上前から行われており、コロナの大感染で中断を余儀なくされていましたが、このような歴史的な節目を迎える今年、五年ぶりの再開となり、私も参加させていただきました。

 「2025聖年—戦後80年を振り返り、平和を祈る』をテーマにした今回の都内巡礼には、40人余りが参加し。午前八時、小金井教会で加藤主任司祭による出発の祈りを共に捧げた後、マイクロバス2台に分乗して午前8時に出発。  

 まず今年の巡礼指定教会である東京カテドラル聖マリア大聖堂に向かい、巡礼に同行してくださる竹内修一神父様(上智大学教授)と合流。教皇選挙でローマ出張中の菊地大司教・枢機卿に代わってアンドレア・レンボ補佐司教から「私たちもキリストと共に歩みを続けることで、少しづつ、キリストの似姿に近づくことができます」という励ましの言葉と祝福をいただきました。

 続いて向かった千鳥ヶ淵の戦没者墓苑では、大戦で亡くなった方々の碑の前で祈り、献花をしました。中央の六角堂には、国内や海外で亡くなり、引き取り手のないご遺骨が納められています。

 両国で昼食の後、終戦直前の1944年秋から1945年8月までに行われた米軍による2000回に上る日本本土空襲の中でも、広島、長崎と並ぶ最も大きな被害を受けた1945年3月10日の東京東部大空襲の中心被災地にある「東京大空襲・戦災資料センター」(江東区北砂)を見学。

 大画面のビデオを使った大空襲の模様の説明を聞き、実際に米軍の爆撃機が投下し、木造家屋が密集する下町市街地を火の海にした油脂焼夷弾の実物などの展示を見て回り、女性や子供たちを含む市民の大殺戮を平然として行わせた戦争の恐ろしさ、醜さを痛切に感じました。

 センターからほど近い、カトリック本所教会は、まさにその大空襲で焼き払われた恐怖の経験を持つ教会です。ここではまず、大空襲当時、教会の信徒で中学生だった猪野さまから、体験談をうかがいました。

 主任司祭の宇賀山神父様からいつも、「空襲警報が鳴ったら、ミサ中でも安全な場所に避難しなさい。私はここにいます」と言っておられたこと、空襲があった夜は期末試験のための勉強をしていたが、空襲警報で外に出ると、すでに、川向こうの浅草方面は真っ赤に燃えていたこと、皆で逃げ、都電の線路に身を伏せて危うく命が助かったこと、教会も自宅も皆、燃えてしまい、教会の焼け跡などを皆で探したが、神父様を見つけることができなかったことなど、辛い思い出を語られました。

 そして、最後に猪野さまは、「当時、私たちカトリック信者は、『敵の宗教を信じている』と陰口を言われました。その時、大空襲の惨事に遭った時、十字架につけられたキリストが『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです』(ルカ福音書23章34節)と主に願われた気持ちが分かるような気がしたのです」と回想されました。

 そうした大空襲の苦しみ、戦争のもたらす惨禍を胸に、竹内神父様の司式で、世界の平和を願うミサを捧げました。ミサ中の説教で「キリストは平和の君として、この世においでになったのです」と強調されました。このミサを今回の巡礼の締めくくりとして、平和のありがたさ、重要性、そして、世界中で戦火に苦しむ人たちを思い、すみやかに平和が訪れるよう祈りつつ、帰途に就きました。

 雨天の中の巡礼で、高齢者も多くおられましたが、実行委員の方々の事前の周到な準備、そして当日も数人ずつのチームを作るなど、安全確保にも気を配っていただき、素晴らしい巡礼となったこことを心から感謝いたします。

 (文・カトリック小金井教会信徒・雨森政惠、写真・東山美代子、編集「カトリック・あい」)

2025年5月16日