【2024年5月の巻頭言】  「アド・リミナ」で司教たちは何を得たのか、果たされない「説明責任」

        

 

4月の日本の教会の祈りは、ご案内の通り、「日本の司教団アド・リミナ」だった。そこでは「日本の司教団がペトロの後継者との絆をさらに深め、よい牧者として日本の教会を導いていくことができますように」と祈るよう求めていた。

 

そして、アド・リミナ終了後のカトリック中央協議会ホームページでは「今年は、Covid-19の影響もあって、2015年以来の訪問でした。司教たちは、この機会を利用して、関係する教皇庁各省庁にも訪問し、日本での宣教司牧のため、情報交換などを行いました。 このアド・リミナが豊かな実りをもたらすよう、皆さん共にお祈りください」とあった。

 

9年ぶりのアド・リミナ。このように、繰り返し、信徒たちに祈りを求めているにもかかわらず、司教たちが教皇と、教皇庁各省庁の責任者と、どのような意見のやり取りがあり、どのような受け止めがされ、どのような成果を持ち帰ることが出来たのか、それをこれからの教会活動にどのように生かしていこうとしているのか。私たちの知りたいことは何一つ報告されていない。

これで、「豊かな祈りをもたらす」ように、共に祈ることができるのだろうか。

 

下世話な話かも知れないが、補佐司教も入れて17人もの司教団が、遠路ローマまで往復し、5泊滞在するのには相当額の経費がかかっただろうし、その全額は日本の信徒たちの献金からまかなわれたであろう。昨今の急激な円安でさらに経費は膨らんだであろう。全国の信徒たちに、繰り返し祈るよう求め、そのうえ経費まで負担させ… それだけ考えても、社会の一般常識では、その恩恵を受けた方々は、説明責任を果たす必要があると考えるが、教会ではそれが通用しない、いや、通用しなくて当然、と考えておられるのだろうか。

 

菊地・カトリック司教協議会会長の「週間大司教」や、中央協議会ホームページ、そしてバチカン放送日本語版の形ばかりの報道は「カトリック・あい」でも転載したが、閲覧件数を見ても、かなりの読者が関心をもって見ていた。しかし、肝心の中身は、音声なしの動画も含めて、皆無と言っていいほど。そして、いまだにそうだ。

 

菊地会長の「週間大司教」には、教皇からは「公式なスピーチはいらないから、じっくりと話を聞かせてください」と言われ、「それから1時間以上をかけて、日本の教会の様々な出来事について、司教たちが順番に教皇様に報告し、教皇様からもいくつかの質問があり、非常にリラックスした雰囲気の中で、共に分かち合う時間をとることができたと思います」とあり、「内容について記すことはできませんが」と念を押したうえで、「教皇様は日本の教会について、詳しく情報を事前に把握されており、具体的な質問がいくつもありました。あれだけ激務の中で、どうやって準備をされているのか、教皇様のその配慮に感銘いたしました」とある。

 

「内容について記すことはできません」というのは、教皇から、かん口令を出されたのだろうか。そうでないなら、一字一句でなくとも、教皇と司教たちとのやり取りの概要、あるいはポイントの説明がなければ、その場にいない信徒・聖職者は「感銘」のしようもないではないか。

 

シノドスの歩みも満足にリードできず、聖職者による男女信徒への性的虐待が相次いで訴えられていても適切に対処できないばかりか、無視あるいは隠蔽さえも耳に入り、長崎、仙台のように裁判所に訴えられて、損害賠償の命令まで受け、司祭の減少、高齢化の中で本来なら療養させるべき司祭に複数の教会を担当させざるを得ず、魅力を失った教会に若者の姿は減り、司祭志願者もなかなか出て来ない…という現状を率直に報告したのだろうか。

 

そのような報告がなされない限り、教皇やバチカンの幹部たちから適切な助言を得られるはずもないが。それとも、教皇は「日本の教会について、詳しく情報を事前に把握されていた」というから、そのような問題をわざわざ司教団側から説明する必要がなかったのか。いずれにしても、教皇からどのような示唆、助言があったのか、今後の教会のためにも、日本の全信徒、全聖職者と共有する必要があるだろう。

 

差し迫った課題として、司祭による性的虐待への対応がある。菊地・東京大司教、成井・新潟司教を輩出している修道会「神言会」に対して、原告被害者が損害賠償を求める裁判は、5月8日の午後2時から東京地裁第606法廷で第3回口頭弁論が行われる。被告側はこれまで代理人弁護士のみで、神言会の代表者は出廷していない。提訴されたことに不服があるなら、出廷して、堂々と反論をすればいいではないか。いや出廷は義務ではないか。

 

「カトリック・あい」には、ほかにも東京教区の複数の修道会がらみの聖職者による性的暴行被害の相談が2件、寄せられている。これまでのように、被害の訴えにまともに対応せず、無視、あるいは隠蔽の動きさえも聞こえる状態を放置しておけば、ドイツの教会で起きているような、まともな信徒の教会離れを加速する恐れもなしとしない。

 

9年ぶりのアド・リミナで司教たちは何を学び取ったのか、そして、それをもとに、このような問題も含め、これからの教会のために何をなそうと”決意”したのか。是非とも聞かせていただきたい。読者諸兄姉のご意見もお待ちしています。

 

 

*追記(5月25日加筆)*

以上を執筆後、西日本の友人司祭から、5月1日付けのカトリック大分教区報「こだま」534号のトップで、教区長の森山信三司教が「9年ぶりのアド・リミナ」というタイトルの記事を載せられたことを教えられた。部分的ではあるが、ご本人がどのように今回の訪問を受け止めたか、教皇やバチカン幹部の印象に残った言葉などが率直に報告されている。福岡教区も6月号の教区報で報告がされると聞いている。森山司教の報告は、「カトリック・あい」の「特集」欄に、大分教区の了解を得たうえで転載した。

本来であれば、司教協議会として、単なる”日程報告”ではなく、公式な報告として、日本の信者が目を通すことのできるような形で、具体的なやり取りをまとめ、参加した17司教の、森山司教のような報告も併せて、全国の司祭、信徒が”成果”を共有できるようにするのが、当然だろう。その司教協議会会長で、アドリミナの司教団団長を務めた菊地・東京大司教も、若干遅れて、インターネットのホーム・ページ「週間大司教」で「アドリミナを振り返って」の不定期連載を始め、5月25日現在、第六回まで続いている。5月25日から「カトリック・あい」では、シノドスの項目にまとめて掲載している。

内容はともかく、伝えよう、と言う誠意は見られるものの、見出しもなく、極めて読みにくい。しかも、「週間大司教」という、半ば非公式なページでの掲載であり、どれほどの信者が掲載に気が付いているのか、加えて、特に高齢の信徒は、インターネットのホームページを開くことも多くない。大司教がご自分でなく、アドリミナの広報担当を決めて、受け手の読者、信者に幅広く、分かりやすく共有する努力を司教団としてすべきではないだろうか。このままではせっかくの9年ぶり、多額の人的、物的負担のもとになされたアドリミナの成果を共有するには程遠い。

 

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

 

【読者から】

 

+5月号巻頭言、読ませていただきました。司教団、アドリミナ、本当に無駄ですね。彼らは自分たちが信徒をバカにしていることがわかっているのか?

 カトリックの良さはその霊性が修道会によって担われ、霊的で静謐な点にあるでしょうが、教会の中で誰も彼もが「従順」であるべし、「従順」であるはずということが重んじられたのも、修道会の影響です。それ自体は悪いものではありません。日本の幾人かの司教は修道会の人です。彼らも悪人ではない・・。ヒエラルキーを神の意思とすれば、従順は尊し、と、自然そうなります。神から教皇へ、そして司教へ、司祭へ、信徒へと。上から下へ、従え、従えと…。
 「時のしるし」とは時代による人類の進化の中で、見方が大きく変化するということでしょう。従順を暗に要求するヒエラルキーを叩いていかないと、カトリック教会は変わり得ないでしょう。少なくとも教会論に関して悪の根源はヒエラルキーにあると思います。東大の藤崎衞さん等の中世研究はもっと注目されていくのかもしれません。
 残念ながら最初のフランシスコ教皇の講演やシノドス文書にあった「逆さピラミッド」という語は、たぶんどの司教も真剣に受け止めたことも、司祭たちに語ったこともないでしょう。無理解か危機感のなさか…。教会の力、権力が神からのものでないことを強く訴えていかないと教会は改革できないでしょうね。ドイツの司教団はKMUに参加することで「信徒の声」「時のしるし」を聞こうと、シノドスの精神でやっています。でもこのままでは、あと10年すれば、西欧の教会も日本の教会も今の3分の1も信徒はいなくなるでしょう。(南の、ある司祭)

 

 

+巻頭言を拝読しました。全く同感です。説明責任を果たそうとしない点については予想通りという気もしています。司教さんたちは都合の悪い情報は、今までと同様に公表しないだろうと思うからで   す。公表しなくても、司祭・修道者・信徒たちは何も言わないだろうと高をくくっているのでしょう。

「従順」の名の下に、司教には誰も意見を言わない(言えない)風潮が教区全体に蔓延しています。これが教会の衰退の始まりであり、やがてカトリック教会全体が泥船として沈没するだろうと危惧します。アドリミナの報告を公表する勇気ある司教さんが出てくることを期待しています。その前に、共に歩むシノドス的教会を望む信者たちで、アドリミナに関する情報公開を求めることが必要だと思います。(西方の一信徒より)

 

 

+私は、毎月の巻頭言を楽しみにしている一人です。 9年ぶりのアド・リミナに補佐司教も入れて17人の旅の様子の動画を一度だけ拝見しました。「楽しい観光旅行?」が率直な感想でした。

 日本では信徒の二極化が益々進み教区の運営もままならない状態では?と、思うのは私たち信徒だけなのでしょうか。司教団の方々は、どのくらい信徒の状態をご存知なのでしょうか。教皇フランシスコよりも日本の状態を知らないようでは、バチカンに行った意味がないでしょう。
 私自身は、「大阪高松教区合併劇のシナリオが、現在の日本のカトリック教会の問題の実態を、そのまま物語っている」との結論に至っています。どこに真実があるのか、誰が嘘をついているのか、今も何もわからない。大阪高松が発表し続けた内容や日付は、その式典で読み上げられた内容と日付とは違っていたことは実に不思議なことです。司教団が取り決めた茶番劇だったのでしょうか?または、勝手に好きなように動いた聖職者がいたのでしょうか?彼(ら)はカトリック教会を守ったつもりでしょうか?(結局は、自分を守った?)
 世間で”正しい”と思われている組織ほど、『組織防衛』に長けている、それは宗教組織を見たら分かる、とさえ言われています。おまけに、カトリック教会には位階制度を利用する“隠蔽体質”も、ハラスメント問題から公けに知れ渡っています。
 既に教会を離れている信徒は大勢いますが、心ない聖職者が存在するカトリック教会が衰退していくのだけは見たくない。未来の教会のために正々堂々と意見を述べて教会を追われた信徒たちですから。(今の教会に疑問しかない一信徒)
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2024年5月31日