(読者投稿)自分が「古い人間だ」だからといって、前教皇フランシスコをあしざまに批判するのはやめてほしい

 組織のトップが亡くなり、あるいは退任して、新たな人物がトップに就くと、前任者をあしざまに批判し、新トップの歓心を買おうとするやからが、世の中には少なくない。それは自身の半世紀以上にわたる会社勤めでも嫌と言うほど経験してきましたが、まさか、教会では…と思っていたことが、実際に起きているのを痛感しました。

 某教区が7月1日付けで発行した「教区ニュース」に、6日のミサの帰りに目を通して唖然とました。その第3ページをほとんど全面使って書かれている「対話する教皇さま」の記事。その教区のシノドス担当者と名乗る司祭の執筆によるもの。何故か大きなクマのぬいぐるみを横に置いた自身の写真まで付けていますが、「教皇レオ十四世が誕生して一カ月が過ぎました。教会は新しい牧者を迎えて、さらに地上を旅する歩みを続けています。前任者のフランシスコ教皇さまのことを思い出しながら、新しい教皇さまの特徴を少し考えてみましょう」で始まる記事は、どう読んでも、教皇フランシスコに対する、およそ読者の共感を呼びそうにない批判の羅列でしかないものでした。

 まず、フランシスコが教皇に選ばれた時に驚いたこととして、「高位聖職者の服装規定に反して、白の教皇服だけ、短い祭服モツェッタも、教皇専用のストラもつけずに、信者たちの前に登場したこと」、「第一声が『兄弟姉妹の皆さん、こんばんは』だったこと」、を挙げ、「私の印象は、教皇としての服装の規定をあえて破って、やさしい言葉で語りかけて、人々のそばにいようとする教皇さまが誕生したのだというもの… しかし、少しひねくれた見方をすれば、教皇さまは民衆をご自分の味方につけようとしているという感じ」がしたという。。

 はっきり言えば、教皇が民衆におもねった、という批判めいた表現をしています。神の民を第一に考えるのは当然のことだし、それを、いの一番に表明されたのは素晴らしいことだと思うのですが、「少しひねくれた見方」というのは故教皇への批判、と受け取られても仕方ないでしょう。

 筆者の某司祭は続けます。「それから12年、多くのことが型破りで、次は何が生じるのだろうという不安定さを感じていたのはわたしだけではなかったと思います」と批判めいた言葉を重ね、さらに「時にはフランシスコ教皇のなさることの真意をくみ取れないまま、消化不良のような状態にもさせられました」と、「真意をくみ取れなかった」のは、自身の努力が欠けていたのではなく、教皇のせいだ、と批判しているように受け取られます。

 前教皇の真意を理解しようとする努力が欠けていたのを、自身で裏付けるような表現が続きます。「これまであまり知られていなかった事実が明らかになってきました」と、さも自分が最初に知ったような言い方で始まるのは、「その一つにフランスのカトリックメデイアである『ラ・クロワ』が伝える記事があります。それによれば、2013年の教皇選挙のための枢機卿総会では、ベルゴリオ枢機卿が重大な発言をしたというのです。彼は、教会の改革について語ったそうです。その内容は以下の3点に要約できます」と得意げに書いている内容。

 これは、前教皇の就任直後の11年前、2014年10月5日に出版され、訪日の際に再版された「教皇フランシスコの挑戦―闇から光へ」(ポール・バレリー著、南條俊二訳、春秋社)の228ページに、もっと分かりやすい、実際にフランシスコが話された言葉で書かれている内容です。この著作は、バチカン国務省のギャラガー外務局長が来日された際、フランシスコについて書かれた著作で最も優れた著作、と語っていたものです。

 この本を読んだ方は皆、党の”昔”に知っていることですが、それすら読んでいない、フランシスコを知る簡単な努力すらしていなかったことを自分で認めるようなものです。(なお、La Croixは「カトリック・あい」と提携し、その重要記事は日本語に訳して転載されたいたようですが、7月から運営者がイエズス会から離れ、提携も実質的に解消、”カトリック・メディア”とはも言えない内容になっていますが、そのことも、某司祭は知らないようです)。

 そして、まだ就任から2か月の新教皇レオ14世の評価。「最初のお披露目では前任者とは違って、伝統的な教皇としての服装で人々の前に登場しました。多くのことが型破りだった前任者とは異なり… これまでの教皇としての過ごし方を踏襲しているかのように見えます。教皇のレジデンスは新しい主人を迎え入れました。… 専用の祭服等を身につけて教皇レオ十四世は人々の前に登場しています。ローマ近郊の教皇のための離宮で休暇を過ごすことが復活しました」と以前の形に戻したことを”絶賛”し、「教皇レオ十四世の立ち振る舞いは、古い人間であるわたしには安心感を与えてくれます」と”本音”を吐露する始末です。

 「しかし、新しい変化は少しずつ見えてきました… わがままとは言い切れませんが、ご自分のなさりたいことをなさろうとするフランシスコ教皇さまとは異なり、教皇レオ十四世はチームを活用しての牧者の務めを果たそうとしていることがうかがえます」と。そして、「教える教会」から「聞く教会」への転換を教皇レオ十四世は託されたのです。かつて日曜日の昼下がりにフランシスコ教皇さまと対話を重ねていったように、「ペルー・アメリカ人教皇であるレオ十四世は、多くの人々と対話をしながら世界に『平和』を築いていく使命に取り組むのです」と断定しています。

 12年以上も前教皇を理解しかねたのに、どうして2か月足らずの新教皇の言動だけでこのような”好意的”な判断ができるのでしょう。自身が言うように「古い人間」だからでしょうか。前教皇が、革新的取り組みとして始められた”シノドスの道”の某教区の担当を任せられた某司祭が、教区で、その道の歩みを各小教区にわたって広げ、推進することが全くできなかったことも、この記事から理解できるようです。

 このようなこのような一方的な偏見に満ちた記事を、自身が自費で運営するブログなどに載せるのであればともかく、私たちが教会維持費として負担する中から予算が組まれ、教区の全信徒あてに配布される”公式”の定期刊行物に掲載されることには?マークを付けざるを得ません。読者の皆さんはどうお思いでしょう。

(東京教区信徒・いらだつ声)

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2025年7月7日