改(読者投稿)米国の広島・長崎原爆投下80周年メッセージー教皇レオ14世にも、米国巡礼団の枢機卿にも、米国人としての自戒の念が感じられないのはなぜ?

 広島・長崎に世界で最初、そしてこれまでに唯二回の原爆が使用されて80年。教皇レオ14世と日本訪問中の米国巡礼団を率いる枢機卿からメッセージが出されました。しかし、この二つのメッセージを読み返して、強い違和感を感じるのは私だけでしょうか。

 原子爆弾の開発、製造は、もとをただせば、開発の先端を行っていたドイツの最優秀の科学者たちのいるナチス・ドイツがその製造に成功し、使用するのではないか、という恐怖に駆られた米国政府・軍とそのドイツの科学者の指導を受けた後で米国に亡命した科学者たちが中心となって開発・製造に成功した。ところが競争相手と考えていたドイツが降伏してしまい、代わりの使用先として、まだ降伏していない日本に使おう、ということになった、というのが真相のようです。巨額の政府予算を投入したこの大プロジェクトの”成果”を連邦議会や国民に示さねば、という心理的圧力が政府、軍、科学者たちにあったことも考えられます。

 一方のドイツの原爆開発のリーダーだったハイゼンベルク教授はこの新型爆弾をヒットラーが手にしたら恐るべきことになる、と強い懸念を抱き、開発製造に成功する前に、色々な理由を付けて、敗戦前に事実上、開発を停止していました。そのメッセージを第三国を通じて、米国に伝えようとしたが、なぜが米国の科学者にも政府にも届きませんでした。

 要すれば、米国の政府・軍・科学者が恐るべき事態を予測できたにもかかわらず、開発を推し進めた結果、原子爆弾の広島・長崎への投下、一瞬のうちに何十万もの非戦闘員の市民の命を奪い、共同開発者だった英国はもとより、その威力に着目したロシアまでもが開発に着手し、手にするに至ったわけです。様々な理由付けが可能であるとしても、客観的事実として、現在に至る核兵器の拡散は米国が開発、製造、そして使用したことに始まっていることに変わりはありません。

 当時の米国のカトリック教会、高位聖職者たちが、このような恐怖の兵器の開発、製造、使用に対して、どの段階で知り、どのような対応をしたのか、今となって走る由もありませんが、投下80年の大きな節目の年に当たって、当の米国人初の教皇も、わざわざ巡礼団を組織して広島・長崎を訪れた枢機卿たちも、メッセージに、そうした国、国民としての深い自戒の念から始めて然るべきだったのではないでしょうか。

 実際の教皇のメッセージで、そうした表現は皆無。「あの 1945 年 8 月の出来事から長い年月が経ちましたが、広島と長崎の町は今もなお、核兵器がもたらした恐ろしさを、私たちに伝え続けています」と言われていますたが、では、その核兵器を開発、製造、そして広島と長崎に使用した当事者であり、その後もさらに巨大な破壊力を持つ水素爆弾の開発、製造を進め、恐ろしい核兵器競争の端緒を作った米国の、それを許容した国民の、教会の責任をどうお考えになるのか。メッセージからはうかがい知れません。長崎でミサを捧げたマックロイ枢機卿も、米国の原爆投下の責任については、「私の祖国が日本国民に対して行った正当化できない爆撃」の一言しか触れませんでした。

 「広島と長崎は『記憶のしるし』として、相手を破壊する力によって安全を保つという幻想を捨てるよう、私たちに語りかけているのです… 私たちは、正義、兄弟姉妹愛、そして共通善にもとづく世界の倫理をつくらなければなりません… この厳粛な祈念の日が、国際社会に対して、全人類家族のための持続可能な平和―すなわち、『武器のない平和、武器を取り除く平和』―を追求する決意を新たにする呼びかけとなることを、私は心から祈ります」と教皇はメッセージで言われます。マックロイ枢機卿も「あの日々についての証言は、既存の核兵器システムの近代化と新たな国家間の核兵器の拡散を通じて私たちを飲み込もうとする核の狂気の流れから離れるように、世界全体に警鐘を鳴らしています」と語っています。

 だがこれらの言葉に、もう一つ説得力を感じられないのは、原爆の弓を引いた当事国の国民の一人だという当事者意識、自戒の念から、出発していないからではありませんか。

 そうした中で、唯一の例外と思われるのは、広島での米巡礼団のクピッチ枢機卿が語ったとしてVatican News だけが伝えている言葉です。「第二次世界大戦の残虐さの中で、非戦闘員は攻撃対象としない、という伝統的な原則は崩れ去った…〝総力戦″の名の下に、一般住民を標的とすることが常態化されつつあった。ヒロシマとナガサキが原爆攻撃の対象として選ばれた理由の一つは、すでに日本の他の都市を爆撃、破壊していたことから〝新兵器″を使用することへの心理的抵抗は弱められていた」と指摘。

 さらに「米軍兵士たちの命を救うためなら核攻撃を行うことを支持する意見が多数表明されている最近の米国の世論調査結果」を挙げ、「これは、1945年以来、米国民の核兵器使用や外国の民間人を意図的に殺害する意思が、多くの研究者が想定していたほど変化していないことを示している」と警告していますが、”客観的”なコメントに留まり、「自戒」とは一歩距離を置いた印象は否めません。

 日本国内ではわが国が批准していないことを批判する声がある核兵器禁止条約。2021年1月に批准国が50か国を越え、新たな国際法として発効していますが、肝心の核兵器保有国、米国をはじめ、ロシア、中国、フランス、英国、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮の9か国すべては、この条約に参加する意思を全く見せておらず、それどころか中国と北朝鮮は核兵器製造のピッチを上げているのが現状。これでは、条約の意味をなさないのは誰が見ても明白です。

 核兵器を持たず、唯一の被爆国である日本が条約に参加しても、核兵器を持つ国々すべてが全く批准の意思を示さないのでは、条約の実効性はゼロです。そうした中で、広島、長崎原爆投下80周年の機会に、最初の核保有国で、歴史上唯一の核兵器使用国であり、核拡散のもとを作った米国の政府に、トランプ大統領に、教会は、教皇は、米国の教会指導者たちは、なぜ、核兵器禁止条約への加盟を強く求めないのでしょうか。

 新聞記者だった私は、今から30年近く前に、米国で原爆開発を手掛けたニュー・メキシコ州のロスアラモスの国立研究所を訪れたことがあります。目的は、地熱発電の研究開発を進めている部門など新エネルギー開発の現状を取材することにあり、原子爆弾の開発部門は機密とされていて、すぐ横を通っただけで取材はできませんでした。ただ、広報からもらった原爆開発・製造から使用に至る説明書に目を通して印象に残ったのは、当然ながら開発・製造者としての自戒の念のかけらもなく、「もしも原爆が投下されなかったら、日本は戦争を続け、さらに多くの米国兵士が命を落とした。それを避ける事を可能にした」という自己正当化の言葉です。

 今回の教皇と、二人の米国の枢機卿、特にマックロイ枢機卿のメッセージも、厳しく言えば、「この説明書の言葉と五十歩百歩」のように思われるのが、残念です。

 

*参考資料=「原子爆弾の誕生・上下」(リチャード・ローズ著、啓学出版刊)、「なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか―連合国が最も恐れた男・天才ハイゼンベルクの闘い・上下」(トマス・パワーズ著、福武書店刊)、「原子爆弾1938~1950年」(ジム・バゴット著、作品社)

(2025.8.10 中身のない、きれいごとが大嫌いの、東の信徒)

 

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2025年8月10日