教会の司祭による不祥事等、いまだに後を絶たない。何故なのか?
現実社会に於ける如何なる組織も必ず、不祥事を犯した本人は何等 かの処分を当然受ける。だが、問題はそれだけであろうか。 優れた組織には必ず「自己修正プログラム」を有している。 これを解り易く言えば「自己点検・自己内的批判・反省」 であろう。
残念ながら、カトリック教会にはそれらを有してい ない。確かに、教会で不祥事を犯した者を処罰はするが、何故その 様な事柄が出現するのか、と言った事にはほとんど、考慮されてい なし、言及さえされていない。
この際、カトリック教会は長きにわたり、「司祭至上主義・司祭中 心主義」を守ってきたと言えるだろう。もうこうした事は止めた方 がいいのに決まっている。
じゃあ、プロテスタント教会はどうか、と言った事が出てくる。プロ テスタント教会は大まかに言えば「M・ルターの宗教改革」にその本 質的な事柄は彼から答えを見出す事が可能である。
結論を言えば、「司祭がどんな不祥事を犯そうが、『教会』は正しく