・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑯”文明の利器”に翻弄されず、霊のひらめきが行き交う出会いを

 先日、碑文谷カトリック教会のミサに与り、本の紹介と展示即売会をしました。3人で本をカバンに入るだけ詰めて、朝7時のミサに間に合うように急ぎました。

 聖堂には、 江戸時代最後の宣教師シドッティ神父がイタリアから携えて来たカルロ•ドルチ作の「悲しみの聖母(親指の聖母)」の複製画が、入り口右側の小祭壇に掲げられていています。

  現在の聖堂は、1954年に建設されましたが、建設中に、東京国立博物館が所有するキリシタン遺物の中にシドッティ師の所持品だったこの聖母画が発見されました。この聖母画を「江戸のサンタマリア」と名づけ、教会をこの聖母に捧げ、保護者としたのです。聖母画は、献堂式にあたって4か月間、教会に特別展示され、その後は、複製画が教会に掲げられることになった、ということです。

 そのような経緯を知り、懐かしく「悲しみの聖母」に見入り、祈りました。

 早ミサ前に着き、松尾神父様が庭の掃除をしておられる姿を目にして、何とも言えない嬉しい家族の雰囲気を感じました。本を並べてから聖堂に入り、ミサに与り、共に聖歌を歌い、祈りました。イエス様の教会家族、いいですね。

 「7歳からの聖書」と「愛と平和の使者・マザーテレサの日めくり」の2点を、ミサ後のお知らせで紹介しました。短い説明の間、信者の皆さんの目とピタッと出会い、気持ちが電流の様に伝わるのを感じ、励まされました。即売会、言葉を交わしながら、出会いと宣教の恵みを喜び、Deo Gratias でした。

 教会での即売会には、編集長の姉妹と一緒に行くこともしばしば。たった1冊でも読者に届けるために、と足取り軽く、重い鞄をぐいぐい抱えて出かけます。 汗びっしょりになって教会への道を訪ね、魂の糧を運び人々に手渡すのです。目と目が合い心が通う出会い、媒体の画面では味わえない全身に余韻の残る味わいを、大都会東京で体験し、宣教に励んでいます。

 そう言えば、今も生き生きと脈打つタイ国での出会いは、やはり出かけて行って、いただいたお恵みです。最近、網の目の様に張り巡らされた心理的な鬱陶しさを感じ、滅入ることがありました。長いタイでの生活では意識しなかった窒息するような感じ…です。

 高度成長を遂げた日本、驚くべき交通網、正確に動く社会、几帳面に生きる人々の営み…そのために払われる勤勉な努力、その中にどっぷりと浸かって生きている自分、私の意識にも細かい注意や要望が。私は自分も他人もホッとする優しさで生きられるよう、祈り始めました。飼い葉おけに寝かされた救い主イエスのお姿が目指す目標です。

 便利な”文明の利器”に翻弄されることなく、大いに利用し、霊のひらめきが行き交うような出会いを、愛読者の皆さんのためにも願い、祈っています。

 (阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

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2025年9月2日