今回お勧めしたい本は、 「煉獄の霊魂は叫ぶ!『ピオ神父、万才!』-天国と地獄の狭間」(アレッシオ・パレンテ神父著、甲斐睦興訳、 1995年11月20日初版、近代文藝社)だ。
聖ピオ神父は、イエス・キリストと同じ手、足、脇腹に十字架上での聖痕(せいこん:きずあと)が現れた神父として有名。令和元年に長崎を訪れた教皇ヨハネ・パウロ2世も若い頃、ピオ神父から赦しの秘蹟、告解を受けたことがあるという。
ピオ神父は、1887年5月25日に南イタリアカンパニア州の農村ピエトレルチーナに、7人兄弟の4番目の子として貧しい農民の家に生まれた。一家は毎日ミサに出席し、毎晩ロザリオの祈りを欠かさなかった。両親は読み書きが出来なかったものの、聖書を暗記して、その物語を子供たちに語り聞かせた。ピオ神父が5歳の時に自分の人生を神に捧げたという。その時からイエス、聖母マリア、守護の天使が見えて会話することができ、他の子も同じだと思っていた、と母親に語っている。
23歳でカプチン会の司祭になり、31歳の時、十字架の前で祈り、ミサ後に感謝の祈りを捧げている最中に、聖痕が手、足、脇腹に現れた。最初は教会から超自然的なものとは認められず、公にミサを捧げることも禁止された。正式に認められたのはその15年後である。
ピオ神父は、哀れな罪人や煉獄の魂のために、主に自分を捧げたいと強い情熱を感じ、いつも彼らのために祈りを捧げ、聖痕による苦痛を犠牲として捧げていた。このため、生きている人間よりも多くの煉獄の霊魂がピオ神父のもとを訪れたという。81歳で亡くなるが、彼はしばしば「死後はもっとやる。私の本当の使命は、私の死後に始まるのです」と宣言している。
死後には聖痕はすべて消え、遺体は、サン・ジョヴァンニ・ロトンドの聖ピオ聖堂に安置され、40年後に聖人の位に上げられるかどうかの調査のために墓を開いたら、腐敗していないご遺体が現れた。この聖堂は、現在では、世界各地から多くの巡礼者が訪れる巡礼地となっている。(以上は、ウィキペディア等参照)
本書によれば、プロテスタントでは煉獄は単なる迷信と考えているが、カトリックでは、天国へ行く途中の住まい、生前に犯した罪を償(つぐな)う場所と信仰している。彼は35歳の時に、司教から乞われるままに,以下の話をした。
「夜中、部屋で祈っている最中に、修道院の扉が閉まったままなのに、一人の老人がドアを開けて中に入ってきた。『どんなご用ですか』と聞くと、老人は名を名乗った後、『私は、たばこを吸ったまま眠ってしまい、寝ている間に布団に火が付いて死んでしまいました。今は煉獄に留まっていますが、天国に行けるようにミサを捧げてくれださいと神父様に御願いに行くことを。神様が許してくださったので、ここに参りました』と語った。それで神父はミサを捧げることを約束し、修道院の扉を開け、『さようなら』と言った途端に、老人の姿は消えてしまった。その時には,失神しそうになったほど。翌朝、さっそく老人のためにミサを捧げ、老人が天国に召されたことが分かった、と司教に話したという。神父はその後、町に出かけ、町の史実を調べたら、確かに、実際に生きながら焼かれて死んだ老人がいた、ということが分かった」。
イギリスのロンドンでは、ピオ神父は1月の「憂鬱とストレス解消の守護聖人」となっている。これは、ピオ神父の有名な言葉 “Pray, hope, and don’t worry(祈りなさい、希望を持ちなさい、そして心配しないでください)”に敬意を表し、一年でもっとも憂鬱な気分になる1月の22日をDon’t Worry Be Happy dayに選定しているからである。
(横浜教区信徒・森川海守=もりかわ・うみまもる=X:https://x.com/UMImamoruken)