・神様がくれた贈り物㉚「日本に生まれたからこそ、カトリックの信仰に導かれたのかもしれない」

 私がカトリックの洗礼を受けると決め、それを祖父母たちに報告する時、とても緊張したのを覚えている。それに対して、祖母は、宗教に対する考えを、私にこんなふうに話した。

 「頂上は同じなんだと思う。ただ、みんな同じ山をちがう道から登っているだけだから。おじいちゃんも、おばあちゃんも、『キリスト教も、仏教も、その他の宗教も、同じ頂上を目指していると思う』ってよく話すのよ」。

 それを聞いた私は、安堵した。許してもらわなければならない事柄ではないものの、私が信じるものを肯定してもらえたことが、とても嬉しかった。

 祖父母の家に泊まり掛けで遊びに行った日を思い出すと、二人は、朝起きてパジャマから服へ着替えると、神棚に向かって、頭を下げ、柏手を叩いた。そして、お土産に持ってきたお菓子を「まずは、仏さんにあげましょうね」と仏壇に供えた。散歩をした時には、道端のお地蔵さんに、そっと手を合わせていた。

 これらのことを、特別なこととして感じたり考えたことは無かった。ごく当たり前の一日として記憶している。

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 約20年ほど前に、受洗の恵みに与り、朝起きて、十字を切ってから、一日を始めたり、食事の前に祈ったり、眠れない時に、ロザリオの珠をひとつひとつ数えたり……これらのことが、比較的すんなり私の身についたのは、祖父母が大いなる存在への敬意を示す様子が、ごく自然に生活の中に取り込まれていたからだ、と感じる。

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  日本の人口のうちカトリック信者は0.3%くらいしかいないらしい。また、多くの人が特定の信仰を持たない。その一方で、無神論者は少ない印象がある。日本においての信仰とは、特定の何かを信じてその教えの通りに動くことではなく、生活の中に溶け込んだ習慣のようなものに見える。日本には、霊性を感じたり信じる土壌が整っているように感じる。

 そう考えると、私が日本で生まれ育ったからこそ、カトリックの信仰に導かれたのかもしれない。主のなさることは、とても不思議で、素晴らしい!

(東京教区信徒・三品麻衣)

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2026年1月30日