『相手が信じるものを、自分が信じるものと同じように尊重する』という姿勢を教わったのは、母校のシスターたちだった。私たちは修学旅行で厳島神社へ行くのだが、「引率のシスターはどうするのだろう?」と気になっていたが、先輩方に聞いたところ、シスターも厳島神社へ一緒にお参りをして、「深くお辞儀をしていた」と聞いた。
シスターに倣い、私も、祖父母を思い出す時は、彼らが信じていた仏教の作法を尊重している。それを咎めるほど、神様は冷たい方ではないと思っている。
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祖母が幼かった頃、一日の始まりには必ずお寺の床を雑巾がけをしたそうだ。「ちゃこ(祖母の名前)が掃除をしたところは、なめるようにきれいだね」と言ってもらえるのが嬉しかったらしい。
祖母の家へ遊びに行くと、孫である私たちに「まず、仏様にご挨拶しなさいね」と言って、必ず仏壇へ行かせた。私たちは小さな手で恐る恐る線香を立て、おりんを鳴らし、「南無阿弥陀仏」と唱えた。背が届かないうちは、祖母や叔父に抱いてもらいながら手を合わせたのも、よい思い出だ。また、祖母の家に泊まると、朝一番に炊きたてのご飯をまず仏様にあげ、榊の水を替えたりする様子を見た。信仰がごくありふれた日常の中にあった。
そんなふうに信仰を大事にする祖母の明るい笑い声が大好きだったし、「まいちゃんや」と呼び掛ける声は、もっと好きだった。おそろいのシャワーキャップでお風呂に入ったり、布団に寝転んで本を読んでもらったり、たくさんお世話をしてもらった。
しかし、いつ頃からだろうか。祖母が丁寧に染めていた髪を染めなくなった。病院へ通うことが多くなり、飲む薬も増えた。家にはヘルパーさんが来るようになり、買い物も一人で行かなくなった。私を「まいちゃん」と呼ぶことも、甲斐甲斐しく構ってくれることも、なくなった。仏様にご飯をあげることもなくなり、榊はいつの間にか飾られなくなっていた。
そんな祖母が亡くなった、と聞いた時は、実感がわかなかった。夢を見ているようだったし、「まだ祖母は生きている」と信じていたくらいだった。実感はわかなくとも、体は悲しんでいた。しばらくは、食事が美味しいとは思えなかったし、なんとなく眠れない日が続いた。
その後、私は、仏教のやり方に従って、お彼岸には、祖父母のために、お花を供えることにした。同時に、私自身の悲しみを癒すために、主の祈りとアヴェ・マリアの祈りを唱えた。
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誰かの死に立ち会う時、「カトリック信者になって、心底良かった」と思う。愛する人が亡くなり、悲しみにうちひしがれ、私たちは、それでも前を見て生きなければならない。そんな時、「愛する人は、今神様のところにいる。一番良いところへ行った」と思うと、ほっとするような気持ちになる。「私はイエス様を信じていて良かった!」と思えた。
「祖母が極楽浄土で幸せでありますように」と願いながら、「神様、私と祖母が天国で再会できますように」と祈る私がいる。矛盾しているけれど、私は祖母の信仰を尊重したい。私もそうしてほしいから。
(東京教区信徒・三品麻衣)