口腔外科の手術を受けるために、女性専用病棟(主に産婦人科の患者がいる病棟)に入院していた時のことだった。お手洗いに入ると、大きなポスターが貼ってあった。そこには、「出生前診断を受けませんか? お腹の赤ちゃんの障害の有無を調べることができます」と書いてあった。
この文字を見た瞬間に、胸のあたりが重たくなった。「もし、過去にこのような診断方法があったら、私も、障害を理由に生んでもらえなかったかも知れない」と思ってしまったからだ。検査結果が陽性だった人の9割以上が、妊娠を中断させるというデータを知った時には、目の前が暗くなるような思いだった。
また胸が重たくなったのは、知り合いとの他愛のない話をしてた時のことだった。知り合いが「うちも子どもが小さい頃、発達障害の傾向を指摘されて。最近は、本人も自覚が出てきたみたいで、ネットのADHDの記事を私に見せるんだけど。最終的に学校の先生から『大丈夫、発達障害じゃないと思うよ』って言われたから」と言われた。
その言葉には、強烈な違和感があった。そもそも、障害があるかどうかは、医師でなければ判断はできない。その時の彼女の顔には、「発達障害の診断をつけたくない」とはっきり書いてあるように感じた。
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昨今の医療情報は豊富で、簡単に手に入るようになった。先天性の障害を持つ子どもが生まれる原因として、様々な要因が挙げられ、検索すれば簡単に知ることができる。だから、それを避けたり、改善しようと躍起になる人もいる。しかし、人間がどんなに努力を重ねても、障害児は一定数のパーセンテージで生まれる、という事実がある。つまり、一定数の人間が「(自分が)障害者として生まれるのを引き受ける」ことで、世界が成り立っている。
ダウン症を「引き受け」る人もいれば、知的障害を「引き受け」る人も、虚弱な体質を「引き受け」る人も、私のように、発達障害を「引き受け」る人もいるのだ。
人は皆、神様のご計画に基づき、それぞれ何かを「引き受け」て生まれたのだ、と思う。この世界に生きる人すべてが、神様によって手塩にかけて作られたご計画の中で生きている。ならば、一人ひとりの存在や命を尊重することは、神様のご計画を信頼することに等しい、と言えるだろう。
あなたは、神様から何を引き受けただろうか? 障害や病気に限らず、皆が、困難や苦難を伴う大変な役割を引き受けているはずだ。それは、神様が「あなたになら任せられる」と思っておられるからだ。そう考えると、生きる力が湧いてくる。
(東京教区信徒・三品麻衣)