・神さまからの贈り物  ①「 私は、私であっていい」-発達障害を抱えて生きる

 私は生まれた時から発達障害を持っています。それが分かったのは大人になってからでした。みんなが当たり前にできることができずに精神的に参ってしまい、二次障害も発症しました。でも今は、たくさんの人の手を借りながら、笑顔で生活しています。訪問看護師、保健師、精神保健福祉士、社会福祉士の方たち、そして仲間たちに支えられ、施設の中ではなく地域で暮らしています。

 私は、7年程前に自立した生活を目指して上京しました。都内での生活を始めるにあたり「きっと人間関係は無機質だろう」と不安でした。しかし、そこには意外にも心の通う交流がありました。先月はアパートの大家さんの庭に咲くお花を両手いっぱいにいただき、思わず笑みがこぼれました。この都会のど真ん中で温もりのある関わりがあることが、うれしいしいです。このような人を周りに準備し、この街に導いてくださった主に感謝です。

 障害の要因を考える時『医療モデル』と『環境モデル』というものがあります。医療モデルではその人の身体に原因があると考え、環境モデルでは環境によって障害が生まれると考えます。環境モデルを逆から言えば、環境を整えることでそれが障害ではなくなると言えるでしょう。たとえば、足の不自由な人が車椅子を使う、目の不自由な人がガイドヘルパーや盲導犬と歩く、耳の不自由な人とは手話で話す、などです。

 環境の質は生活の質に大きな影響を与えます。では、発達障害において生活の質に関連する環境とは、どのようなものでしょうか。それは、自分の障害や特徴に理解のある人とのつながりがあるかどうか、だと思います。 こんな私でも、誰かが気にかけてくれている、誰かが自分を愛してくれる、ということが、私の生きづらさを和らげてくれました。ありのままの私を受け容れる周りの人たちは、私の障害を「個性」や「才能」と呼び、私自身も、そう思えるようになりました。

 「私は私であっていい」―そう思えた時、苦しいことばかりだった発達障害が、本当は「神さまからの贈り物」だった、と気づきました 神さまのなさることは、本当に不思議で分からないことだらけですが、それでも「素晴らしい」ということは分かります。それさえ忘れなければ、何があっても安心してすべてを委ねて生きていける、と感じています

(カトリック東京教区信徒・三品麻衣)

 

 

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2023年7月31日