・共に歩む信仰に向けて ⑨教皇制のゆくえ その4;教皇の至上権についてさらに…信徒の声に蓋しかできない枢機卿や司教に信徒がついて行くか

 前回述べましたように、教皇の「至上権(plenitudo potestatis)」は、公会議文書や教会法典で使われていますが、今後も主張され続けるのでしょうか。

*ハイネの詩の中の教皇・・

 この連載「教皇制のゆくえ その1」でカノッサ事件を取り上げました。教皇の権威・権力は不可侵・普遍・不可謬であり、皇帝の権威・権力よりも上であると、至上権を主張する教皇グレゴリウス世は、ドイツ王ハインリヒ4世と争い、屈辱を与えた上で赦したという事件。藤崎衛氏は『ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか』の「おわりに」で、19世紀の詩人ハインリヒ・ハイネの詩を紹介しています。

 「カノッサの屈辱」をテーマとした「ハインリヒ」という題でグレゴリウス7世から赦免を待つハインリヒ4世の内心を描いたもの。要約すると、「ドイツの国に大きな山があり、その山あいには戦いの斧になる鉄がある。また森があって、樫の木の幹では戦いの斧の柄が出来る。私の愛しいドイツよ、私の悩みのこの蛇をその斧でもって打ち殺す人を、お前は生むだろう。」教皇を誅する、成敗するというのですから、教皇もその至上権も否定されるべきというわけです。

*教皇権力の下で異端審問と十字軍は一つになる

 前回、異端審問と十字軍について触れましたが、再度ミシェル・ロクベール著『異端カタリ派の歴史』から少し要約してみます。カタリ派は神が造ったのは天、霊魂といった精神だけで、肉体、物質といった地上的なものは悪魔などが造ったとする二元論をとなえた。カトリックの正統教義では地上も含めて唯一の神が造ったとするので、カタリ派は異端とされました。「異端審問のシステムは恐るべきものであった。その方法は一般に考えられているよりもはるかに陰湿かつ陰険であり、肉体的というよりも心理的に残酷で・・カタリ派社会を内部から崩壊させていく冷酷無比なものであった。

 ・・異端審問は聞き取り調査、組織的密告、尋問、資料カードの作成など、さまざまな方法を駆使し、すべての住民を対象とした包括的イデオロギー統制システムであり、それはおそらく歴史上前代未聞のことであった」。西欧中世はローマ教会とローマ教皇がこの世を絶対的に支配していましたので、それに従わない者は神に背くものとして殲滅されることになり、アルビジョワ十字軍の派遣へと続きます。
しかしながら、カタリ派は決して反社会的な狂信集団ではなく、いわゆる正統信仰の人々とも平和に協調して生活していたのです。

 またローマ教会を批判してはいましたが、それは当時のローマ教会のあり方が福音書や使徒の生き方から大きく逸脱したものと思われたからです。またローマ教会が権威を誇り、権力をふるうからであり、そのこと自体がカタリ派にすれば悪であったからです。ファシズムの時代を生きたシモーヌ・ヴェイユは、力の誘惑に屈しなかった宗教運動、その信仰共同体が12世紀のトゥールーズ地方にあったことを「一種の奇跡」だと言っています。

 シモーヌ・ヴェイユがカトリックに惹かれながらも、ついに入信しなかったのは、カトリック教会の「力」ゆえであったと言われます。イエス・キリストが死に至るまで自分の命を捧げた愛と、教皇の至上権では雲泥の差があります。権力で人の心はつかめません。

 

*「奪還」から「征服」に変わった十字軍・・「異端の先住民」殺害を肯定

 教皇の至上権のもとにある世界では、異端は許されず、十字軍という武力によって抹殺されていきました。十字軍も最初はパレスチナにおける聖地「奪還」、異教徒による汚染の「浄化」という意味合いのものだったのですが、その後、他の地域においては「異端の討伐や異教徒の征服」となっていきます。「奪還」から「征服」へ。アルビジョワ十字軍もそうですが、「北の十字軍」と総称される異教の先住民に対するものは征服でした。

 「異教の先住民」とは、ヴェンデ人(西スラブ人)、プロイセン人、ラトビア人、エストニア人、リトアニア人、ノブゴロド人(ロシア人)ことです。騎士修道会についてはこの連載でも述べました。あのクレルボーのベルナルドも十字軍に従軍することは贖罪を与えてくれるものであり、異教徒殺害は肯定されるとしました。この異端審問と十字軍を一つにして、世界へ飛び出した宣教師たち。のちの植民地獲得競争に手を貸したカトリック教会。

*大航海時代、カナダの植民地化を許したのは教皇、先住民になされた性暴力や虐待

 フランスの探検家シャンプランは1605年カナダにケベックを建設しました。そこにフランチェスコ会原始会則派、そしてイエズス会宣教師が、同時にイギリス・フランス等から植民者がきて原住民の改宗が図られていきました。西欧で行なったことが地球の各地でなされ、その後遺症で今も苦しんでいる先住民たちがたくさんいます。その一例を紹介します。乗松聡子さんの「先住民族に対するジェノサイドと、教皇の謝罪」(JP通信、2022年、236号)から。

 カナダという国が西欧人によって植民地化される前から先住民がいた。植民地化を許したのは大航海時代のローマ教皇であった。教皇ニコラオ5世と、このコラムでもすでに紹介したアレクサンドル6世の二つの教書(1492年と1493年)で「無主の地」として発見された土地は、「発見した者が征服支配してよい」としました。これを「発見の法理」と言います。

 19世紀に土地の所有権をめぐって法廷論争があったとき、先住民族の人たちは、自分たちが虐げられてきた問題の根源に、この「発見の法理」があったことを突き止めました。カナダには政府が出資し教会が運営する先住民寄宿学校があり、そこに先住民族の子供たちは強制的に入れられ、伝統的な信仰や文化は奪われキリスト教に改宗させられました。1831年から閉校の1996年まで139校、合計約15万人の先住民族の子供たちが送られた。

 先住民族の子供たちは野蛮人として扱われ、学校に着くと、まず身ぐるみはがされシャワーを浴びせられ、伝統的な長い髪を切られ、名前ではなく番号で呼ばれる。母語は禁止され、母語を話したら舌に針を刺されたりした。身体拘束や殴打などの体罰。兄弟姉妹同士の交流も許されず、友達を作ることも許されない。家にはほとんど帰れない。聖体拝領用のウェファーを盗んで殴り殺された子もいる。いつの間にか、いなくなって戻ってこなかった子たち。

 学校とは名ばかりで、農場、掃除、炊事、洗濯その他の労働をさせられる。最大の屈辱が性暴力。加害者は神父やシスター。神父に妊娠させられ、生まれた嬰児は焼却場で焼かれたという話も。司祭、シスターも植民地化に加担していたのです。

 このような現実に対して、1990年代から被害者・家族や先住民社会は政府と教会に責任を問う運動がたかまり、政府も委員会を立ち上げて寄宿学校の被害を明らかにします。また政府を相手どって集団訴訟が起こされ、その後和解協定が成立し、2010年から全国で「真実と和解委員会」が開催され、体験者の聞き取りをおこない、すべてのカナダ人がこの歴史を学ぶことができるような催しが持たれました。

 さらに、カトリック教会のみがまだ謝罪をしていないということから、2015年、この委員会は「ローマ教皇が謝罪することを求める」を行動要求として掲げます。2022年の春、約200人の先住民族の派遣団がバチカンを訪れ、教皇フランシスコに面会。教皇自らの口から謝罪の言葉はあったものの、教会自体の組織的責任を認める謝罪ではなかった。

 また教皇がカナダを訪問して寄宿学校跡を訪れ、被害者たちを前に謝罪文を読み上げたが、その内容がバチカンで行なったものと大差なかったので、期待外れであったといいます。では、教皇にどのような謝罪を求めたのか?それは教会自体の責任を認めること、過去の教皇の権力による「発見の法理」に言及すること、被害の核心である性的虐待に言及することを被害者たちは求めたのです。

 今も被害者たちは辛い体験のフラッシュバックなどで苦しんでいます。教皇謝罪スピーチの直後に、シピコさんという女性が躍り出て涙ながらに抗議した言葉を紹介します。「あなたはここに話し言葉の法を与えられます。私たち、大いなるスピリットの娘たち、そして部族の主権者たちは、大いなる法ではないいかなる法律、いかなる条約にも強制されることはない。我々は我々の領土で首長を任命した。それに従って統治するのだ・・・あなたは部下の男たちとともに帰りなさい!そして過去の過ちを正しなさい。この土地は植民者と教会が来るまでは清純で純粋だった。<発見の法理>を撤回しなさい!」・・・「発見の法理」を撤回せよということは、「教皇の至上権行使を撤回せよ」「植民地化したことを謝罪せよ」ということです。

 現在、日本のカトリック教会でも司祭による性的虐待事件で争われている事案に対して被告側である教会の長上責任者たちは公判等に出席せずにいますが、カナダ、フランス、ドイツ、アイルランドその他の国と同様に、いずれ国家的な公権力の介入がない、とは言い切れません。早いうちに修道会や教区の責任者は自ら出席して、公的に弁明なり謝罪なりするほうが賢明でしょう。

 

*バーク枢機卿の教皇の至上権に関する教皇フランシスコ批判

 保守派の代表者レイモンド・バーク枢機卿による講演「教会一致の奉仕におけるローマ教皇の至上権( plenitudo potestatis)」(2018年ローマ、カトリック協議会にて)の一部を紹介します。フランシスコ教皇の『愛のよろこび』とそれにまつわる2014年10月の司教会議(シノドス)での議論において、離婚して再婚した人たちに改悛の秘跡と聖体拝領を許すことができるのか、その可能性等を念頭において、至上権を論じたものです。「至上権を持つ教皇(フランシスコ教皇のこと)はイエスの教え(マタイ第19章)と教会のこれまでの一貫した教えに矛盾するような発言行動をしているが、それは教皇の教えとして受け入れなければならないのか」と。

 

*至上権に制限はないのか

 まず「伝統における至上権」という見出しで、教皇レオ1世、グラティアヌス、クレルボーのベルナルド、イノセント3世、ホスティエンシスと呼ばれたスサのヘンリー枢機卿らの理解が示されます。

 「至上権は既存の法を超えるが、法固有の目的にかなったものであるべきとか、地上におけるキリストの代理者として罪に至るようなことを命じてはならない」。「至上権には、既存の法に従って行使する通常権と既存の法を超えて『絶対的権能』として行使する至上権の2つがある」。「既存の法からの免除や法を補完することも、至上権の一部として自由裁量権ではあるが、教会の構造と教導職を壊すものであってはならない」。そして、「キリストから教会に与えられたものであるから、至上権は慎重に制限されるべき。それの行使は教会にとって有益で、魂の救いを促進するものであるべきであって、個人的利益のためであってはならない」と。

 

*ペトロはパウロに”兄弟的”矯正を受けたと聖書にあるが

 では、至上権にはそういった制限があるとすれば、制限への違反はどのように裁かれ矯正されるのか?

 教皇はそのやり方の間違いを注意され、公けにでさえも勧告されるべきである。教皇は共通の法から離れるのに性急すぎてはならないし、そうする場合は、前もって指定されていた忠告者の兄弟的な忠告を聞かねばならない。

 もし誰か信者が、ある点に関する教皇の至上権の行使を罪深いものだと思い、そのことに関して自分の良心を落ち着かせることができなければ、義務として彼は教皇に服従すべきではない。

 聖書に、ペトロはパウロに兄弟的に矯正されたという例もある。1983年の教会法典第212条には「キリスト信者は教会の牧者に自己の望みを表明する自由を有する」とされ、さらに「キリスト信者は、各人の学識や権限や地位に応じて教会の善益に関し、自己の意見を教会の牧者に表明する権利及び義務を有する」とある。

*バーク枢機卿の主張は…

 伝統を守ることこそ教皇の務め以下、「教導職における至上権」は省略して「教会法的な法制」の最後の部分と「結論」から、バーク枢機卿の主張と思われる点を述べます。

 教会法典第331条でローマ教皇は「教会の最高、十全、直接かつ普遍の通常権を有し、常にこれを自由に行使することができる」とあるが、教皇が私的な個人として、単なる一信者として行使することはできないし、キリストの神秘体である教会に聞かねばならない。司教団の一致と神の民全体の信仰の感覚の結果としての一致の奉仕であるべき。具体的には、伝統との一致、それは信仰の信条、諸秘跡、教会統治における規則の遵守や司教団の交わりなどを尊重した上で至上権は行使されなければならない。「それゆえ、教えであれ、法であれ、実践であれ、聖書と教会の伝承に保持された神的啓示に一致しないことの表現(表明)は、教皇権の真正な行使であり得ないので、信者によって斥けられねばならない」。

 要するに「伝統に基づかないものは受け入れ難い」というバーク枢機卿。彼は講演をグラティアヌスの教令集の言葉で結んでいます。「いかなる者も教皇をその過ちゆえに非難してはならない。他のすべての人を裁くべき者である教皇を、誰も裁くことはできないからである。ただし彼が信仰から逸脱したとして非難される場合は別である」。

 冒頭のハイネの詩のような教皇を誅するほどの強さはありませんが、バーク枢機卿も<伝統的な信仰>から逸脱したフランシスコ教皇に一矢報いたかったのでしょう。

 ところで、バーク枢機卿は、今回の”シノドスの道”で一般信徒の声を聴くことを「パンドラの箱」を開けるものだ、と批判していますが、私はその逆で「宝の箱」を開けるものだと考えます。信徒の声に蓋をすることしかできない枢機卿や司教に、どれだけの信徒がついて行くでしょうか。

 (西方の一司祭)

*藤崎衛『ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか』、ミシェル・ロクベール『異端カタリ派の歴史』、山内進『十字軍の思想』、佐藤彰一『宣教のヨーロッパ』、レイモンド・バーク枢機卿の論文は Library : The Plenitudo Potestatis of the Roman Pontiff in Service of the Unity of the Church | Catholic Culture

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2025年8月30日