・「神様がくれた贈り物」㉛宣教のヒント〜人を説得するのではなく、納得するのを待ちながら、祈ること

 

  目に見えるものだけを信じる人たちに、「神は、本当に存在するのか? 証拠があるなら、見せてほしい」と言われると、困ってしまう。また、「祈ったら、なんでも叶えてくれるんでしょう?」と聞かれたときも、返す言葉がなくなってしまう。

  私としては、「私が、今、ここに生かされていること自体、神様がいらっしゃる証拠なのよ」と思いつつも、結局、言わずにそのまま黙ってしまう。その人を説得できる材料を、私は持っていないからだ。

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 私のひとつ年上の先輩に、家族みんながカトリック信者、という方がいた。にこにこした笑顔が印象的で、みんながやりたくないことでも、率先して引き受ける人だった。学校生活でも、他の生徒たちとの違いはなく、先輩のおうちにお邪魔するまでは、本当に信者なのか、半信半疑だった。

 18歳だった私が、家族とうまくいかず、もう家に帰りたくなかったあの日、その先輩のご自宅に泊まらせていただいた。夜遅い時間だったのに、先輩のお母様が、温かく迎えてくださり、「一番年下のあなたに、一番かわいいカップを、お渡ししましょうね」と、暖かい紅茶を出してくださった。きゅっと縮まっていた体から、ふぅっと力が抜けた。お母様が「私は先に、休みますね」とおっしゃり、寝室に戻られた後、時計を見たら、もうすぐ午前1時という時刻だった。

 その時に、部屋の奥に気になるものがあった。それは、高い位置に置かれた学校で見たことがあるような少し大きめのサイズの聖母像だった。「こんなふうに、家の高い位置からマリア様が見守っておられることを、毎日感じながら生活しているのか」と、未信者だった私の心に深く残った。

 翌朝は、お父様と朝食をご一緒させていただいた。「よく眠れたみたいだね」と、穏やかに迎えてくださった。朝食後、部屋に戻ると、先輩は、私の話を聞いてくれた。そして、自分自身の悩みも赤裸々に話してくれた。

 こんなふうに、先輩だけでなく、御家族からも「たった一人の私」として大切にされた時、「神がいるんだ!」と納得した。「いる」と口で説得されても、信じることはなかっただろう。

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 私たちができる宣教のヒントは、ここにあるのかもしれない。神の存在を、説得するのではなく、その人が納得するまで、祈って待つ―そうしていれば、きっと導いてくださるはずだ。

(東京教区信徒・三品麻衣)

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2026年2月28日