京都、奈良、広島への修学旅行。高校での一大イベントで、準備の段階から楽しんでいた。私のグループでは、日本史の授業で習ったばかりの神社仏閣をめぐる計画を立て、教科書の写真と実物を見比べながら参拝したのが、とても楽しかった。
修学旅行の行事として毎年、「広島での祈り」が必ず入っていた。原爆ドームを訪れ、平和祈念公園にて、クラスごとの『祈りの集い』をもち、その後に原爆の被爆者である語り部さんのお話を聞くのが恒例だった。私が修学旅行へ行ったのは、ちょうど、語り部さんたちが活動をやめてしまった年だったが、先生方が重ねてお願いをしてくださり、お話を聞くことができた。語りは冷静に淡々と進んだが、祈りは熱く強く、「決して繰り返さない」という思いで満ちていた。
そして、もうひとつ忘れられない「祈り」がある。それは、旅行中に急遽、設けられた祈りの時間だ。旅行中、学年主任の先生の姿が見えず、私たち生徒は心配していた。夕食時、別の先生から説明があり、「学年主任の先生のお母様の体調が悪化し、今日は、ご実家へ帰られています」と。それに続けて「お母様のために、皆で祈りましょう」とおっしゃった。学年全員で沈黙の祈りを捧げた。未信者だった私は、正直なところどうしていいか、分からず、ただ、神様に話しかけるように「どうか守ってください。お願いします」と心の中で念じた。すると、生まれて初めて、日常生活とともに祈りがあることを感じ、胸に温かいものが広がった。
翌日の夕食時、私たちが宿泊していたホテルに学年主任の先生が戻られた。「皆さんが、母のために祈ってくださったと聞きました。本当にありがとう」。そう言われた声の抑揚や、少し潤んだ瞳を、私は今でも覚えている。
祈ることを、「生活から遠いもの」と勘違いしていた時期が長くあった。今の私は、身の回りの出来事を子どもが「ねえ、お父さん」と、話しかけるように祈る。朝起きると「寝ているあいだ、守っていただき、ありがとう!」と十字を切り、寝る前にも「今日もお恵みをありがとう!」と十字を切る。どうしても寝つけない夜は、ロザリオを一つひとつ数え、眠りが訪れるのを待つ。
私には『敬虔な信者』から程遠い、という自覚があるが、それでも、神様に話しかけることをやめようとは思わない。今日も祈りを通して、神様と、世界中の皆とつながっていたい。