・神様からの贈り物⑪「私は、私であっていい」ー障害者グループホームでの出会い

   3年ほど前、障害者グループホームで、生活訓練をしていた時期があった。そこで同じ神様を信じている人に出逢った。

  いつものように、共有室(入居者たちが集まって、団らんを過ごすスペース)で、紅茶を飲み終えたところだった。洗ったカップを棚に戻そうとした時、聖書の言葉が書かれたマグカップを見つけた。「もしかしたら、ここに同じ信仰を持つ誰かが入居しているのかも知れない」と思い、わくわくした。もちろん、ここは一般の福祉施設なので、宗教の話は持ち込めない。ただ、そのマグカップが誰のものなのか、どうしても知りたかった。

  翌週、あのマグカップの持ち主は、Yさんというスタッフだと分かった。私は、はやる気持ちを抑え、皆がいなくなった頃合いを見計らって、そっと尋ねた。「スタッフさんは、信者さんなのですか?」「そうなんです。プロテスタントの教会に通っています」。カトリック教会ではなかったことに、少しがっかりしたのが、正直な気持ちだった。

  半月後、再びYさんと話す機会があった。「先日は立ち入ったことを聞いて、すみませんでした。しかも、私はカトリックなのに…」すると、彼女は穏やかな笑顔を浮かべた。「いいえ、同じ神様を信じているのを教えてくださって、うれしかったですよ」そう言われて、はっとした。同時に、彼女の人間性と魅力に引き寄せられた。

  私たちは、グループホームという場で出会ったので、神さまについて、多くを語らなかった。でも、Yさんの温かな眼差しや優しい声、料理する時の手つきから、神様への信頼の強さと従順さが、手に取るように感じられた。

  私が、「いつか、リカバリー・ストーリー(精神疾患からどのように立ち直ったかという体験談)を、みんなの前で話したい」と希望を打ち明けたら「麻衣さんが発表する時は、必ず行きますよ」と約束してくれた。

  訓練を終えてから約1年後、私がリカバリー・ストーリーを語る機会が実現した。その会場には、Yさんもいた。無事に発表を終えると、Yさんとグループホームの仲間たちが、私を客席で待っていた。みんなで抱き合い、喜び合った。Yさんは「 もう、言葉にしてしまったら、薄っぺらくなってしまうのよ。もったいなくて何も言えないわ」と誉めてくださった。そのYさんの声を聞きながら、グループホームの訓練を卒業する直前のことを思い出していた。

  あの日、Yさんからメッセージを受け取り、私は涙が止まらなくなってしまったのだ。そこに書かれていたのは「私は、私であっていい」という言葉が冒頭に加えられた『世界にひとつだけの信仰宣言』だった。

  彼女に出会ったことで、「神様に『I love you』を伝える時、私はどんな言葉を選ぶだろう?」と考えるようになった。Yさんの「私は、私であっていい」という言葉は、神様の愛をとても理解しやすく表現していると感じる。私も、相手に伝わる言葉や形で、イエス様の思いを表現し続けたい。

(東京教区信徒・三品麻衣)

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2024年5月31日