・愛ある船旅への幻想曲(40) 真面目に向き合う仕事の流儀は、信仰生活にも当てはまる

 私の仲良しに84歳の果樹専門の農学博士がいる。彼は未信者であるが、りんごの話になった時にアダムとイブの話も出た。私へのサービスか。勿論、“知恵の木”についての話だった。私が“知恵の木”について数々の説を伝えると「その果実は、その時代にはなかっただろう。だから受け入れ難い説だ」など、専門的な視点から丁寧な説明を受け納得できることに真の導きを知る。

 彼が今も果樹に対してどんな些細なことにも興味を示し、知識を深めようとする姿勢は、その力説から隠すことはできない。そして、最後に必ず言うのが、「こんなくだらんことを、私は一生懸命にやってきたのです」だ。この謙遜の内容にこそ、私たちが大事にせねばならないヒントが隠されているのではないか

 私が「後輩の研究者たちには、先生の研究は大事な資料となり、ありがたいでしょうね」と言うと、彼は遠くを見つめ、「自分は講座の為に一生懸命に資料作りをし、喋る喋るだけだった… 今の若い者たちが既存の考え、資料をどう扱かおうと、それはそれで仕方ない」。そして「知識は過去のものであり、考えることで未来へと繋がる」と力を入れた。このネイティブ・アメリカンの教えであろう言葉を久しぶりに聞けたことに「えっ」と、そして新鮮だった。

 何気ない話から自分の背筋が伸びた時、私の心はウキウキし、宣教もこうでなければならない、と改めて今の教会を憂うるのである。

 人間は、考え続けることで結果を出す。データ処理からしか結果を出すことのできないAIと、自分の研究にとんでもない時間をかけ、その経験から丁寧に整理された分析結果を発表する人間とでは、大きな違いがある。どの分野であれ、その道一筋の専門家は、私にとって虚心坦懐に話し合える「思わぬ出会いの友」であり、態度や話す内容に揺らぎがない「安心」の友である。

 これは、組織のトップとして生きてきた優しさと厳しさを併せ持つ人特有の、自然体での付き合い方かもしれない。そして、無駄と思われることは簡単に排除し、人付き合いも”八方美人”から程遠い性格からは気品を感じる。

 私は、彼と同い年の奥様との付き合いの方が長い。二人の馴れ初めも存じている。「今は叱られてばかり」と彼は私に言うが、仲良く若々しいTシャツを着て笑顔でおしゃべりしながら散歩する夫婦の姿からは、そうでないことが一目瞭然である。生きた愛のメッセージを己を極めた人たちから学ぶことは、真実の愛を実感する瞬間であり、これこそが愛の宣教だろう。

 生きている愛は、聖書の教えをスムーズに理解するためにも必要だ。愛は頭で考えるだけでは味気ない。真実の愛は、人と人とが葛藤しながらも互いに信頼できる関係が築けた時に、神が示してくださるのではないだろうか。

 何の職種であれ、真面目に向き合う仕事の流儀は、恋愛そして信仰生活に当てはまることを84歳の友から学んだ私である。

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2024年6月4日